緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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恋はいつも未知なもの
ちょっと思うところあって、恋愛小説を集中的に読破中。

2冊目の執筆も目処がつき、3冊目に移行しようとしているところだが、「いかに人を感動させるか」を恋愛小説からヒント得ようとする試み。

それにしても江國香織もはじめて読んだよ。あたしゃあ。そう、唯川恵も森瑤子も。

表現しだいで与える感情を異ならせるということはすごいことだ。
身近な表現も変えてみよう。

2歳児:「うむ。確かに、私の年齢は2歳と言えなくもないし、それを否定するア・プリオリな根拠もないように思われる」

とか

浮気がバレた男:「ええ、確かにそのような行為がありうると思う所存ではありますが、その疑惑払拭に善処する気持ちを再確認したところでございます」

とか。

だいぶ感じ方が違うものね。
日々勉強である。
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# by fastska | 2007-07-01 23:36 | 性セイせい
あややの才能に嫉妬する
通常「すごいなあ」とは言わないぼくは、おそらく他人の才能を認めるのがイヤなんだと思う。きっと、「すごいなあ」と言うことで、自分のことをたいしたことがない奴だと思われるのが嫌いなんだ。

そういう心の狭いぼくであっても、あややの才能にはビビった。いや、正確にはあややじゃない。あややを、書いた人の才能だ。
http://goldnet.ii2.cc/paint/oekakibbs/06/ix/-/All/1436/

上の画像を見て、写真じゃなく、手書きの絵であることを素直に納得できる人がいるだろうか。これこそ、ぼくにとっては「凄」すぎて、嫉妬とかそういう心を忘れさせてくれる。

実はぼくも絵を書くし、種類は全く違うのだけれど、こういう優れた作品を見せられると久々に創作意欲がわいてくる。優れた作品には、確かに心を打つ「何か」があるようだ。
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# by fastska | 2007-07-01 23:36 | 青春記・旅・思想
所得格差と恋愛格差
まだ格差社会の論争が続いている。もう止めたらどうか。

この前のニュースでは、「低所得者300万円のケースと、高所得者1,000万円のケース(同じく33歳)」が報じられていた。

正直、この程度が問題なのか分からない。おそらく、次のことは言えるだろう。この格差はもっともっと開いてゆく。給料格差よりも能力格差の方が現在ではまだまだ大きいからだ。優秀な人と、そうでない人の能力差がたかが3.3倍ということはありえない。

例えば、恋愛格差がある。想像してみれば分かるとおり、例えば20歳そこそこでモテる男性が、全くモテない男性と比して、3倍程度しか優位性がないとは思えない。おそらく、モテる男性が10人から好かれている間に、全くモテない男性には一人も女性が寄り付かないだろう。

男性であれば、とても美人で性格の良い女性と月に5回セックスすることは、金銭的に5万円以上の精神的な価値があると理解できるだろう。女性であっても、かっこいい男性と精神的にも交わえたなら、かなりの価値を持つだろう。

恋愛格差は「しかたないこと」として放置されてきた。そして、所得格差はその徹底した平等ぶりの反動として非難されてきた。例えば、「ブ男にも国家が支援して、美女と月に3回まではセックスをさせよ」という論を唱える人がいたとしたら、狂人と思われるだけだろう。それと、所得格差是正論の間にどんな本質的差異があるだろう(生活のためだ、とは言うな。他国と餓死率を比較してみよ)。

誰か恋愛格差調査を実施せよ。
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# by fastska | 2007-04-11 21:48 | 青春記・旅・思想
雨の日の死亡通知
雨の日に、そっと、昔お世話になった人の死亡通知が来れば、誰だって思案家になる。

昨日、携帯のメールに知り合いから「○○さんが死んだ」という連絡が来た。その人は昔の上司であり、その思い出は様々な形で文章にしている。

仕事の基礎を教えてくれた人、というだけではなく、いかに生きるかという青臭いことも教えてくれた人であった。

そんな人の死亡通知を雨の日に受け取る気分とはどんなものであるだろう。

入社したとき。言ったことは守れとか、時間には遅れるなとか、仕事は早くやれとか、学び続けろとか、誇りを持てとか、そういうことを言われると思っていたぼくに対して、一言「自分の決断に責任を持てる男になれよ」とだけ言った、あの人。

ぼくはその言いつけを覚えていたから、会社を辞めるときにも「引き止めて欲しいな」とかいう甘えを持たず、さらに最後の日にどんなに哀しくても泣かなかった。

でも、本当は去りがたい気持ちもあったし、なぜか哀しい気分でいっぱいだったあの日。それでも、あの人だけは何も言わずかたい握手をしてくれたっけ。目には涙をためていたように見えたのも気のせいかもしれない。

だけど、と思う。ここにいるのは、以前のままの情けない、いやらしいままの自分だ。あの人は遠くからぼくを見て何と言うだろう。その寡黙の中に静かな真実を述べるさまを、また見てみたい。

雨の日に可能ならば。
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# by fastska | 2007-04-08 23:08 | 青春記・旅・思想
選挙に行ってはいけない
統一地方選が近づいている。そこで繰り返される「投票に行こう」のスローガン。その中には「投票に行く=善」というイメージしかなく、投票の行為が義務ではなく、権利であることがすっぽりと忘れ去られている。

これまでの歴史を見ても、投票率が高かった選挙は誤った選択をしている。小泉劇場型選挙を見よ、あるいは細川政権を誕生させてしまった選挙を見よ。

まさに、投票さえすれば、結果がどうでも良い、といわんばかりの愚挙ではないか。投票を義務的に勧める人は次の疑問に真摯に答える必要がある。
1).投票の権利をなぜ0歳からにできないか?
 →判断能力がない、というのであれば成年の精神障害者は剥奪すると言ってよいか。それであれば、政治無関心の成年から選挙権は剥奪できるか。
2).投票の権利をなぜ売買できないか?
 →電話加入権が自由に売買できるのに、自分の投票権を販売できない究極的な理由は何か?それを買い占める経済的強者が勝者となりうる、というのであれば、なぜそう分かっていても売りたい自由を侵害できるのか。

ということで私は信念として投票に行かない。労組が何を言ってきても、私は「ではクビにしてくれ」と言い張っている。

良かったね!投票は放棄しよう!
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# by fastska | 2007-04-05 22:48 | 青春記・旅・思想
最近の年寄りは礼儀がなっていない
今日も出版社へ原稿の最終ゲラを送付する。まるで作家みたいだ。でも、作家では断じてない。

最近、こういうことをやっているからか様々な年代の人たちと触れ合うことが以前に増して多い。そこで目に付くのが、老年者のマナーの悪さだ。平気で人の話を遮る。仕事が遅れても謝らない。人の邪魔をしても、それが自分の流儀だと言い張る。公共の場で騒がしい。

かつては、「最近の若者はなっとらん」という発言に、同じ若者の立場から賛同したぼくだけれど、どう見ても客観的には年寄りのほうが「なっとらん」。

若者は、言いたいことも言えずにモジモジしている人ばかりで大変奥ゆかしい。それに対して、年寄りは平気で大声で電車の中で話すし、並んでいる列も守らない。

結論じみたことを言うつもりはないが、これからは「年寄りがいかに役に立たないか」が明確化してしまう哀しい時代ではないか。かつて情報に不平等があった時代は、それなりに年寄りに「伝承」という役割があった。しかし、それが今ではもうない。そこには、「若者よりも騒がしい老害」がただあるだけだ。

加齢することは簡単だ。だけど、加齢とともに、その重みだけ自分の重みを増すことは大変難しい。
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# by fastska | 2007-03-28 23:02 | 青春記・旅・思想
自分探しのパラダイス
土曜日も出版社で次の書籍の打ち合わせ。

ところで、本を出すことになってから、周囲の反応で面白いものがあった。それは「いいですねえ、私もいつか自分のことを書いてみたい」とか「自分の意見をたくさんの人に届けられて良いですね」とかいうものだ。

ここには誤解があるようだ。正直いって、これは「ビジネス」である。だから、「自分のこと」とか「自分の意見」とかは書く必要がない。いや、もちろん、それはぼくも書いている。だが、読者が面白い(そして、それ以前に編集者が面白い)と思ってくれるように書く。自分が本当にそう思っているかどうかは関係がない。読者や編集者にとって新しいもの、と思われるように、読んでいて愉しいと思われるように、書く。これが前提だ。

こんなことを書くと、拒否反応を示す人がいる。「書籍」とは、まだどこか自分の生きてきた証明かのように感じる人がいるらしい。でも、繰り返しだが、これはビジネスである。凡庸な自分の意見を書きたいように書くのではない。愉しませるように、エンターテイメントとして書くのが基本である。

そこには、「自分探し」などという甘ったれたものはない。最近、仕事を通じてまで自分探しをしようとする奴がいるが、それ以前にビジネスとして成り立たせるようにしたほうがずっといい。そういうことだけ意識していた方がずっといい仕事ができる。

これまでの名作とは、「読者にウケるもの」を第一に狙ったかものでありながら、その制約の中で自己の思想を好き勝手に書いていると思わせるものである。それは、真の好き勝手ではない。それでは買ってくれる人などいるものか。

ということで校正作業に戻る私。
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# by fastska | 2007-03-28 23:02 | 青春記・旅・思想
やれないことは、ない、多分
多くの人が「こうやりたい」と願うことと、「実際にやる」ということの間にギャップがあることは、いつも驚かされる。

どうもこの辺がぼくがズレているところらしいのだ。

あるとき、ぼくは「外国で本を出したい」と思った。英語で。だから、ぼくはすぐにAmazon.comに英文でその旨を送った。そうしたら、すぐに出版できることになった。シルクロードを歩きたい、と思ったらすぐに友人と旅行にいく予約をした。ある社長とお会いしたいと思ったので、すぐに連絡した。お会いでき、実は(なんと)4冊目の出版が決まりそうである。

ということを書くと、ある種の人には自慢に聞こえてしまうらしい。わはは。以前の日記(「すごくないのに「すごい人」と呼ばれる人」)を読んだ人から、「いやらしい」という感想をもらった。ここで、「自慢ではない」と書いても無意味だろうから止めておく(と言いながらそう書いている)。わはは。

ただ、よく分からないのは、「やりたい」と思っているなら、すぐに実行に移せばよい、という簡単なことにすぎない。多くの人と話していて、「いつかこんなことやりたいんですよね」という内容のほとんどは、すぐにやってみれば実現可能なことばかりだ。「いつかこういう仕事をしてみたい」と言う人はなぜすぐにその業界にアクセスしないのか。知り合いがいなくても、会社の代表メールアドレスくらいHP見れば分かるのに。どうもここら辺がぼくのズレているところらしい(繰り返しだが)。

たまに、「忙しいので、なかなか」と言う人がいる。メールを打つのは5分で済む。ということを言っても、その人はやろうとしない。おそらく、人間には生まれたときから、ある種のエネルギィが規定されているだろう。できない人は、いつまで経ってもしない。それはそれで良き人生を送っていただければよいから、否定はしない。

人生に必要なのは、能力でもスキルでも、経験豊かな見識でもなく、単に「やりたいことを試しにやってみる」という無神経さではないか。
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# by fastska | 2007-03-21 23:23 | 青春記・旅・思想
ぼくらの共通喪失物語
ぼくらは共通の喪失体験を持っている。

学生時代に見た空。これが永遠に続くと、ずっと思っていた。あのころには全てがあった。友人と楽器と恋人と、見知らぬ土地、果てのない書籍。それらの奥深さと未知の世界を知りたいと思った。それらの全てが抗しがたい輝きと圧倒さを持っていた。

就職して見たのは、努力しても報われない現実だった。どうやっても、会社の全体業績は上がらず、日本はどん底にいた。もう回復することすらないと言われた。ジャパンバッシングは通り過ぎ、日本など相手にせず、という世界の風潮があった。

ぼくらは共通の喪失体験を持っている。

しかし、ぼくらはただ若い、という事実のみで前に進む無能さに満ちていた。自分の可能性を信じ、全てを吸収し、自己を奮い立たせ、見るもの聞くものが新鮮だった。ときには多くで集まって笑い、悲しみ、社会の事件をまるで自分の一大事のことのように論じる無意味さに満ちていた。しかし、その果てにあったのは、経済の繁栄なき停滞感であり、そこには老年者を疲れさせる虚無感に満ちていた。

ぼくらは共通の喪失体験を持っている。

今、日本経済が復活した、と言われる。しかし、ぼくらが経験しているのは、歴史が語るバブル時のような煌びやかさも可憐さもない、実感のない数字上だけの成長だけだ。この点では、明らかにバブルを通過した世代と乖離している実感しかない。ぼくらは、実感のある「停滞感」と、実感のない「躍動感」だけを胸に秘めている。

ぼくらは共通の喪失体験を持っている。

ぼくは世代論を語るのは好きではない。ぼくが好きなことは、一人のときにふと眺めた空だけだ。

ぼくは思い返すのだろうか。この空をかけがえのない思い出として。そして、そのときのみが輝いていたように。

そして、あのとき、この空がずっと続くと思っていたころのように。
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# by fastska | 2007-03-19 22:19 | 青春記・旅・思想
すごくないのに「すごい人」と呼ばれる人
自分の経験から。通常であれば、「4ヶ月かかるだろう」と言われていた書籍の執筆を、「いや、200ページなら1ヵ月半でしょう」と宣言し、本当にその通り送付したら編集者に驚かれた。子供の頃、「これを覚えろ」と言われたことを、全て覚えていったらテストで満点になり、それを続けるうちに「頭がいいな」と言われた。大学生の1年生のとき、大学院に行こうと思って教授に相談し、「読んだ本のレポートを出しなさい」と言われ、出し続けていたら、「そんなことができるなら大学院に行く必要はない」と言われた。社会人になったとき、「仕事の基礎」がなんなのかを教えられ、必死に1年で全て覚えて一人で仕事をこなしていたら「仕事ができる奴だな」と言われた。

思うに、世間で言われる「すごい奴」とはこの程度をやっているにすぎない。「こういうことやんなきゃね」と一般的に言われていることを単にやっているだけなのだ。これが「すごい」とは、すごさも甘く見られたものである。

ぼくの見た本当に「すごい人」とは、そんなんじゃない。普通の人間に見えて、会話の端々に出てくる、あまりにも些細な一言の切れ具合が恐ろしい。どうやってそんな言葉を拾ってきたのだろう、しかも無意識に、と驚愕させられる。その分析能力にも通常の人は気付くことはないけれど、深く、そして本質をえぐっている。それはまさに、その人の蓄積的人生をかけた営みの果てにしかありえないものだ。でも、それをさらっとやる。しかも何回も。ああ、そういう人に会ったときの恐さといったら。

語り口は優しいものの、その一言一言が自分を試しているような、そんな逆説に満ちている。「お前が通ってきた道はどんなものだ。それは、俺のこれまでの人生に勝っているのか」という問いを投げかけられているような、そんな圧倒さを持っている。

分かる人いますかね。
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# by fastska | 2007-03-18 22:37 | 青春記・旅・思想
感情裁判国家の華やかなる幕開け
土曜日、取材。日曜日、出版社からの宿題をこなす。それにしても、ぼくの家の周りには良き喫茶店がない。良き喫茶店があれば生産性はどれだけ上がるだろう。そして、ヒマなうちに美容室へ。あまりに、少年っぽくなってしまって、これはいけない。そして、自己への宿題の読書を4冊。

それにしても、ホリエモンの裁判の感想は笑ってしまう。「反省の色がない」という主張ばかり。それは、どこまでいっても主観である。客観としての事実をとらえようとせず、態度だけ、感情だけで裁いてしまった事実を、「あの態度じゃ監獄行きだわ」という大衆のコメントで正当化する愚かさ。こんな国で個性など育つものか。

誰か、ホリエモンの罪の重さと違法性をまともに論じることができる人はいるのか。それを、かつてテレビ局がやったような粉飾決算との本質的な違いを感情抜きで説明できる人はいるのか。

これまで日本は嫉妬社会--しょうもない大人ばかりの社会--と言ってきたが、そうではないようだ。司法までそれに加担してしまう。これは、まさに感情裁判国家の華やかなる幕開けと言ってよいだろう。おめでとう。
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# by fastska | 2007-03-18 22:09 | 青春記・旅・思想
NHK議論を批判する~NHK受信料支払拒否をゼロにする方法
NHKの議論が盛んだ。

なんでもその議論では、「受信料の支払い義務を法定化する代わりに、受信料を2割下げろ」という総務相に対して、NHKは「受信料の下げは絶対に無理だ。このままで受信者に賛同を得られるようにしてゆく」と反論している、といわれる。

この議論は的を射ていないものである。

なぜなら、受信料支払いの拒否者を0%にする方法がもっと簡単であるからだ。

そもそもNHKが「受信料は下げられない」というとき、そこには財政の厳しさと、その対価相当の番組を作成しているという自負がある。

ならば、受信料を2割下げなくても、NHKの受信を望む契約者のみに配信する方式を開発すればよい。受信機を配布したとしても、まちがいなく、2割下げるよりも「安く」あがる。しかも、クレジット方式にすれば支払いの防止もほぼ防げる。

考えても見れば、頼んでいないものを送りつけ、あとで自宅に押しかけ恫喝する通販業者がいたら、あなたはどうするだろうか。そこには自由契約の精神のカケラもない。NHKはこの例のままだ、とまでは言わないまでも、根本的に異なるところは何だろうか。分からない。

教育番組などがあるから、少数の視聴者に対するものであっても国民全体が負担すべきだ、という人はおそらくネットを通じて学ぶ人口の爆発的増加とその安価さなど知りもしないのだろう。
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# by fastska | 2007-03-03 15:21 | 青春記・旅・思想
全体論議を批判する~女性・格差・天皇
最近、あるBlogを愛読している。女性の知り合いの書いているものだ。だから、愛読とは皮肉かもしれない。

そこには、様々な世の中への葛藤が書かれている。ときには、女性が働きにくい社会を批判しており、ときには格差社会を批判し、女性天皇制が成り立たない日本社会への嫌悪も書かれている。

それらは、友人だから興味を持って読めるものの、「友人だから」という前置きなしには読めない空虚さが充満している。

なぜだろうか。

おそらく議論と個人の間にあまりにギャップがあるからだ。全体論としての社会を語るのはたやすい。しかし、そこには「彼女が書かねばならない」という必然性がない。そして、議論に実感がない。

大変申し訳ないが、ぼくは普段暮らしていて「格差社会」などというものを実感したことはない。ずっとずっと無能な人たちにも高給が支払われているし、フリータの友人は毎日が楽しそうだ。

いや、存在否定ではない。それを怒りに変換するには、あまりに実感が伴わない、ということだけだ。しかも、書く内容が「世の中で一般的に言われていることを単になぞっただけ」か「独り言のような日記調」であれば、繰り返しだが友人だから興味を持って読めるという程度でしかない。

女性天皇制についても、正直ぼくの実感では、あのような立場に女性を立てることがさも一大事のことであるかのように騒ぐことはない。日本式の古き伝統の立場に、あえて女性を立てる、その反動と保守性にはぼくはまいってしまう。

藤田省三の流れを汲んで言うのであれば、現在の天皇制の報道は、アイドルの熱愛報道と変わるところはない。その事実を前に、何をいまさら「開かれた天皇制へ」か。

おそらく、「自分で考えたこともない」のに「とりあえず発信する」というBlog文化は、数年以内に行き止まりを迎えるだろう。それは、Blogが終焉する、ということを意味しない。活字やメッセージとしてのBlogが、単なる文字の羅列、いや便所の落書きを覗く趣味人集めのツールとして活用されるだろう。もちろん、数少ないプロの書くものはその限りではないし、その程度の「格差」であればぼくも実感している。

実はその便所の落書きであるということを前提に、当初からネットワークビジネスと出会い系のみを主目的としていたアメリカのSNSのしたたかさには感心せざるを得ない。
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# by fastska | 2007-02-24 06:11 | 青春記・旅・思想
友人主義を批判する
子供の頃に聞いた「友達100人できるかな」というフレーズに違和感を覚えてきた。

そこには、友達が多ければ多いほど良い(100人とは「多いこと」の比喩)ということが無批判に賛美されており、嫌悪感を抱かずにはおられなかった。

おそらく、その頃からだっただろうか。休日をびっしり友人たちとの用事で埋めている人のことを非常に疑わしく思ってきた。その裏返しとしてあるのは「寂しさ」であり、ただただ時間つぶしを「友人達」(「」付きであることに注意せよ)と過ごして、寂しさを紛らわせる、ということ以外にない。

あるいは、こういうことだろうと思う。友達が多いと自慢している人は、単に「誘いやすいだけの人」ではないか、と。こういう仮説を立ててみると、ほとんど上手く説明できる。

運良く、ぼくは「言いたいことを言い、やりたいことをやる」という性格に恵まれた。だから、「その程度のことで離れていってしまう人たち」とは付き合わないでよい、という幸運にめぐり合っている。

考えてもみよ、人生は有限だ。これだけ、やっていないことが多い中で表面的な友人たちとのみ過ごす時間がどれだけあるというのか。唯一ぼくが認めたいのは「大切な人」との時間である。これは、自分自身に大きな安堵感をもたらす。しかし、不用意な友人はこの限りではない。

自分ひとりでも生きてゆける。こう思っている人同士の間にしか本当の友情など芽生えないのではないか。この意味が分かるか。分かってくれると嬉しい。と、考えるとほとんどの人は真の友人にめぐり合えることは稀である。100人などと言えることはない。

ぼくはもう一つ幸運なことに、「お互いを尊敬できる人たちとしか付き合わない。しかも、対面するのは数ヶ月に一回」という状況に恵まれている。友人だからといって、間違ったことも批判できず、正しいことも捻じ曲げてしまうような間柄にどうやって友情がありうるだろうか。

ぼくが付き合っている人たちに「すごいなぁ」と単純に思うことは、これほど年下の人間に対して平等に扱ってくれる、ときには敬意を払ってくれる、ということだ。ぼくが年下の人にあれほど敬意を払えるだろうか、と思うと恥かしくなる。だが、「年下だから」「若輩者だから」という理由だけで敬うことを止めてしまう社会にどうやって個性が芽生えるだろう。

どうやって友情など芽生えることがあるだろう。
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# by fastska | 2007-02-12 23:06 | 青春記・旅・思想
世界一の金持ちになってみろ!!~貧乏主義を批判する
ぼくは人の意見を聞いて「なるほどなぁ」と思うことが少なくない。

しかし、そういうぼくであっても「これは違うだろう」ということがある。それは金銭に関わることだ。

嘘1.「金がありすぎて有り余ったら、つまんないだろうなぁ」
嘘2.「金儲けばかり考えていたら人間がダメになるね」

嘘1.を言う人の中に金持ちはいなかった。逆に、本当の金持ちは、金が余っているくせに、それに甘えずにもっともっと働いていた。

つまんなそう、という感じは全くない。むしろ、成功が成功を呼んでいるような、そんな感じしかなかった。この応用の嘘として「金は、暮らしてゆけるくらいあったら、それでいいよね」というものがある。なぜ、それ以上の金を持ち合わせたこともないのにそんなことが言えるのだろう。

どうやらここには「信じないといけない嘘」という種類のものがありそうだ。それが本当に人に必要なものかどうかまでは今のぼくには分からない。

それよりも罪が大きいのは嘘2.だ。この世に利己的な人以外がどれほどいるというのか。ぼくはこういう発言に、どうも道徳的な「下品さ」を感じる。そこには、自分は高潔であり続けている、という根拠なき自信がある。

金儲けが汚い、という人は自分の汚さに自覚的ではないような気がする。金儲けが汚い、というのは勝手だけれど、そういう人ほど日々の支払に汚い気がする。これはぼくの経験だけからかもしれないが。

なぜ、みなもうちょっと自分の欲望に正直にならないのだ、と思う。この発言が拒否感を呼べば呼ぶほど、逆説的にそう思う。だって人間が拒絶するのは、ほとんどの場合、その因子が自分の中にあることだから。

アメリカ人に学びたいのは、ある種の「楽観さ」である。金儲けをして、さっさとボランティアに走る。金儲けの批判をするなら、400万円の仕事に甘んじるのではなく、4000万円稼いで3600万円を寄付せよ、とぼくなどは思う。

違いますかね?
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# by fastska | 2007-02-10 22:45 | 青春記・旅・思想