緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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仕事と代替性のなさ~自分を批判する
朝アメリカから電話がかかってくる。もし電車の中でかかってきていたら相当イヤな奴だろう。いや、理由はわからないけれど、朝っぱらから英語で何か話している奴がいたらイヤミっぽい。

そんなことはどうでもよかった。電話がかかってきて仕事の話を簡単に済ませる。本来ならば、ぼくに直接かかってくる種類の話ではない(つまり、普通は上を通してかかってくるだろう、ということ)。

ぼくがこれまで心がけてきたこと「絶対いわない言葉」は次の通りだ。

・私では判断しかねるので上を通して下さいませんか
・忙しいので、できません
・それは私の仕事ではありません

そうこうしていると、誰でもぼくに電話をかけてくる。これは本当によいことだ。周りからは「やめとけよ」といわれることもあるけれど、ぼくは愉しんでやっている。というか、これまで本当に「忙しい」と思ったことがない。いや、「ああたくさんやることがあるな」と思うことはたくさんあるけれど、本当の意味で「忙しくて練る暇も無い」ということがない。

しかし、最近支障をきたすことがある。

(1)ヒマそうにしている、とそのままの意味で捉えてしまう人が出てきた
(2)一人で勝手に決めすぎるという批判が出てきた
(3)下の人にスキルがたまってゆかない

(1)は「忙しい」と言わないので、それはよいのだけれど、「あいつはヒマだ」とそのままの意味でとらえちゃう人がいる。これは、ぼくの本来狙っていた方向と微妙に違うのでややこしい。しかし、これはしかたないか。

(2)は、会議とかで決めた方がよいということなのだろう。たとえ結論が全く一緒でも。いや、会議で決定しても、ぼくが単独で決めた場合と絶対に同じ結論になる。ほとんどの人は、強い意志を持っておらず、その場合は一人の意思に簡単に負けてしまうからだ。とはいえぼくは最近、徐々に日本式を受け入れている。それが文化ともいえるべきものだし、あまり自分に不利なことばかりやっても仕方がない。

(3)は最大の問題である。人は代替性のなさが生きがいの本質である。自分しか頼られる存在がいない、ということは最も誇らしいことで手放したくない状況だ。だから--、人は過去の実績に常に懐疑的であらねばならない。それを自分で実践することはいかに難しいか。

とここで記憶はまたアメリカで見た空に戻る。
空をゆっくりと見上げるなんてどれくらいぶりだろう。
星は寒さで、どこかに隠れている。
月は汚れた顔を恥かしげもなく、どこかの悪童のようにさらしている。

人間の複雑さと果てのない深さ。
これからもぼくは自分を否定し続けることができるだろうか。
否定の後に、次への新たな自己を築き続けることができるだろうか。

やる気、は人間の本質とは関係がない。
やる気がなくても行動さえすればいい。結果がついてくる。
こういうことは経験的に知っている。

ただ、ひとつだけ分かっていることがある。
何も知らなかったころ。仕事を始めて覚えたり、社会人という名の儀式を覚えていたころ。
そこに戻れることは、もうない。
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# by fastska | 2007-02-10 08:19 | 青春記・旅・思想
そして使い捨てられる君たちよ~格差批判を批判する
こういうことを書くと冷たい奴だと思われるだろう。でも、書いておこう。

ここ最近、二人の友人から近況報告のメールをいただいた。

一人は、フリーの編集者を目指して上京した奴。彼は、朝6時起きで下請の仕事をすることも当初は「まあ最初はこんなもんだよね」と言っていたけれど、今年諦めて再就職することになった。もちろん、就職先は学卒で普通に就職できるところよりもずっと条件が悪い。

もう一人も同じようなものだ。美容師として店を持ち成功しようと頑張ったものの--、今年敢え無く借金を抱えて挫折。また、低賃金の雇い美容師として再スタートを決めた。

夢--、という言葉が最近どれほどもてはやされているだろうか。実はぼくもこの言葉を忘れないように周囲に勧め、そして自分自身も恥かしげもなく持ち続けている。

しかし、同時に持っておかねばならないのは、「夢の下に隠れた想像を絶する努力を成功者は継続している」という認識だ。

浅田彰(もう誰も知らないだろう、80年代に若者をアジったおじさん)が「逃げろや逃げろ」と既存システムからの脱却を勧めたとき、あたかも若者には「既存のシステムから脱するだけでよいのだ」という印象を与えた。そのとき、実は浅田が数万冊の本を読み、外国語にも堪能である、という事実をもってやっと既存のシステムから脱却できるのだ、という考えてみれば当然の事実はすっぽりと抜け落ちていた。

夢、というものを持つときに重要なのは徹底して冷酷な現状把握だ。自分が社会に出たときに売れるものは何か。それを買ってくれる人はいるのか、その対価はどれくらいか、その先で自分に足りないことは何か、それをいかに充足してゆけばよいのか、それは今後のキャッシュフローに耐えることのできる支出で済むのか。

夢、というものを持って組織に飛び込むとき、経営者も夢を持っていることを忘れてはいけない。それを忘れていれば、その強さに押されて使い捨てられるだけだ。それは、雇用というものの必然である。

もちろん夢を持ち続けるのは良い。しかし、そこに将来の戦略はあるか。自分の実力を冷静に見つけた上で、あくまでその上で、途方もない夢を語れる厚かましさと行動力を持っているか。

ぼくの夢は本を出すことだった。じきに出るそれの200ページを書くために600ページの元案を書いた。関連図書を100冊読み、遠くの図書館にも出かけ、トップランナーに取材もした。文章を参考にするために600冊ほどを読み返してみた。もちろん、この期間中はほとんど寝ていない。いや、自慢をするわけじゃない、それくらいのことは愉しくできるくらいの当然さが求められている。

夢を実現するのは簡単だ。だけど、その厳しさに自覚的な人はどれほどいるのか。
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# by fastska | 2007-02-05 22:09 | 青春記・旅・思想
人間はwebで第二の人生を夢見るか~ポスト・ポスト資本主義批判
セカンドライフというオンラインゲームをご存知だろうか。アメリカにこの前行ったときには、このゲームが大人気だった。一言でいえば次世代SNSである。サイバースペースに自分のアバターを住ませ、そこにいる二百万人と触れ合うことのできるゲームだ。通常のSNSが自分のページを介してコミュニケーションを行うのに対してセカンドライフでは、自分のキャラクターを動かしてコミュニケーションを行うのが目新しい点である。

ライフスペース上では、サイバースペースの中でビジネスを行うことが可能だ。しかも、貯めたお金で車を購入することもできる。もちろんサイバースペース上の、だが。それでもなお、実際の世界で購入できない車を乗り回すのは快適なことらしい。実際のお金とセカンドライフ上のお金をコンバートすることもできる。中には実際のお金を借金してまでセカンドライフ上で散財してしまう例も多いと聞く。

ぼくは正直このセカンドライフに新しい資本主義の拡大を見て取らざるを得なかった。つまり、アメリカという国は消費のはけ口をついに仮想世界上に見つけてしまったのだ。自動車産業に代表されるものづくりから、ITや金融に代表される虚業たち。そのあとは、ついにマネーの行く先がサイバースペース上の架空消費に行き着いてしまったというわけだ。

資本主義とは絶えず消費先を探し続けるダイナミズムである。情報産業が実際のぼくらの通信環境を変えてしまった後は、仮想上の世界に消費の先を求めているというのはあまりにすごいことではないだろうか。実際の世界ではもう欲しいものはない--、というのはある程度満たされた世界にいるわけだ。

しかし、サイバースペース上であればまだまだ欲しいものはたくさんある。実際の世界でカムリで満足している消費者であっても、サイバースペース上ではインフィニティの高級スポーツカーが購入できる。そして第二の自分の可憐さを見て満足してゆく。この人間の欲望を作り上げるのは、繰り返しだが資本主義のダイナミズムゆえである。

そして--、アメリカで起きたことは日本でも必ず起きる。としたら、日本の消費先が携帯電話代からサイバースペースでの買い物費用に移行してゆくことは夢物語でも妄想でもない。いつか、実際の世界での消費を自慢する時代からサイバースペース上での高額消費を自慢する時代がすぐそこまで来ている。

マルクスは資本主義の終焉を人間の疎外として予見した。とするならば、実際の人間を離れて、サイバースペース上の夢を皆が見始めた現実を前に、マルクスは何と言うだろう。これこそが究極の人間疎外ではないのか。ただ一つ違うことがあるとすれば、その人間疎外は、人間の自由意志によって、さらには喜んで行われていることだ。これこそ究極のユートピアか、あるいは悪夢の始まりか。

それを理解できるのにはあと5年はかかるだろう。
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# by fastska | 2007-02-02 21:50 | サイバースペース
アメリカ・夢・空~目標異論・批判
遠いアメリカで深夜一人空を見た。

広い、世界はとめどなく広い。ふと、死ぬまでに自分はどれほどのことを成し遂げられるだろう、と自問すれば絶望的な感情を抱く。世界は広い。だから、その深さの真実に皆は目をそむける。

その世界の面白さと、悲しみの無限の広がりに似た到達できぬ深さを知りたいと、ずっと思っていた。

仕事で自分一人で交渉し、アメリカの各地を歩き回る。しょうもないトラブルに巻き込まれ、思い通りにゆかず苦悶し、また上手くいったときには誰かと抱き合って喜ぶ。いつの間に、ぼくはこういう状況に身を置いたのだろう。

と、ふと思う。大学時代にまわりの女性は皆、「外国で活躍したり、英語を使う仕事に携わりたい」と言っていた。しかし、残念ながらその夢を実現している女性は残念ながら一人もいない。銀行では英語を使った出張などあるはずもなく、生保ならばなおさらだ。「海外支店がある」と聞かされて就職していった多くは、国内の営業に身を置いている。ぼくはそのような英語を使う環境から程遠い製造業に身を置くことにした。

遠回りだと思っていたことが実は近道であることが人生ではたくさんある。それはほとんどの場合、そのままの顔をして現れることはない。だから、皆はそれを避けようとする。しかし、避けずにぶつかっていれば、そのうち本当の顔を見せてくれることがある。

そして、最も重要なことにそのやっかいな奴は、たいていの場合ものすごく面倒くさい。多くの場合は仕事として降ってくる。だからたいていの人は避けてしまう。

よく、「目標を持ち進んでゆけ」と言われる。ぼくもそのことに異存はない。しかし--、と振り返って考えてみる。ぼくのほとんどの人生を決定してきたものは、ほとんど偶然によってもたらされたものではなかったか。最初から面白かったわけではなく、遠回りをしているうちにだんだんとそれにとりつかれていった。

また、ぼくはアメリカの絶望的なほど広い空を見て考えている。

空の絶望的な広がりは好きだ。
人間がつくったものが何も浮いていない。
ちっぽけな作為など吹き飛ばしてくれる。

ぼくはどこに行くのだろうか。全く似合わないことを、地球の裏側で考えるのも悪くはない。
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# by fastska | 2007-02-02 21:48 | 青春記・旅・思想
俺の日常を批判する
本日、クルマのタイヤを換える。いまさらながらにスタッドレスへ。タイヤを家から持ち出すとき、改めてその重さに手こずる。そして、あろうことか空き缶の山にタイヤを滑らせてしまう。「あっ」と思った。がしゃん。ばちゃばちゃ。その思い虚しく。タイヤは物理法則に愚直に従って空き缶の山を崩す。転がるスピード。そしてぶつかるパワー。ああ、宇宙的な絶対法則だ。

そして本の整理。無駄な本が70冊も出てくるではないか。この狭い家に保管している6分の1にも相当する。よし、出張から帰って来たら全て売り払おう。なんと人間とはゴミばかりを保有しているというのか。旅行に行ったらリュック一つでも十分暮らしてゆけるというのに。
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# by fastska | 2007-01-20 21:58 | 青春記・旅・思想
リクルート学生を批判する~就職活動を絶対に突破する非常識な方法
 また、リクルートスーツの若者が増えてきた。1月も末になるとそういう景色がどこにでも溢れているのだろう。ぼくは思う、また今日もどこかの場で非生産的な質問が繰り返されているのだろうな、と。「仕事のやりがいって?」とか「仕事で一番嬉しかったことはなんですか?」とかだ。こんな想定質問は答えを事前に送付すればよい。

 だいたい仕事などは、やってみなければ分からない。しかも、学生ならば分かったつもりになるのがほとんどで、実感など伴わない。そのような質問にどのような意味があるのか、と考えてみても「時間つぶし」という答えしか思い当たらない。だいたい、働いている人で即座に「志望動機」と「自己紹介」をできる人がどれだけいるというのか。

 実はぼくも大学生のリクルートスーツ青年と何回か話したことがあるけれど、そりゃあもう不毛な時間だった。いや、学生のレベルが低いなんてことは全く思わない。そういう場が不毛だと言っている。「仕事を辞めたくなったことなんてありますか?わっいいんでしょうか、こんな質問しちゃって」などと、完全に想定内の質問をされたところで、こちらに知的刺激のかけらもありはしない。残るのは、「いいねぇ、10時まで寝てられる身分は」という学生に対する感想しかないのだ。

 どうせだったら、就職活動での質問などもっとラディカルにしてみてはどうか。30歳前後の先輩に対して、「あなたにとって、故郷とはなんですか?」くらいの飛んだ質問であれば、先輩たちも適度な緊張感が保たれるかもしれない。アブねぇなと思われるかもしれないが。

 私にももっと飛んだ質問がほしい。「先輩にとって、ドーナツの穴とはどのような存在ですか?」くらい狂った質問がくれば、「ううむ、哲学的だ。それは、人間の霊魂と同じだ。確かに存在するのに、外枠がなくなったら消えてしまう」「なるほど!アンソニー・クイントン的だ!」などというスリリングな会話が成立するかもしれない。

 「就職学生は、難解質問で面接突破を目指せ!!」

 本気にするな。
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# by fastska | 2007-01-20 15:47 | 青春記・旅・思想
北朝鮮報道への疑問~いや、批判
 どうやら日本人には2種類いるようだ。

 北朝鮮で韓国の人間が拉致され行方不明になって悲しんでいる真っ最中に、自国の拉致被害者のみをあたかも「唯一の問題」かのように取り上げ、数名が解放された事実をもって周りも見ず、さらに他の拉致被害者への言及もなく喜び騒ぐ人々を見て、あなたはどう思うだろうか。

 ぼくの生まれ育った土地の近くにある長崎の平和公園では、原爆で自分が生き残ったことをむしろ負い目に感じ、死んだ全くの他人を想い毎年涙する年配者がたくさんいた。

 繰り返す。

 どうやら日本人には2種類いるようだ。それとも日本人が変わっただけなのか。
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# by fastska | 2007-01-18 22:59 | ここ最近の出来事
常識発想を批判する
1. ある作家が語っていたのだけれど、これはインターネット文化における無償利用を考えるいい題材になる。曰く「俺の本はwebに載せているが、売上が下がることはない」と。そりゃそのはず、平均が900ページもあるのだもの。載せたって、印刷する手間考えれば本を買っちゃう。でもこれって本当に示唆的。量で圧倒すればだれも無償使用できないという逆説。もしかしたら、コピー防止なんていう技術より「物質的」なものが重要かもしれないなぁ。そういえば、駅前の喫茶店の回転率は店のサービスでなく椅子の固さに比例すると聞いたことがある。これもソフトでなく、基本的なハードが影響するという例だ。昔言われたウェーバーとマルクスの対立は、物質のみを真とするマルクスが勝つのではないかな。

2.自分のいる場所より他人のいる場所のほうが高尚に見えて羨むことがある。あっちの芝は青いぞ、こっちの水は苦いぞ、とどこまでも自分の場所を劣化してみてしまう。それは会社でも同じではないか。どんな小さなところでも、どんな小さな仕事でも想像力をかきたてられるし、世界一になれる可能性だってある。そういえばソルジェニーツィンの名著「イワン・デニーソヴィチの一日」だってあんなに何もない強制収容所であれほどの創造性をもって小説が完成している。制約のありすぎる小さな空間で世界に名だたる小説が成立する、この逆説をどう思うか。

3.戦争の側面には、死というものを人間に突きつける効力がある。しかしそれであれば、自動車事故も同じ「死」の一部である。あれだけの死者を出してもよしとされる自動車産業と戦争の死者とどっちが多いというのか。それでは未だに一人の死者も感染者も出していない鳥インフルエンザとどっちが脅威か考えてみよ。車産業は否定できぬ。それは皆がリスクを管理している業界だからだ。であれば、鳥も牛も戦争も結局のところリスクの管理に過ぎぬ。ゼロリスクを目指している人間社会にはロクなことは起きない。それはあたかも「完全な結婚」を目指しては挫折するどこかの哀れな女史たちであるようだ。合掌。
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# by fastska | 2007-01-18 22:59 | ここ最近の出来事
異常殺人報道を批判する
最近、異常殺人が連発しているという。それが、あたかも近年日本人の異常さを表すものだという。そして、人と人のつながりが急激に変わりつつある時代だという。

むろんぼくはそういう言説を信じない。人間の感覚が変わりつつあるのは確かだが、それは価値観というものであって、人の殺人観がそんなに変わることがないのは明らかだからである。こういう言説は統計上のデータを無視して語られることがほとんどだが、それは置いておこう。一つ言えるのは、300年ほど前に遡るだけで、より残酷な殺人が日常茶飯事だったのであり、それが蕩尽という事象の中起こるのはポランニーの指摘を待つまでもない。

ぼくが気になっているのは、報道のストロタイプさ、である。

殺人が起きる。すると、容疑者の過去を知る人々がインタビューに答える。
「どこか変わったことはありませんでしたか?」
「ええ、そういえばいつも教室の隅でマンガばかり読んでいて・・・ああ、そういえば友人付き合いもあまりないヤツで・・・」
という小説にも描かれそうにない、平凡な像が描かれる。
ひどいのは、
「高校時代の思い出といえば?」
「そういえば、ずっと『私は東京に行く』って言ってたんです」
と、そんな田舎少年少女など捨てるほどいるだろう、という当然のツッコミさえ、そこでは許されない。

ここで見て取れるのは、「容疑者が自分たちとは違う人間だ、と思って安心したいのだな」ということである。ぼくには、その心情の方がずっと恐い。

いや、分からないでもないのだ。殺人鬼が自分たちと同じような人間であったとしたら--、どこでも誰でも起こしうる犯罪なのだとしたら--、それよりも恐いことはない。だから、人々は凶悪犯罪に怯えるのだ。その犯罪自体の恐さではなく、そういうことができる人間というものに、そして、その因子が自分にも自分の周りにも入っている可能性に。だから、人は容疑者を自分とは違う世界に押しやりたいのだ。

理解不能な人間とはどうやってできるのか?それは最大数の人間が理解できないからにほかならない。だけど、その理解不能とは、その「一般人」にも紛れうる因子であることを避けていてはいけない。

小説が描いてきたのも、そして共感を呼んできたのも、ある種の「狂気」ではなかったか。そして、その狂気の忘却こそ現代日本が忘れつつあるものなのだ。その忘却こそが病ではないか、とぼく思う。
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# by fastska | 2007-01-12 22:43 | 青春記・旅・思想
自分は絶対にできないという確信を批判する
このところblogの更新が滞っていた。文章のネタが切れたとか、そういうことはいまのところぼくには、ない。

何をやっていたかと言うと、それは「お金をもらえる文章を書いていた」ということになる。森博嗣さんのように賢明ではないぼくは「一文字いくら」という計算はできない。しかし、それにしても、無から生まれる文章が金になるということはすごいことだ、と単純に思う。

お金になる文章を書き始めてから、周りから反応があった。その多くは、自称「いつかは本を出してみたい」人たちだった。で、どうやって文章をお金に換えることができるようになったかを聞こうというわけだ。

ぼくは当初、いきさつを素直に話していたが--、「いた」というのはもう止めたからだ。そのうち「本を書きたいなら、その内容を教えてくれませんか」と逆質問するようにした。すると、というわざとらしい接続詞を使ってみる。「いやぁ、あの、大体は決まっているのだけど、なんだか、その」という言葉が続くようになる。人によっては「まぁ、できないかもしれないですけど」だと。

書きたいことがあるのであれば、企画書は書ける。3日もかからずに書けるだろう。企画書の書き方が分からない、という言い訳は止めてもらおう。そんなもんどんな形式でもいい。なんなら本屋にその類の指南書はたくさんある。

そして、それをどっかの出版社に見せればよい。すると、こういう声が聞こえる。「そういう知り合いはいません」。おお、なるほど、では電話してみてはどうですか?という問いかけには、無言になってしまうしかない。

夢を叶える単純な方法は、やってみる、ということだ。それ以外にはない。やって上手く行かなかったら、違う方法で単純にやってみる。そりゃ断られることくらいあるさ。10回くらいは。そりゃそうだって、ズブの素人がやるんだから。

ぼくはこの種の人の中に共通点を見つけた。それは「自分にはできない、という確信」である。恐ろしい確信だ。それも無根拠に信じている。これほど恐ろしいことがあるだろうか?

その確信を覆すにはコツがある。それは、考えないことだ。最高の賢者は最高の愚者でなければならないという逆説がそこにはある。ぼくは、会いたい人がいたら、そういう人たちに「100通手紙を書けば、絶対に2~3人には会えますよ」ということを言っている。それがその種の人たちには身も蓋もないことのように感じてしまうらしい。

そういう時は、自分に「本当に?」と問うてみる。できないんじゃないか、と思ったら「本当に?」。自分は不可能だろう、と思ったら「本当に?」そうやって自分の脳に問いかける。そう書くとなんだかオカルトみたいだが、自己の殻を破るのに最も安上がりで簡単な方法なのだ。
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# by fastska | 2007-01-12 22:28 | 青春記・旅・思想
2006年絶対お勧め本
2006年はおのれを深く知る必要に迫られた。別に難しいことではない。「自分は何が好きで、何ができて、何をするべきなのか」こういう青臭いことを改めて考える必要があったということだ。本来ならばそれは就職の前に棚卸すべきだろう。しかし、不器用なぼくはそれができなかった。止む無く、「進みながら考える」という手法を取らざるを得ず、その結果が出ないものだから常に何かに追われたかのように動き続けてしまう。

本というものは、いつ読むか、どのような状態のときに読むかで印象は全く変わってきてしまう。読書ノートを見る限り、12月28日時点で194冊読んでいる。これでも同世代のトップランナーと比すれば10分の1にも満たないだろう。その限られた範囲の中でどうしてもぼくが感慨深くならざるを得なかった奇跡をくれた本に何冊か出合えた。

愛は脳を活性化する

正直、初見時にオカルトまがいかと感じてしまった本書はまぎれもない傑作。夢を見る、そして夢を達成した自分を確信する--これほど青臭いことの有益さを真剣に諭してくれる。その真摯さは清々しく、そして愉しい。
いつかしら人間は夢を語ることを忘れる。まるで、それが封印すべき過去かのように。しかし、どこまでも夢、そして全身に支えられた愛によって人間は生きる活力と若さを保ってゆく。

そんな「正論」をぼくたちにつきつける。ここで語られた内容は、すぐに捨てて明日からの仕事にとりかかるべきだろうか。それとも、その青さを逆手にとって生きる糧にするべきか。もちろん答えはあなたが決めてゆくものだ。


リプレイ

では、その「夢」とはどのように思い浮かべるものか。その夢を自己の夢たらんとするとき、そこには偶発性がないか。たまたまあなたが全身をかけるべきと信じざるを得なかった過程には、多くの出来事や多くの人たちとの出会いがある。
その偶発性も、まさに奇跡と呼べるものではないか。時代を変わりつつ、偶然が起きなかったとして、それでも変わらないおのれは存在するのか。なぜか人生を何度も繰り返してしまう主人公が見たのは、変わりゆく恋人であり、変わりゆく社会だった。

最後のラストには涙してしまう。その偶然性が生み出す奇跡は、どんなに悲劇であれ幸福な物語であれ平等に「ただあなたの前にある」。再び生まれても、あなたは同じ人生を同じく讃えることができるだろうか。


カリスマ

それでは究極的に、生きてきたという事実はどのように評価すべきか。どあほうに、ろくでなし。有象無象が錯綜するこの世の中において、あなたはいかにして自分が生きるべき価値を感じられるだろうか。そもそも、価値などあるのだろうか。
この「カリスマ」は現代日本人に突きつけられた最大の苦悩小説である。これまで信じてきたものが一瞬で崩れてしまうと分かっていたら、それまで人間は生きることができるだろうか。愛を創り出す友人や恋人が次の瞬間に変化し、あなたの前を去ってしまったら生きる価値などどこに見出せるのだろうか。

いや、それでもなお、人間は生きていかねばならない。この小説は、救いようのない底辺の人間たちを通じて、逆説的にそう語りかけている。畜生に身を蝕まれた後でも、少なくとも自意識だけは残っている。それが守るべき価値があるかなど究極的に分かるものはいない。しかし、そのくせに生きてゆくのが人間なのだ。

自分というものの結論が出たら、それは違う、ともう一人の自分がいう。当然だ。結論などというものが出る、と言うこと自体、複雑で崇高な人生というものへの冒涜なのである。まさにその問いは禅問答のように繰り返し繰り返し頭の中を高速で回るだけである。色即是空、空即是色、という自己矛盾した言葉の意味が少し分かった気がした2006年。
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# by fastska | 2006-12-29 11:00 | 青春記・旅・思想
大竹伸朗アート展<全景>東京都現代美術館~現代芸術批判論
前衛芸術家の大竹伸朗の個展<全景>に行ってきた。

かつて、「パズルパンクス」という愚にもつかぬ(ホメ言葉)バンドでぼくの前に現れたこの過激なおっさんの半生記を見せつけるあまりにも圧倒的な個展であった。

美術館を埋め尽くすゴミの山。散乱したゴミに被せられる叫びとノイズ。これはなんという芸術なのだろうか。巧妙な描写があると思えば、次の瞬間には抽象的なユニセックスが広がっている。漫画になったかと思えば、次の瞬間には無意味なオブジェクトが転がっている。

これが一人の過剰な芸術家の奇跡とも呼ぶべき人生か、と思ったぼくはただただ驚くばかりであった。

思えば、最近の現代前衛芸術展でこれほどまでの衝撃を受けたことはない。このごろの作品は、空疎で皮相的なアニメを過剰に演出するか、あるいは必要以上にエロティシズムを前面に出した裸体が転がっているだけなのだ。何もない日本、というところに逆輸入的に評価の上がったオタク文化をことさらに持ち上げるだけの腐った評論家たち--。

大竹伸朗の仕事とは、まさにそのような世界とは真逆に位置していた。単純に面白い、と言って手放しで賛同させるだけではない。そこには見る者を圧倒し、見る者のこれまでの生き様に対して「俺はここまでやってきた。お前はどうだ?」と脅しをかけるかのような緊張感が大竹伸朗の作品にはある。

ぼくは大竹伸朗がEYEと作ったCD「パイプ ライン」を聞きながら、芸術が真摯に過激だったほんの10年ほど前のことを思い出している。

腐ったのは現代芸術か、ぼくの感受性か。
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# by fastska | 2006-12-27 22:36 | 青春記・旅・思想
郵政造反組11人の復党批判への批判
よく分からないのである。何がか。郵政造反組の復党について批判的な人たちについて、だ。
なぜ、復党することが批判に値するのか全く分からない。それに、国民が支持率を下げることももっと分からない。

野田聖子さんらは郵政民営化支持などを盛り込んだ誓約書を提出し、安倍晋三首相も認めている。それが?何が悪いのか分からんのである。

そもそも郵政民営化のお題目は国民に熱狂して迎えられた(しかも、ほとんどの人がよく分かっていないまま。しかも、小泉政権がどう郵政改革に頓挫していったかもほとんどの人は理解していない。このことは、「国民に分からないレベルの難解な悪事は非難を免れる」という興味深い示唆をくれる。が、ここではそれは論旨ではない)。その郵政民営化に賛成する人が増えたわけでしょう。なぜ、「改革が進んだ」という評価ではないのか?なぜ「改革が後退した」と?What?
ある人は「政治家に一貫性がない」と言った。一貫性がないからよいのである。未だに戦中軍部の思想を持っている政治家がいたら危なすぎる。結局は、「長い期間をかけて思想が変わるのは許すが、短いスパンだと許されぬ」という曖昧な評価か。では、10年で思想が変わるのはどうか?20年は許されるのか?その根拠は何か?

一貫性がない、というのは素晴らしい技術でもある。あのスチュワートミルでさえ、「政治家は、当選するためには地元民を欺いてでも票を集め、当選後は国全体を考え行動せよ」と言った。政治家の思想とはそもそも選挙対策であって、それ以上ではない。そのことは、政治家の本がどれを見てもシンクタンクの受け売りであることからも明らかではないか。

たかが復党くらいで騒ぐ気が知れぬ。もう国際社会は、日本レス体制を構築しつつある。北朝鮮の核実験は、日本など眼中になく、ひたすら米ドル凍結解除のために行われた。それを日本を挑発するため、とした評論家は恥かしくはないのか。

国内の茶番に付き合う暇があったら、国際問題に目をやれ、と言いたい。
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# by fastska | 2006-12-20 18:31
映画「プラダを着た悪魔」~甘え若者を批判する
映画「プラダを着た悪魔」は愉しい。今年の劇場映画の83本目だったが、ベスト5に推しても良いね。

厳しすぎるオバさんの女性編集長と、ただただ愚直に頑張る女性の若手。

どこにでもありそうなこの構図に光を当てているのは
①清々しいほどの努力する女性の姿
②若手が田舎っぽい女から奇麗な女性に昇華している
ことだと思う。

おそらく女性の仕事への不満の8.5割は、自己評価の高すぎと努力の怠りにあるのだが(言い過ぎかもしれない)、①に見られる清々しさは現代にあって非常に稀有に映る。

そしてもっと重要なことに、この主人公が美しく変貌したことにこの物語の重要性はある。これが野暮ったい女のままだったら絶対に成り立たないのだ。

という意味で、美貌の良くない女性にはどうしても退場願わなければいけない。とはいえ、女性の8割は自分のことを「まずまず」と思っているが。こう書けば殺されるだろう。

ぜひ、気になる男性を一緒に連れて観てみてほしい。
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# by fastska | 2006-12-14 22:57 | 映画エイガえいが
ビジネス新定義集~従来用語を批判する
==「仕事ができる(しごとができる)」==

ビジネスマンにおける「仕事ができる」とは、「論理性」と「論理なき事象であっても周囲を納得させる能力」を兼ね備えていることである。
論理なき説明は身を滅ぼし、論理のみの説明は人間味を喪失する。もう一つ付け加えるならば、筆頭は「事務処理の速さ」である。


==「交渉(こうしょう)」==

当初に条件を明確化しておけばよかったところを曖昧なまま進めたため生じた乖離に対する後始末のこと。また、その対策。
取引したくない企業や相手とは取引しなければよいだけなのに、どうしてもそこ取引せざるをえないため、理屈外の領域で相手を了解させる必要が生じる。
これほどコミュニケーションツールが発達した現在であっても、対面する交渉を第一に考える人も多い。ときとして対面する交渉は有効であるが、何事でも何時でも対面を第一と考えることは、単にJRを儲けさせているだけである。
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# by fastska | 2006-12-06 22:59 | 青春記・旅・思想