緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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感動的なある結婚式のスピーチ~慣例論を批判する
 「20代社会人としてはまだまだですが」というコトバを誰かが言ってた。だけど、結婚という第二の社会への出発式を済ませる人たちがぼくの周りに増えてきた。この前の結婚式のスピーチは非常に面白かったので紹介させていただく。

「では最後に、新郎のスピーチで終わりたいと思います」

(拍手が響く。新郎は酒で顔が赤い)

「皆さん、えーっと。○○です。本日はですねー、なんといいますか、このような私たちの門出を祝っていただきありがとうございます。非常にですね、素晴らしい場となりましたのもですね、皆様のお陰です」

「色々ご迷惑ばかりおかけする私ですが、今後とも温かい目で見守ってください。彼女とはもう長い付き合いで、何から何まで知っているつもりでいますが、一緒に生活することで何か、またですね、新しい発見があって、その驚きが二人に幸せと刺激をお互いに出し合えるんじゃないかな、なんて思っています」

「お前なんかが、彼女を幸せにできるのか、なんてですね(笑)、意地悪な質問もされましたけれど、大丈夫です。私だけでも幸せになりますから(笑)」

「ただ一つですね、謝らないといけません。さきほど、私のですね、略歴を紹介いただきましたけれども、実は私は○○高校は中退しております。大検で、ですね、大学を受験いたしました。しかも、ですね、実は同志社大学ではないく、○○大学という、なんといいますか機械を専攻するような、そんな大学でした」

「さらに、ですね。実は当時私は重大な病を患っておりまして、ですね。それは『貧乏病』です(笑)」(会場誰も笑わず)

「かなりの重体でありまして、当時女性に借りてはパックれるという風な、ですね、ことを、ですねやっておりました(笑)」(会場誰も笑わず)

「まぁ、そういう風な生活も続かず、バイトを始めまして。飲食店で働き始めました。焼肉屋ですね。食事もできますから、当時の私にとっては絶好のバイトだったわけです。そこで、○○さんと出会った、とそういうことでございます」

「当時の彼女はですね、今より痩せていて。えーっと冗談です。じゃなくて今よりだいぶ気の利く女性で、いや冗談です。まぁとりあえずいつも私を助けてくれました。お客さんにも必ず笑顔なんですね」

「そこで私はいつも助けてくれている彼女に何ができるのか、と考えました。そこで熟考を重ねた結果、ですね、こういうことに思い当たりました。『そんなに考えなくても私には大きな肉棒』があるではないか、と。焼肉屋のバイトは無駄ではなかったのでございます」

「そのお礼を実施すると、彼女は頭の中が真っ白な恍惚に包まれ、全身が激しく痙攣し、最初のうちは押し殺していた叫び声が、絶頂の喘ぎとなり狭い空間に突き抜けていったのです」

「まぁ、そういうことでいかに二人が仲良いか、が分かっていただけたと思います。ふつつかな二人では御座いますが、今後ともですね、ご指導の程、繰り返し、よろしくお願い申し上げます。本日は本当にありがとうございました。」

(新郎側大きな拍手、新婦側一部のオヤジのみ笑う)

 ちなみに、彼はその大学も中退後、レジ機の営業として某社に入社以来トップの座を守りつづけている。入社数年の人がその会社のMVPを取ることは始めてである、とのことだ。
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# by fastska | 2006-12-01 23:35 | 青春記・旅・思想
集中効率論を批判する~まわり道、近道
土日、本を執筆しながら、逃げるように本を読む。集中したら効率が上がるというのは嘘であるな。

まず、「愛は脳を活性化する」。なんたるタイトル!と思ったのだけれど、なかなか真面目な面白い。勉強になるなぁ。

そして、「人に言えない仕事はなぜ儲かるのか?」とトニーブザンの「自分のことを天才と思える本」、加えて橘玲の「黄金の羽の拾い方」。

そして、次に田中康夫「ペログリ日記」、やっと文庫になった新堂冬樹の「悪の華」。うおー面白いなぁ。と思っているとこの時間。しっかり原稿も20枚完成。それにしても土日で本代は膨らむ。

あ、この次はヒマだから「泥棒国家の完成」を読まなきゃ。

そろそろ疲れたので寝ます。
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# by fastska | 2006-11-26 22:43 | 青春記・旅・思想
孤島に一つだけ持ってゆくもの~既存の問いを否定する
昨日友人からメールがあった。

「孤島に1つだけ持ってゆくとしたら何を持っていく?」

という問いだった。なんでも、(できるだけ面白い答えをくれそうな)友人や知り合いの答えを集めて一挙公開するという。書籍にしてみたい、だとか。

ぼくはすぐさまメールを返信した。
「ひとつ」と読ませたいならば、「一つ」と書きなさい、「1つ」は「いちつ」としか読みません、と。
これはまだまだジャブだった。
ところで、「これは誰かの真似か模倣の企画ですか」とも。

しかし、あまり意地悪をしてもどうしようもない。ぼくは建設的に議論を進めることにした。
ところで、一つとはどの単位のことを言うのだろうか。最初は「論語」と答えようとしたが、それだったら、パソコンを持ってゆけばいい。PDFにすれば、聖書や以前から読破しようと思っていたユリシーズやブルバキの著作も持っていける。

ただ、パソコンは一つ、といえるのか?パソコンだけはダメだ、と言われるかもしれない。電源が合わないかもしれない。じゃぁ、本にしろ、という結論になるかもしれない。じゃぁ、本を接着剤でくっつけて持ってゆこう。それならば、10冊くらいはくっつくかもしれない。

ちょっと待てよ。それならば、発電所を持ってゆけばいい。それなら自家発電ができ、しかも中にはパソコンがあるし、何より冷暖房もある。セキュリティは例外的にテロに備えて防備銃を持っているというし。

いや、それでは仮定が小さすぎる。なんなら大阪梅田を持ってゆこう。あそこは住み慣れていて、飲み屋もたくさんある。それにライブハウスも。あるいは埋め立て工事班一式、というのはどうだろうか。孤島の面積を年々拡大してゆけばいい。あるいは、そんなこと考えずにラスベガスのカジノ一つ、というのは精神的にもよいかもしれない。

ということで考えた末に、「カンボジアのアンコールワット遺跡」と答えた。あそこは三日滞在したことがあるが、全然見切れなかった。物売りの子供たちもかわいらしい。それに、あの中の屋台で買ったビールは美味しかった。

友人からは「あなたにメールしなきゃよかった」と返信があった。

ごめん。
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# by fastska | 2006-11-23 22:42 | 青春記・旅・思想
いじめ報道を批判する~なぜ自殺してはいけないのか
いじめ自殺報道がさかんである。連鎖自殺、ではなく連鎖報道とでもいうべきものだろうか。ほとんど場合は「少年少女が自殺する→実はいじめの事実があった→学校は気づいていた→学校の怠慢だ」というまるで神話のストーリーをなぞるかのように進行して行く。

バリエーションとしては、「学校の先生だって疲れている」とか「我が子の異変に気づくためには」という論じ方がなされる。そこにほとんど変化はない。あるいは、子供に対してアドバイスを述べるもの、「命は大切だ」とか「つらかったら学校に行かないでもいいんだよ」というものだ。

なるほど、いじめ自殺の数が減らないは、このように世の中がステレオタイプな言説を流しているだけだ、という皮肉を言うこともできる。最近の子供が弱いからだ、という論もあるが、あの過酷な高度成長期を駆け抜けた「大人たち」の自殺者も急増していることから、この論が正しいとは思えない。

なぜ自殺するかと言うと、そこには金銭価値としての効用があるのである。こどもは、「このまま生き抜くことで得られる効用」<「死んだときの効用」となったら自殺するだろう。いじめる側も「他の面白いことによる効用」<「いじめることで得られる効用(快楽)」のときいじめをするだろう。

まず、いじめられる側の予防としては「死んだときの効用」をできる限り抑える対策が必要だろう。考えられるのは、細木数子から自殺してしまったら「想像を絶する地獄に落ちる」と言ってもらう。教育機関もそう教える。つまり、自殺が哀れむものではなく、最悪最低なものとして定着させる必要がある。これは冗談ではない。

そして、いじめる側の対策としては、密告箱を設置して、陰湿ないじめをした者はその後一切の教育享受資格を失うこととする。つまり、高校や大学への進学資格を失う、あるいは極端なマイナス評価とする。援助交際が流行したときに、前もって「性病やヤリ逃げされる可能性」が分かっていれば大半の女子高生が援助交際をしなかったと言っているのと同じことである。そこまでリスクのある行為は誰もできない。

効果予測として8割のいじめは減る。

やってみよう。
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# by fastska | 2006-11-14 06:22 | 青春記・旅・思想
処女作ベスト論を批判する
以前、桑田佳祐せんせいだったかと思うが、「アーティストっていうのは処女作を超すことは非常に難しい」と語っておられたのを聞いて、「おお、そういうものか」と感じたことを思い出す。

他のアーティストもそうかもしれないが、処女作というものはそれまでの歴史が詰まっていることもあったりして、それ以降の作品では醸せ出せないような魅力に満ちていることが多い。

話は変わるが、ぼくは現在「有名メーカー」というところに勤めている。「」つきで書いたのは恥かしいからでもあり、さらに有名という箇所が重要だからだ。

有名メーカーは発展のきっかけとなった処女作を持っている。いや、別に処女作ではなくてもいい。次作だっていい。なんにせよ、飛躍のきっかけとなるような作品を持っているものだ。派手すぎるものや、話題性だけのものだっていい。

だけど、少年が大人になるようにどこだって多少はその派手さを潜めさせ万人にウケるものを生産しだす。だからこそ、その飛躍のきっかけとなったものは思いで深く、メーカーによっては思い出の対象となっているのだろう。

これってどこか前述のアーティストの話にもつながるような気がする。そうやって初期作品を思い出しては望郷のような感情がわいてくる。

しかし、だ。別にぼくは万人向けに商品をつくることが悪いことだとは思わない。むしろ、万人向けのものをひたすら創り(作り)続けることこそが難しいことだと思っている。ただし、評論家のみなさまにはなかなか評価されない。

だが、思えば最初は話題づくりにそのようなトリッキーさに溢れる若々しいものが必要だったとしても、それだけではいけない。やっぱりどこか大人に脱皮する瞬間が必要となってくる。

そして平凡な、でも確実なものが大切になってくる。その大切さは普通に生活していたら気づかないものではあるけれど。

ここで話を脱線させると、そのような平凡なものにこそ各人の魂が篭るのではないかと思う。初速の力も大切だが、慣性の法則に従ってさえ転がり続けることも同じように尊いことだ。そう思えば、あなたが友人と普通に過ごせていることも、恋人と過ごせていることも、なんだかその普通の中に奇跡すら感じてしまう。

普通の転がりの中にこそ、感動があり、ただただ「そこに居続ける」ことに感謝をせねばならないかもしれない。

そして、その奇跡の中に身を置いている事実のみを事実として感謝できるようになることこそ、昔の人の言う「大人になる」の本質ではないかと最近つとに思う。

老けただけですかね。
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# by fastska | 2006-11-06 23:06 | 青春記・旅・思想
演劇「奥様は魔女」~演劇衰退論を批判する
なんということだろう。演出家:南野真一郎の演劇「奥様は魔女」を見た後、ぼくはあらためて圧倒される思いだった。鮮烈な色彩に輝く俳優陣と凶暴な叫びに女優の声は無比のセリフ。過激さがとめどもなく増殖し、いたるところに氾濫する。

そう、それは、生涯にわたってインチキ演劇と戦い続け、その苦しい戦いを華麗な芸術に転化しおおせた一つの演出家の、輝かしい勝利の記念碑なのだ。

演劇「奥様は魔女」は、早くから精力的な演劇活動を展開し、とくに00年初頭あたりからは活躍し出す南野を中心として作成されるようになる。そこで重要なのは、彼らの個人史における演劇の必然性と、演劇史における欲求としての必然性が、ぴたりと一致したということだろう。

切り貼り演劇から本物志向への回帰--彼らがそれがたまたま、一様なストーリーで行き着くところまで行ってしまいその混沌から抜け出そうとしていた演劇史の動きと一致したのだ。

無意味な踊りと、不必要な下ネタの中にしっかりと存在する主流派を主張することでもって、自己と世界の消滅に向かう彼らの過激なパフォーマンスは、演劇界の枠を超えて派手な表現を展開しようとする演劇の先駆けとなって、注目されるようになったのである。

死に至る自己破壊を辞さぬ過激さを逆手にとって芸術へと転化し、それによって自己治癒を図る。しかし、その過程は一度かぎりの勝利をもって終わるはずもなく、演劇「奥様は魔女」はたえず振り出しに戻って苦しい戦いを繰り返さなければならなかった(観ていてそう思った。おそらく何度もストーリーを変更したのだろう)。

とくに、90年後半になり、アヴァンギャルド演劇(という名の単に素人)の高揚、演劇全体の観客数衰退の時期。その前後の時期は、彼らにとってにとって大きな危機だったのではないか。それだけに、その直後に起こる圧倒的な爆発は、聞く者を驚嘆させずにおかない。

絢爛豪華な生の饗宴を繰り広げる彼らの演劇--そう、ぎりぎりまで死に接近した演劇「奥様は魔女」は、この芸術によってはじめて生き延びることができたのだ。そして、彼らはなんと見事に生き延びてみせたことだろう! それはもはや芸術による自己治癒といったレヴェルをはるかに超えたものだ。病いを芸術に転化することで、死に打ち克つ。先に述べたとおり、それは一度かぎりの勝利をもって終わるような過程ではない。だが、演劇「奥様は魔女」は演出家の20年以上を超える人生のその戦いに見事に勝ち抜いてきた。もはや死すら恐れぬ境地に到達しつつあるかのようだ。

その意味において、繰り返そう、は演劇「奥様は魔女」という演劇家――病者ではない、紛れもない大芸術家の、輝かしい勝利の記念碑なのである。

http://tsuka.co.jp/kitaku/butai/0611majo/mm/index/index.html
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# by fastska | 2006-11-04 19:03 | 映画エイガえいが
だいせんじがけだらなよさ~青春論を否定する
「だいせんじがけだらなよさ」。なんと可憐な響きだろうか。カルメンマキの名曲のフレーズを聴いた12歳の夏だった。

12歳の夏に古臭い曲を聴くことになる運命に感慨深いのであるが、それにしても、「だいせんじがけだらなよさ」とは小さな感性を魅了するには十分だった。

「サヨナラだけが人生だ」とは、井伏鱒二の名言であるがそれを逆さに読んだだけ--、逆さなだけだけれど、なんとも神妙な響き。昨日のことかのように思い出される。言いたいことは直接的にではなく間接的に言うこと、という日本人の心的あり方を極度に削ぎ澄ませたかのような表現形式。逆さから読むだけなのに。

同じときに、こういう曲も鳴っていた。「だますなら 死ぬまでだましてほしかった」。ああ、なんということだろう。このジェラシーと後悔の詩(うた)は。それにひきかえ、「だいせんじがけだらなよさ」にはそのような感情を看て取ることはできない。

同じ感情を起源とするのかもしれないが、どうもぼくにはその差異こそ人生に対する感度の決定的な違いを表しているように思えるのだ。

また、その後に「だいせんじがけだらなよさ」とは寺山修司の言葉であることを知った。ぼくの寺山好きが始まったのはそれからである。

いい加減ぼくの人生を悪するのは止めたらどうか。寺山の詩(うた)は年とともにその影響を減ずるどころか日々その圧倒的感度を増させるばかりである。ぼくは一体いつになったら寺山から卒業証書をもらえるのだろうか。
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# by fastska | 2006-11-04 18:50 | 青春記・旅・思想
右も左もガンばかり~日常を批判する
 昨日朝、昔の友人(かなりの年上)から電話がかかってくる。「あのねえ、ぼく、またガンになっちゃって、医者に余命4ヶ月って言われてるんですよ。ちょっと話しときたいことがあるんで、会えませんか」。いつも通り明るく自信に満ちた声には、悲しみや不安のかけらもない。とりあえず、「はい」と返事する。「場所を指定して頂ければお伺いしますよ」。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

「戦友」という唱歌を改めて読む。「思えば去年 船出して お国が見えずなった時 玄界灘(げんかいなだ)で手をにぎり 名をなのったが始めにて それより後は一本の 煙草も二人わけてのみ ついた手紙も見せ合うて 身の上ばなしくりかえし 肩を抱いては口癖(くちぐせ)に どうせ命は ないものよ 死んだら骨(こつ)を頼むぞと 言いかわしたる二人仲」。おそらく戦争に出向く若者を最後に救ったのはこのような、自己の共同体の名残であったのだろう。断じて、国家という幻影ではなく、自己の生まれ育った共同体への望郷であったのだろう、と思う。ぼくはイラクに出向いた自衛隊員が皆「国際秩序とイラクの平和のためです」と語る姿を見て、どこか率直な感情と乖離しているのではないかと思ったのである。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 わが心の師は、学生に対してこういった。「君たちが活躍するには次の3つのうち2つが必要だ。一つ目、どこでも通用する英語力。二つ目、周りに囲まれても負けない喧嘩力。三つ目、誰にも負けない異文化への好奇心」ぼくはすぐにニつ目を諦めたため、将来は一つ目と三つ目を習得することに決めた。6年ほど前のことである。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 パゾリーニの「ソドム120日」をもう一回観ているのだけれど、これって逆説的に人間性の回復の物語ではないか、と思う。ウンコを食わさせられる女性。男色の大統領。尿を飲む大司教。変態プレイのみに性的興奮を得る登場人物たち。でもこれって、哀しそうに描かれれば描かれるほど今より幸せだって思う。今ならば、ウンコを食う映像をそこまで哀しそうに描けないだろう。何も不自由なくとも他人のウンコを食える人間が、今は居る。満ち足りた生活の中で好んで変態に身を置く女性たちが居るのだ。それであれば強制されて人間性を剥奪されていった「ソドム~」の登場人物よりもずっと哀しいだろう。
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# by fastska | 2006-11-03 07:24 | 青春記・旅・思想
映画「ストロベリーショートケイクス」~生きづらい現代論を批判する
断言しよう、映画「ストロベリーショートケイクス」は今年の映画ベスト3に入るべきものだ。

2006年11月1日現在、ぼくは日記によると78本の映画を今年見ていることになる。その中で映画「ストロベリーショートケイクス」はベスト3に入ることがほぼ確実になった。

魚喃キリコの漫画原作を元にしたものであるが、珍しく漫画原作を超えた映画として賛美されていい。ろくでなしの売春婦、画家、刹那なOL。こういった主人公たちがセックスという軸で淡々と描かれてゆく。

漫画の原作には「どこにでもいる女の子たち」というような解説があるが、それは違う。売春婦や画家や、刹那なOLなどそうたやすくいるわけではない。しかし、それでもなお彼女たちのフィルターを通して描かれる現代は間違いなくぼくたちの目の前にある。

多くの男たちからの裏切り。そして結婚できないという現代問題。

ここにあるのは現代女性の疎外感ではない。疎外感など、どの時代にでもあるものなのだ。この作品が優れているのは、むしろどの時代にでもある疎外感を、現代のみにしか存在しないかのような唯一性をもって描いた点にのみこそある。

この映画では、「あなたとセックス、あなたはわたしのもの、あなたは王子様、この場限りでもいい」という女性の刹那な囁きが、とりとめもなく流れる。

しかし、ここではもはや女性の独白というもの以外が存在してはおらず、従ってそのような漫画の内容がいかなる悲劇性を帯びることもなく、それがこの映画の清々しさに通じている。悲劇を描きながら、清々しいという屈折がある。

このように、魚喃キリコに代表されるPOPな漫画作品は、「悲しいけど、あんまり深い問題じゃないかも」という徹底した弛緩を特徴としている。それはたしかにポストフェミニズムの表現というにふさわしいだろう。

だが、同じ少女漫画家で言えば萩尾望都の作品の悲劇を突き抜けた輝きにあらためて圧倒された者としては、つい疑問を抱かずにはいられない。

もうヘタに女性の悲しみなど描くのは止めて欲しい。30歳女性の大半が「カレシもいない」現実がある今。小説より映画より、もっともっと現実の方が中途半端な悲しみを超越しているではないか。そんな現実があるのに、小説や映画で改めて悲しみの虚構など描かれても、もはや意味がない。虚構の悲しみなど現実からすれば能天気なのである。

芸術がこんなに脳天気であっていいのだろうか。真の悲劇に到達することさえない弛緩が、本当に来るべき女性性の表現と言えるのだろうか。
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# by fastska | 2006-11-01 23:49 | 映画エイガえいが
2007年の本当の危機~若者批判に答える
最近、教育低下や犯罪の低年齢化を指して「この子たちの創る社会はどうなってしまうのでしょうか」と嘆く評論家たちがいる。

しかし、ぼくにとっては現在の中高年が「どんな定年後を迎えるか」のほうが興味深い。2007年問題とは、多くのとき「企業に技術が残らず、空洞化してしまう」という意味で使われる。

でも、本当は膨大な「ヒマな時間が誕生する」ということが問題なのではないか。極端に言ってしまえば、20%の本当に多忙な人以外は、たいていが「余計な仕事を増やすためだけに存在する」中高年だから、会社という迷宮すら相手にしてくれなくなったときにどのような行動を起こすか、だ。

たいていの人が「俺はその20%だ」と思ってしまうからややこしいが、多くの中高年は資料作りしかしていない。しかも、その人に届く年賀状の数よりも見る人が少ないことがほとんどだ。ほとんどの場合は、利益のための仕事、ではなく仕事のための仕事になっている。

冷静に見れば、あれほど無意味な資料を量産できるのは、一つの才能ではないか、と思ってしまうほどだ。

それには会社にも責任があるだろう。ただ、それに無自覚なのはマズい。それに比べると女性のしたたかさは素晴らしい。夫など居なくても、地域の友人たちと一生の関係を構築しているから、時間つぶしには事欠かない(皮肉ではない。いい意味でも「生きる」ということはひまつぶしだからだ)。

断言するが、趣味などというものを思いっきりできる、といっても3ヶ月で飽きる。そののちに残るのは虚無感と、死ぬまでに膨大に残された時間だけだ。

会社というゲームに弄ばれた人々(多くは男性)が、そこから地域社会とのふれあいといっても、そこにはどこか自発性のなさがどうしても感じられてしまう。おそらく人が定年後を見据えて獲得すべきは趣味ではなく、仕事ではないか。

最高のゲームとしての「子育て」が終わったあとの主婦が離婚を切り出すことも、夫の定年後に増えていると聞く。もちろん年金の改正もあるのだが、莫大な空白に投げ込まれる自分をどれほどイメージできているか。その答えは、働き始めてから40年後にやっと答えが出る。

もちろん、夫婦同士がお互いのためだけに時間を使いたいというのであれば、「おめでとう」である。が、多くはそれだけではダメだろう。ぼくが少子化などより、ずっと起業率の低さこそが問題だ、と思っているのはこういう理由がある。

妻からでも夫からでも、膨大な時間を埋める手段としても新しい「仕事」を創造してはどうか。もちろん、儲からずトントンになってしまうかもしれない。だけど、ぼくはちょっと老いた夫婦が互いの力を分け合って事業をする、ということにエキサイトを感じる。それがお互いが社会とつながりあえる方法と思うからだ。

間違いなく、10年後には「会社10年寿命時代」がくる。そのときに向けた処方箋が、年輩者だけではなく若者層にも求められていることはいうまでもないのだけれど。
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# by fastska | 2006-10-20 22:59 | 青春記・旅・思想
人が行動する瞬間
この前、友人たちと「人が動く瞬間」について話した。
結論は下記の通り。


・人が転職を踏み切る瞬間は「前職+150万円/年」
・人が行動するのは「やらさせられるとき、楽しいとき、恐い」とき
・人が絶望するのは「後輩に明らかに抜かれた」とき
・人が異性を気に入るのは「清潔だから。ほめてくれるから。意外性があるから。話していて飽きないから」。外見は長期的には関係しない。


一体これは正しいのか?どうなのか?ご意見求む。
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# by fastska | 2006-10-18 22:45 | 青春記・旅・思想
人生をジェットコースター化する確実な方法 ~ 若者文化を批判する
「無気力な若者」

こういう言葉が大嫌いでした。

そもそも「若者」というカテゴリー付けには、どこか発言者の世代とは無関係を装う悪意に満ちています。「俺たちは違うけれど、最近の若者は無気力な奴ばっかりだ」とでも言いたげな態度には、「無気力な人間は年長者でも、年少者にも存在する」という当たり前のツッコミが通じる余裕すらないかのようです。

しかし、最近確かに同じことを思う機会も増えました。世界で暴れ、変化を起こそうとしても、「そんなパワーないです」とか「望んでバイヤーになったわけじゃないですから」と言われるのです。

なるほど、現在では社会改革などという言葉はどこか嘘臭く、青臭く、反動的な雰囲気すらあります。

かつて、「軽く、POPに、明るく」というモットーで「J-POP」や「J文学」などというコトバがもてはやされました。そういう文脈から言えば、「J-若者」というスタイルも時代に迎合したものかもしれません。「そんなに熱くなるなよ。数年で違う部署にでも移れるさ。どうせこの仕事もいつまでやっているか分からない」。そう考えれば「J-若者」という「適当に、熱くならず、真剣でもなく」という態度も処世術的にはありうるでしょう。

それでもなお、と思います。逆説的に、熱くない時代だからこそ、その熱さが求められるときがくるのではないか、と。考えるに、醒めた時代は、個々人が活躍できる機会にあふれています。周囲にはデタラメな仕事がたくさんあります。少しの行動でヒーローになれることは間違いありません。

「『J-若者』から『熱い若者』へ」。莫迦(ばか)にされても、私はその啓蒙を止めません。そして、そのJ-購買文化からの脱却は、自己の規律(self-denial)ではないか、と強く思います。

最後に私の再録ですが「人生・仕事の流儀」についてペーストしておきます。

01 大きな正義をときに疑いなさい。
02 落ち込むのは勝手ですが、その暗さで周囲の人まで暗くしてはいけません。
03 読書の時間を持ちなさい。
04 時間を無駄にすることは止めなさい。
多くの人と会うのはよいですが、無駄なメシを食ってはいけません。
05 あなたが感じたことだけで人を判断するのは止めなさい。
深く話せば、印象は変わってきます。
06 自分がやりたいことよりも、自分がやれることを考えなさい。
07 一年に一つは特技や趣味を増やしなさい。
それが加齢とともに人生を楽しむ方法です。
08 誰かに質問されたときは、真剣に答えなさい。
知識を出し惜しみしてはいけません。
それが相手から多くを得る逆説的な方法です。
09 大きなものを喪失したとき、なぜ喪失したかを深く考えなさい。
それを二度と繰り返さないために。
10 とりあえず一緒に居てくれる人、よりもお互いを尊敬できる人を探しなさい。
11 立派な人になろうとするのは止めなさい。
ただひたすら毎日を真剣に一生懸命生きなさい。
12 人生には何をやってもダメなときがあることを覚えておきなさい。
そして、幸せも突然訪れることも覚えておきなさい。
13 人と一緒にいるときは、相手を笑わせなさい。
14 両親を安心させるために、必ず定期的に近況報告をしなさい。
離れた場所に住むとき、これが最大の親孝行です。
15 死別以外の悲しみは、必ずあなたを成長させてくれると信じなさい。
16 たった1%のことでこれまでの関係を崩すのはやめなさい。
99%の素晴らしい事実を思い出しなさい。
17 誰かの悪口を、その人がいないときに言ってはいけません。
18 あなたが気に入った本を繰り返し読みなさい。
そして、その筆者のやり方が体に染み込むまで実践しなさい。
19 良い結果には、あなたの良い行動があり、
悪い結果には、あなたの悪い行動があると知りなさい。
20 自分が理解できない大きな力を信じなさい。
理屈で理解できることは多くないということを知りなさい。
21 何かの一歩を踏み出そうとしている人を妨げてはいけません。
もし、その人が失敗したら、抱きしめて一緒に泣きなさい。
22 仲の良い友人であっても誤った発言は指摘しなさい。
23 「ありがとうございます」と言うときは心から言いなさい。
24 定期的に一人旅に出なさい。
一人旅はあなた自身を見つめなおす機会を与えます。
25 変わり続けなさい。人間は変わらない、と言う人は変ることはできません。
26 「おかしい」と思ったことは止めなさい。
それが後悔せず生きるために必要です。
27 たとえ傷ついたとしても、意見の相違を話しなさい。
それが皮相的でなく、相手と深く交わる唯一の方法です。
28 貯金をしすぎるぐらいなら、自己をみがくためにお金をつかいなさい。
29 謝るときは、真剣に謝りなさい。
30 相手が話す内容の真の意図を考えなさい。
31 年下の人と話すときは、優しくしなさい。
年上の人と話すときは、敬意を常に持ちなさい。
32 社会を変えようとするよりも、会社を変えようとするよりも、
まず目の前の人を幸せにしなさい。
33 あなたが「正しい」と思ったことだけを話しなさい。
34 あなたの仕事に関わる全ての人が期待している以上のものを提供しなさい。
そして、それを喜んでやりなさい。
人を幸せにする喜びというものが確かに存在します。
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# by fastska | 2006-10-17 22:22 | 青春記・旅・思想
ぼくらはテレビ狂~技術トレンドを批判する
CEATECに行ってきた。CEATECは日本最大(らしい)の家電メーカーを中心とした展示会。

会場に入って、驚いた。

テレビしかないからだ。展示されている新製品が。いや、もちろんロボットだとかオーディオシステムとか色々あったよ。だけど、フツーの人が見たら、これは「テレビの展示会」と思ったのではないか。

正直、ぼくはテレビに何の追加機能も求めておらず、日ごろほとんどテレビも見ない。これ以上キレイな画像も必要に感じない。もちろん、否定はしない。たまに見たいときに見ればいい。

最新の技術トレンドとして提示されたものがテレビだけだったとはなんと寂しいことだろうか。

ぼおっと見ていると吐きそうだった。

しかし、それにしても、テレビの魅力とはこの「ぼおっと」できることにあるのではないか。インターネットでは、こうはいかない。情報を能動的に取りに行かなければいけないから。

そう考えると、GYAOもテレビを移植しただけのように思う。しかし、GYAOでは、「ぼおっと」は長くても2時間程度しかできない。テレビのように24時間「ぼおっと」はできない。

人間は、本当にこの「ぼおっと」が好きだから、テレビの優位性(この意味は勝手に番組を垂れ流してくれる、という意味ね)はしばらく続くのではないか。

誰か、ネットで個人の嗜好性をアルゴリズム化して、「ぼおっと」勝手に画像を垂れ流すソフトを作らないか。ぼくは使わないけど、好評を博すこと間違いないはずだ。
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# by fastska | 2006-10-16 05:55 | 青春記・旅・思想
政府の少子化対策を批判する
ぼくは日本の少子化が大問題なんて全く思っていない。少子化が暗い未来の原因だとするならば、移民を増やせばいいだけの話だからだ。

しかし、どうやら日本は日本人のみを増やしてゆきたいらしい。そして、何が悪いのかも分からないままとりあえず「少子化対策を!」「安心して産める社会を!」などという叫び声ばかりが目立つ。

少子化を考えるべきはずの団体も「夫婦が安心して子供を育てることのできる環境作りにむけた広い議論が期待される」だって。おい、その議論をするはずの場所があなたたちでしょうが、という当然の疑問を挟む余裕すらそこにはない。

カネをもらっているんだから、プロとして明日からでも使える具体的な案を出してみろよ、という声を聞く気はないらしい。

私見だが、少子化対策を日本人増という意味で実施したいのであれば、次の方法しかないだろう。

(1)女性の27歳以上の労働を禁止する
(2)年金を廃止する
(3)コンドームを廃止する

繰り返しだが、ぼくは少子化など問題とも思っていない。が、少子化対策は上記くらいしかないのではないか。もちろん、「テロリストを雇い、子供のいない家庭を脅す」とか「夫婦30歳以上の子供のいない家庭に年間200万円を課税する」とか突飛なものはいくらでもあるが。

かつて山田昌弘が正しく指摘したように、一人の女性が生涯のうちに産む子供の数は数十年間減っていない。平均は二人程度のままだ。問題なのは晩婚化なのである。

したがって、いかに晩婚化を早婚化するか、という点にのみ少子化対策はフォーカスされるべきである。

上記案で、(1)は、とはいえ実現は難しいか。(2)も、やや難しいか。(3)は自由な資本主義を一部修正すれば成り立ちうるのである。

ぼくは、いざとなれば責任を取れる女性としかセックスをしてはいけないと思っているので、(3)は構わない。が、それでも女性の自由意志を尊重したいと思っているので、できるだけ男性はコンドームを使うべきだ。女性を思うからこそ、コンドームを使用すべきだ。

矛盾するが、女性を心配するからこそ、(3)が最も実効力があるのだ、と信じたい。

話が飛躍しすぎるが、いつもコンドームを使用している男性が、コンドーム廃止になった瞬間でも何も臆さず通常の行為に及んだとき、女性は目の前の男性を見直し、真の愛が誕生する可能性だってある。

遊びだけの男性など消えてゆく。そういう愛の国家としての日本が、少子化問題を克服し蘇る、というロマンスであれば、いくら莫迦(ばか)げていても信じたい。

もういいや。莫迦(ばか)げてても。
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# by fastska | 2006-10-15 21:35 | 青春記・旅・思想
死を批判する
「人生で一番大切なものって何か分かる?」彼が訊いた。「家族ですか?」「違うね」「じゃぁワクワクする仕事?」「もっと違うね」。ぼくは彼の答えを当てることはできなかった。「酒だよ」。彼は笑っていった。8年も前のことである。

そして、彼は死んだ。

先日ひさびさに再開した友人より聞かされた。絶対に死なない人と思っていた彼が死んだ。信じられなかった。

徹夜で遊びを繰り返し、夜中から釣に出かけ、そのまま朝から仕事を始めてゆく。40代半ばになろうかというその御大は、自らを超人と呼び、そのバイタリティと笑顔がぼくの脳裏に焼きついていた。

脳梗塞だったという。なんと早すぎる。
脳梗塞だったという。おそらく、本当は自殺ではないか、と。

かつて、評論家の宮崎哲弥が「全ての死は犬死である」と書いたとき、ぼくは強い反感を覚えたものだ。宮崎は「全ての死はむなしい。生きているだけで価値がある」という真意で、あえて死というものを無価値なもの「犬死」とまでいった。死を否定することによって、逆説的に、生そのものを、生きているというその一点のみで讃える。祈りにも近い慈愛に満ちた言説だった。

ぼくは、そういう真意は分かっていながら、高貴な死というものもあるのではないか、と感じていた。だから宮崎の言論には大きな反感を抱いていた。

だが、身近な人の死に直面するたびに--ぼくは同世代よりも多くの死と直面してきたけれど--、宮崎のいうことが分かってきた。

どんな間違いの多い人でも、いやそうであるからこそ、生きているという一点のみで、その人が生を受けた奇跡を体現してほしい。生きているだけで、ぼくには十分である。

ぼくは前述の彼がなぜ死んだのかは分からない。もちろん、その悲しみの前に詮索しようという気持ちも沸かない。「生きてさえいればいい」という、一見青臭い道徳にすら聞こえるこの主張を、単なる古言としてのみ使ってはいけない。

ただただ、生きてだけいてくれ。残ったぼくの周りの人々へ。
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# by fastska | 2006-10-08 23:40 | 青春記・旅・思想