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緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
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ここ最近の出来事(ひさびさに書くなぁ編)
仕事で安藤美姫のバストサイズを調べる。
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著書「ヤクザリセッション」は面白かった。
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ホリエモン報道に腹が立つ。
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落選する。
「それでも受けたいのですが」とメールする。
それでも落選する。
「しかし、それでも受けたいのですが」とメールする。
しかし、それでも落選する。
「看板に偽り有りなので、生活消費者センターにタレ込みます」とメールする。
返事は来なかった。
「もちろん、冗談です」とメールする。
それでも、返事は来なかった。

もうこの辺で、

許して

下さい。
# by fastska | 2006-02-01 01:11 | ここ最近の出来事
神様の優しさ ~ あるジャズバーにて ~
神様の優しさ ~ あるジャズバーにて ~_a0022864_9133689.jpg 「何かが違う」

 ある日ぼくは電車で東京に向かっていた。

 しばらく本を読んでたけれど、その本をやめて、ふと窓に目をやった。

 そこにはまだ溶けきれない雪が残っていた。雪解けの道があった。田んぼがあった。くたびれた軽自動車のある民家があった。電車の窓から見えるその景色を、ぼくは一つ一つかみしめながら見ていた。そして、ものすごいスピードで通り過ぎる電柱を一つ一つ数えていた。
 窓から見える景色はいつもと変わらず単調なものだったが、そのときの心情がその景色を何か特別なものに変えているかのようだった。何だろうか、この心情はと思った。何かはわからないが、東京に近づいていることがそれらの景色を少し変化させているのだろうか。色あせた彩調の景色が、どこか鮮やかな色調を帯びてくる。

 そして、電車が動けば動くほど、街には色がついている。

       ◆  ◆

 ぼくがかつて住んでいた街は灰色だった。いや、透明だったと言ったほうがいい。そこにぼくはいるが、同時にそこにぼくがいない感覚。それを透明と呼んで何か差し支えがあっただろうか。透明で、脱色した街を出て、ぼくという人間が、たくさんの色をつけた東京という街に向かう。街を出て、次なる街へ脱出すること。逃亡すること。この行為だけが自分自身なのではないか。この行為だけが、唯一のリアルなもので、あとは全部ウソなのではないか。ぼくはそうつぶやいた。

 しかし、しばらくすると、その東京という街も透明になっていく。そこにいるが、ぼくは同時にそこにいない。そしてだんだん街が透明になっていく。そんなことは分かっていた。今までもそうだった。色がだんだん薄くなり、しまいには透明になってしまう。そしてぼくは次の居場所を探さなければいけない。そんなことは分かっていた。

 だけど、ぼくはいつか透明ではない街を探すだろう。そして、電車に乗ることもなくなるだろう。街を脱出することはなくなるだろう。そしていつか煌びやかな色彩に塗りつくされた。ぼくだけの街を探すだろう。そう思った。

       ◆  ◆

 ぼくはその夜、新宿にいた。日中の用事が終わり、友人達と飲みに行き、解散したその時、ぼくは行き場所もなくさまよっていた。ハッとして、顔を上げるとそこには大きなスクリーンがあった。美しく光る彼女たちが笑っていた。そして隣のスピーカーからは、世界の終りなんか信じない脳天気な音楽が一斉に流れていた。何もかもが光っていた。

 ぼくに、もう少し力があったのならば。

 ぼくに、もう少し飛んでいける力があったなら。

       ◆  ◆

 そのときぼくの携帯電話に着信があった。東京である企業を営んでいるおじさまからの電話だった。

 「あなたね。今日東京来ているっていってたでしょ。今からどうですか。ご一緒しませんか」。

 以前から彼が教えてくれていたジャズバーへの誘いだった。ぼくは混乱している頭をよそに、断る理由もなかったので、「わかりました」とだけ答えた。

       ◆  ◆

 バーに入って演奏が始まると、ぼくはすっかり訳が分からなくなってしまった。

 酒の酔いもあったのだろう。自分は一体誰なのか。そして自分は今どこにいるのか、そして今は一体いつなのか。すっかり混乱してしまったのだ。優しい力で弾く、ささやくようなピアノ。肩の力を抜き、そのくせに、重く響いてくるドラムのビート。バスドラムとかぶらないように、裏の音を一つ一つじっくり選んでいるベース。インプロであるにもかかわらずどこまでも計算されているかのように思えた。

 そして、薄暗い部屋の中から魔法のように輝いてくるステージライト。バーの中の視線を一身に浴びて、飛びかう光の交錯の渦中でその光に逆行しながら、目をつぶり演奏する3人組がいた。

 それは通常の意味での演奏ではなかった。

       ◆  ◆

 呼吸するよりも速く、世の中の言説よりずっと真実にちかく、ぼくらの心を挑発し続けた。ピアノを撫でる手は決して止まることなく、生きていることを証明するということは、そのピアノを弾くことと同義ではないかと思わせるかのようだった。

 止まること。それはおそらく死を意味するのだろう。死んでいないということ。自分は生きているのだ、ということを証明したければ止まってはいけない。そして、止まっていないということを周囲に証明しなければいけない。それがまさに生きるということだ。そう語りかけているような気がした。だから、動かなくてはいけない、と。

       ◆  ◆

 しばらくすると演奏が終わった。ピアニストやベーシストやドラマーは近くにあったタオルをそっと取ると自分の顔を拭いた。

 そしてステージから降り、楽屋に、消えていった。ライトが薄らぎ、そのステージが終わった。

 これは死を意味するのだろうか。それとも生の弛緩を意味するのだろうか。ジャズには一瞬の輝きがある。計算せず、その一瞬一瞬を駆け抜けていく試みがある。

 同じ瞬間というのは二度と来ない。プレイヤーの演奏は偶然に左右されるものであり、その化学反応を全く同じ形で見ることはありえない。繰り返すことができないということ。これを生と呼んで何か間違いがあるだろうか。

 ぼくはそこにメッセージを感じずにあおられなかった。世界には終わるかもしれない。だけれど、まさにこの一瞬にその世界の終りなどどんな関係があるだろうか。この一瞬はそれぞれの人間が輝く必要がある。

       ◆  ◆

 そのおじさまにぼくは感想を言ってみた。今日の演奏のこと。そして今日誘ってくれてうれしかったということ。その演奏を聴いて、こう思ったということ。

 そのおじさまは哲学的なので、ある程度抽象的な表現も許してくれる。ぼくはこう言った。

 人間は長いスパンで生きている。だから、将来の不安やどうしようもない懸念、そういうものがあると人間はどうしても現在の自分の行動を見直してしまう。縮小してしまう。しかしその不安は見えるわけではない。実現するかもわからない。だとするならば、まさに今の一瞬とどんな関係があるのだろうか。「世界には終わるかもしれない。だけれど、まさにこの一瞬にその世界の終りなどどんな関係があるだろうか。この一瞬はそれぞれの人間が輝く必要がある」

       ◆  ◆


 そのおじさまはそっとつぶやいた。

 「世界が終わる。確かにそうだね。最近、この世の中を見てみてよ。

 今まで輝きを保っていたものが、一瞬で堕落してしまう。今までの常識が、全く通用しなくなる。

 何が常識なのか、何が正しいのか、自分では全く分からなくなってきている」。

 そのおじさまは「だけど」と続けていった。
 
 「だけどね、世界が終わる。そんなことはあり得ない。神様は、そんなに優しいはずがないから」。

 神様がそんなに優しくなんかない。

 ぼくは心の中でつぶやいてみた。


 神様がそんなに優しくなんかない。
# by fastska | 2006-01-28 09:13 | 青春記・旅・思想
アートと現実の狭間で、ぼくたちは

 とにかくこのポップ写真はすごいと思った。デビッド・ラシャペルの写真に出会ったのは3年前だ。

 考え抜かれた構成。まるでマンガのような構図と人をバカにしているかのような設定。

 とにかくなにもかもが新鮮な写真だった。写真とはこういう可能性があるのだ、とはじめて教えてくれた写真家であったし、そのユーモア精神は絶対に日本の写真家にはないものだった。

 とくにぼくが気に入っている写真はこれだ。
 http://davidlachapelle.com/edit/inflatables_01.shtml
 とにかくアイディアと遊び心がすごいのである。なんだろうか、と思ってしまうほど遊び心とひっかけに満ちている。

 ぼくは今何個かのプロジェクトで画像系の仕事をやっているが、実はこの人の発想とかスタンスをひそかに真似していたりする。

 デザインとかアートとかは年をとればとるほど疎くなってしまうものだ。だけれど、ぼくはこのアート感覚を忘れずにいようと思う。まさにこれこそが、自分の感覚を研ぎ澄ましてくれることだと知っているからだ。

 それにしてもこの写真家はすごいなぁ。
# by fastska | 2006-01-27 23:32 | ここ最近の出来事
自分の頭で考えるということ
 それにしてもやっぱりわからないのである。

 ライブドアの犯罪について、ぼくは以前から同じことを書いてきた。だから繰り返すのはやめよう。

 しかし、それにしてもホリエモンが一体どれくらいの重大な事件を起こしたかがどうしても解らないのである。

 風説の流布という疑惑は分かる。粉飾決算という言葉も分かる。それが犯罪であるということもわかる。

 しかしながら、どうしても家宅検索にまで入って、さらにマスコミからあそこまで叩かれるということがどうしても分からないのである。

 ものすごく大きな文字で「吉川ひなのとのデートが逮捕で中止に!」をホリエモンを叩いている新聞記者は、一体その犯罪がどれくらい大きいことかということは分かっているのだろうか。加えて、その他の経営者の犯罪に比べて、その犯罪が相対的にどれくらい大きいものかということは分かっているのだろうか。

 おそらく分かっていないだろう。

 ぼくがこのニュースを見始めてから、この犯罪がいったいどれくらいの大きさに当たるのか、あるいは昔の判例はどうだったのかということを解説してくれるニュースは一つもなかった。

 繰り返すが、これは客観報道だろうか。

 もともとマスコミは、視聴者が欲しいものを流す。だから、そこには社会的意義やマスメディアの使命などは無縁であってもいいのかもしれない。

 いや、そんな無縁なことなんて、だいぶ前からわかっていた事ではないか。そう皮肉なぼくは語り出す。

 確かにそうなのだ。マスコミが利権団体であることを忘れてはいけない。そんなことは最初からわかっているのだ。そういうことに怒りを感じても仕方がない。

 しかし、一方でやはり大人のコメントを出す人もいる。神田昌典さんは、ブログで「常識的な」深いことを書いている。http://www.kandamasanori.net/archives/2006/01/post_46.html

 このことが興味深くてよいのか。このような常識的な意見が非常識であって良いのだろうか。

 神田さんは、自分の頭で考えている。自分の頭で考えればおかしいことや、納得いかないこと、常識に合わないことがたくさん出てくるのだろう。

 多くの人は自分の頭で考えるということはできないから、どうしてもマスメディアや大きな権力の言いなりになってしまう。

 今まで書いたぼくの意見がくつがえるとすれば、こういうことだ。ホリエモンの裏に大きな闇の黒幕がいる。その闇の黒幕の力があまりにも飛躍しすぎて、その闇の権力を叩く必要が生まれる。そういう必要性があったというのならば、まだ今回の家宅検索は許すことができるかもしれない。

 しかし、それではなく、単に政治家の圧力や住宅強度問題をそらすためだけに、この家宅検索が行われたのだとしたら、それこそおめでたいことなのではないだろうか。

 そして、同時に、自分の頭で考えることができないでいる人が、これほどまでに日本人の中で多かったのかということを改めて明らかにした出来事ではなかったのだろうか。

 自分の頭で考える。このことが重要だということを数年後になってこの物語は語ってくれるはずだ
# by fastska | 2006-01-26 23:43 | 青春記・旅・思想
21世紀の金塊巻
 ゴールドラッシュという言葉がある。

 おそらく多くの人が知っているだろう。アメリカで突然金が見つかった。そこにアメリカ全土の人が集まった。そして、多くの人が金持ちになったのだ。

 そういう神話があるという。

 しかし、本当はどういう状況だったか知る人は余りにも少ない。

 実は、ゴールドラッシュで金持ちになった人はほとんどいないと言われる。たとえばゴールドラッシュの最初の時は、ある農夫の畑から金魂が見つかった。その農夫はどうなったか。実は、アメリカ全土から集まった強欲な人たちに、金品を略奪された。そして、彼の息子は成員殺された。彼は、強盗・侵略を行った人たちに対して裁判を起こすことで一生を遂げた。裁判に次ぐ裁判。勝ち取ったお金はほんのわずかだったという。

 では儲かった人は一体何をしていたのだろうか。

 実は、ゴールドラッシュの時、成功した人の中で金を取りに行った人ほとんどいなかったと言われる。

 最も成功した人はこういう人だった。ゴールドラッシュが始まったと聞いた瞬間に、その人はスコップを買い集めた。その他は軍手などを買い、ゴールドラッシュに来た人たちに売りさばいた。

 そのほかに成功した人にこういう人がいる。金を探すときに、とてもズボンが汚れた。その汚れたズボンの代替として、新しいズボンを売り始めたのだ。しゃがんでもシワにならず、汚れず、ポケットまでついている。この便利なズボンは大売れした。その後、これを人は「リーバイス」と呼んだ。

 この新型ズボンが新しいビジネスモデルであったことは間違いがない。

 これらの話は、何を我々に語ってだろうか。おそらくある種の教訓である。

 その教訓とは何か。

 おそらく、「人々がある方向に走るときに、同じ方向を走ったら成功することはできない」ということだ。「違う方向に走らなければいけない」ということだ。

 ゴールドラッシュ時に、金を掘りに行った人たちと同じ方向に進んだ人はたくさんいた。しかし、金を掘る人たちを横目に違う商売を考え、違う方向に走った人は成功した。これは示唆的な話ではないだろうか。

 今ぼくらは何に、走っているだろうか。

 ITだろうか。あるいは、マネーゲームとしての株式市場だろうか。もしそうであるならば、成功したければ、違う方向に進まざるをえないだろう。賭事で何であれ、人が走る方向に走ったら成功はおぼつかない。その賭事自体を新たに作り上げるか。全く違う観点から切り込む必要があるのだ。

 違う方向見つけたら走ることが必要だ。そして、それ以上にスピードが必要だ。

 何であってもスピードが1番と思っているぼくにとっては、「忙しい」と連発している人の気がしれない。スピードを持って、他人と違う方向走ること。そのことができれば、おそらく最初の第一認者として、お金を得ることもできるのだと思う。人を集めることができるのだとも思う。

 その他人と違う方向ということに関しては、何通りかの答えを今想起している。

 誰か一緒に走りますか?
# by fastska | 2006-01-25 20:46 | 青春記・旅・思想