緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
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全体論議を批判する~女性・格差・天皇
最近、あるBlogを愛読している。女性の知り合いの書いているものだ。だから、愛読とは皮肉かもしれない。

そこには、様々な世の中への葛藤が書かれている。ときには、女性が働きにくい社会を批判しており、ときには格差社会を批判し、女性天皇制が成り立たない日本社会への嫌悪も書かれている。

それらは、友人だから興味を持って読めるものの、「友人だから」という前置きなしには読めない空虚さが充満している。

なぜだろうか。

おそらく議論と個人の間にあまりにギャップがあるからだ。全体論としての社会を語るのはたやすい。しかし、そこには「彼女が書かねばならない」という必然性がない。そして、議論に実感がない。

大変申し訳ないが、ぼくは普段暮らしていて「格差社会」などというものを実感したことはない。ずっとずっと無能な人たちにも高給が支払われているし、フリータの友人は毎日が楽しそうだ。

いや、存在否定ではない。それを怒りに変換するには、あまりに実感が伴わない、ということだけだ。しかも、書く内容が「世の中で一般的に言われていることを単になぞっただけ」か「独り言のような日記調」であれば、繰り返しだが友人だから興味を持って読めるという程度でしかない。

女性天皇制についても、正直ぼくの実感では、あのような立場に女性を立てることがさも一大事のことであるかのように騒ぐことはない。日本式の古き伝統の立場に、あえて女性を立てる、その反動と保守性にはぼくはまいってしまう。

藤田省三の流れを汲んで言うのであれば、現在の天皇制の報道は、アイドルの熱愛報道と変わるところはない。その事実を前に、何をいまさら「開かれた天皇制へ」か。

おそらく、「自分で考えたこともない」のに「とりあえず発信する」というBlog文化は、数年以内に行き止まりを迎えるだろう。それは、Blogが終焉する、ということを意味しない。活字やメッセージとしてのBlogが、単なる文字の羅列、いや便所の落書きを覗く趣味人集めのツールとして活用されるだろう。もちろん、数少ないプロの書くものはその限りではないし、その程度の「格差」であればぼくも実感している。

実はその便所の落書きであるということを前提に、当初からネットワークビジネスと出会い系のみを主目的としていたアメリカのSNSのしたたかさには感心せざるを得ない。
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by fastska | 2007-02-24 06:11 | 青春記・旅・思想
友人主義を批判する
子供の頃に聞いた「友達100人できるかな」というフレーズに違和感を覚えてきた。

そこには、友達が多ければ多いほど良い(100人とは「多いこと」の比喩)ということが無批判に賛美されており、嫌悪感を抱かずにはおられなかった。

おそらく、その頃からだっただろうか。休日をびっしり友人たちとの用事で埋めている人のことを非常に疑わしく思ってきた。その裏返しとしてあるのは「寂しさ」であり、ただただ時間つぶしを「友人達」(「」付きであることに注意せよ)と過ごして、寂しさを紛らわせる、ということ以外にない。

あるいは、こういうことだろうと思う。友達が多いと自慢している人は、単に「誘いやすいだけの人」ではないか、と。こういう仮説を立ててみると、ほとんど上手く説明できる。

運良く、ぼくは「言いたいことを言い、やりたいことをやる」という性格に恵まれた。だから、「その程度のことで離れていってしまう人たち」とは付き合わないでよい、という幸運にめぐり合っている。

考えてもみよ、人生は有限だ。これだけ、やっていないことが多い中で表面的な友人たちとのみ過ごす時間がどれだけあるというのか。唯一ぼくが認めたいのは「大切な人」との時間である。これは、自分自身に大きな安堵感をもたらす。しかし、不用意な友人はこの限りではない。

自分ひとりでも生きてゆける。こう思っている人同士の間にしか本当の友情など芽生えないのではないか。この意味が分かるか。分かってくれると嬉しい。と、考えるとほとんどの人は真の友人にめぐり合えることは稀である。100人などと言えることはない。

ぼくはもう一つ幸運なことに、「お互いを尊敬できる人たちとしか付き合わない。しかも、対面するのは数ヶ月に一回」という状況に恵まれている。友人だからといって、間違ったことも批判できず、正しいことも捻じ曲げてしまうような間柄にどうやって友情がありうるだろうか。

ぼくが付き合っている人たちに「すごいなぁ」と単純に思うことは、これほど年下の人間に対して平等に扱ってくれる、ときには敬意を払ってくれる、ということだ。ぼくが年下の人にあれほど敬意を払えるだろうか、と思うと恥かしくなる。だが、「年下だから」「若輩者だから」という理由だけで敬うことを止めてしまう社会にどうやって個性が芽生えるだろう。

どうやって友情など芽生えることがあるだろう。
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by fastska | 2007-02-12 23:06 | 青春記・旅・思想
世界一の金持ちになってみろ!!~貧乏主義を批判する
ぼくは人の意見を聞いて「なるほどなぁ」と思うことが少なくない。

しかし、そういうぼくであっても「これは違うだろう」ということがある。それは金銭に関わることだ。

嘘1.「金がありすぎて有り余ったら、つまんないだろうなぁ」
嘘2.「金儲けばかり考えていたら人間がダメになるね」

嘘1.を言う人の中に金持ちはいなかった。逆に、本当の金持ちは、金が余っているくせに、それに甘えずにもっともっと働いていた。

つまんなそう、という感じは全くない。むしろ、成功が成功を呼んでいるような、そんな感じしかなかった。この応用の嘘として「金は、暮らしてゆけるくらいあったら、それでいいよね」というものがある。なぜ、それ以上の金を持ち合わせたこともないのにそんなことが言えるのだろう。

どうやらここには「信じないといけない嘘」という種類のものがありそうだ。それが本当に人に必要なものかどうかまでは今のぼくには分からない。

それよりも罪が大きいのは嘘2.だ。この世に利己的な人以外がどれほどいるというのか。ぼくはこういう発言に、どうも道徳的な「下品さ」を感じる。そこには、自分は高潔であり続けている、という根拠なき自信がある。

金儲けが汚い、という人は自分の汚さに自覚的ではないような気がする。金儲けが汚い、というのは勝手だけれど、そういう人ほど日々の支払に汚い気がする。これはぼくの経験だけからかもしれないが。

なぜ、みなもうちょっと自分の欲望に正直にならないのだ、と思う。この発言が拒否感を呼べば呼ぶほど、逆説的にそう思う。だって人間が拒絶するのは、ほとんどの場合、その因子が自分の中にあることだから。

アメリカ人に学びたいのは、ある種の「楽観さ」である。金儲けをして、さっさとボランティアに走る。金儲けの批判をするなら、400万円の仕事に甘んじるのではなく、4000万円稼いで3600万円を寄付せよ、とぼくなどは思う。

違いますかね?
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by fastska | 2007-02-10 22:45 | 青春記・旅・思想
仕事と代替性のなさ~自分を批判する
朝アメリカから電話がかかってくる。もし電車の中でかかってきていたら相当イヤな奴だろう。いや、理由はわからないけれど、朝っぱらから英語で何か話している奴がいたらイヤミっぽい。

そんなことはどうでもよかった。電話がかかってきて仕事の話を簡単に済ませる。本来ならば、ぼくに直接かかってくる種類の話ではない(つまり、普通は上を通してかかってくるだろう、ということ)。

ぼくがこれまで心がけてきたこと「絶対いわない言葉」は次の通りだ。

・私では判断しかねるので上を通して下さいませんか
・忙しいので、できません
・それは私の仕事ではありません

そうこうしていると、誰でもぼくに電話をかけてくる。これは本当によいことだ。周りからは「やめとけよ」といわれることもあるけれど、ぼくは愉しんでやっている。というか、これまで本当に「忙しい」と思ったことがない。いや、「ああたくさんやることがあるな」と思うことはたくさんあるけれど、本当の意味で「忙しくて練る暇も無い」ということがない。

しかし、最近支障をきたすことがある。

(1)ヒマそうにしている、とそのままの意味で捉えてしまう人が出てきた
(2)一人で勝手に決めすぎるという批判が出てきた
(3)下の人にスキルがたまってゆかない

(1)は「忙しい」と言わないので、それはよいのだけれど、「あいつはヒマだ」とそのままの意味でとらえちゃう人がいる。これは、ぼくの本来狙っていた方向と微妙に違うのでややこしい。しかし、これはしかたないか。

(2)は、会議とかで決めた方がよいということなのだろう。たとえ結論が全く一緒でも。いや、会議で決定しても、ぼくが単独で決めた場合と絶対に同じ結論になる。ほとんどの人は、強い意志を持っておらず、その場合は一人の意思に簡単に負けてしまうからだ。とはいえぼくは最近、徐々に日本式を受け入れている。それが文化ともいえるべきものだし、あまり自分に不利なことばかりやっても仕方がない。

(3)は最大の問題である。人は代替性のなさが生きがいの本質である。自分しか頼られる存在がいない、ということは最も誇らしいことで手放したくない状況だ。だから--、人は過去の実績に常に懐疑的であらねばならない。それを自分で実践することはいかに難しいか。

とここで記憶はまたアメリカで見た空に戻る。
空をゆっくりと見上げるなんてどれくらいぶりだろう。
星は寒さで、どこかに隠れている。
月は汚れた顔を恥かしげもなく、どこかの悪童のようにさらしている。

人間の複雑さと果てのない深さ。
これからもぼくは自分を否定し続けることができるだろうか。
否定の後に、次への新たな自己を築き続けることができるだろうか。

やる気、は人間の本質とは関係がない。
やる気がなくても行動さえすればいい。結果がついてくる。
こういうことは経験的に知っている。

ただ、ひとつだけ分かっていることがある。
何も知らなかったころ。仕事を始めて覚えたり、社会人という名の儀式を覚えていたころ。
そこに戻れることは、もうない。
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by fastska | 2007-02-10 08:19 | 青春記・旅・思想
そして使い捨てられる君たちよ~格差批判を批判する
こういうことを書くと冷たい奴だと思われるだろう。でも、書いておこう。

ここ最近、二人の友人から近況報告のメールをいただいた。

一人は、フリーの編集者を目指して上京した奴。彼は、朝6時起きで下請の仕事をすることも当初は「まあ最初はこんなもんだよね」と言っていたけれど、今年諦めて再就職することになった。もちろん、就職先は学卒で普通に就職できるところよりもずっと条件が悪い。

もう一人も同じようなものだ。美容師として店を持ち成功しようと頑張ったものの--、今年敢え無く借金を抱えて挫折。また、低賃金の雇い美容師として再スタートを決めた。

夢--、という言葉が最近どれほどもてはやされているだろうか。実はぼくもこの言葉を忘れないように周囲に勧め、そして自分自身も恥かしげもなく持ち続けている。

しかし、同時に持っておかねばならないのは、「夢の下に隠れた想像を絶する努力を成功者は継続している」という認識だ。

浅田彰(もう誰も知らないだろう、80年代に若者をアジったおじさん)が「逃げろや逃げろ」と既存システムからの脱却を勧めたとき、あたかも若者には「既存のシステムから脱するだけでよいのだ」という印象を与えた。そのとき、実は浅田が数万冊の本を読み、外国語にも堪能である、という事実をもってやっと既存のシステムから脱却できるのだ、という考えてみれば当然の事実はすっぽりと抜け落ちていた。

夢、というものを持つときに重要なのは徹底して冷酷な現状把握だ。自分が社会に出たときに売れるものは何か。それを買ってくれる人はいるのか、その対価はどれくらいか、その先で自分に足りないことは何か、それをいかに充足してゆけばよいのか、それは今後のキャッシュフローに耐えることのできる支出で済むのか。

夢、というものを持って組織に飛び込むとき、経営者も夢を持っていることを忘れてはいけない。それを忘れていれば、その強さに押されて使い捨てられるだけだ。それは、雇用というものの必然である。

もちろん夢を持ち続けるのは良い。しかし、そこに将来の戦略はあるか。自分の実力を冷静に見つけた上で、あくまでその上で、途方もない夢を語れる厚かましさと行動力を持っているか。

ぼくの夢は本を出すことだった。じきに出るそれの200ページを書くために600ページの元案を書いた。関連図書を100冊読み、遠くの図書館にも出かけ、トップランナーに取材もした。文章を参考にするために600冊ほどを読み返してみた。もちろん、この期間中はほとんど寝ていない。いや、自慢をするわけじゃない、それくらいのことは愉しくできるくらいの当然さが求められている。

夢を実現するのは簡単だ。だけど、その厳しさに自覚的な人はどれほどいるのか。
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by fastska | 2007-02-05 22:09 | 青春記・旅・思想
人間はwebで第二の人生を夢見るか~ポスト・ポスト資本主義批判
セカンドライフというオンラインゲームをご存知だろうか。アメリカにこの前行ったときには、このゲームが大人気だった。一言でいえば次世代SNSである。サイバースペースに自分のアバターを住ませ、そこにいる二百万人と触れ合うことのできるゲームだ。通常のSNSが自分のページを介してコミュニケーションを行うのに対してセカンドライフでは、自分のキャラクターを動かしてコミュニケーションを行うのが目新しい点である。

ライフスペース上では、サイバースペースの中でビジネスを行うことが可能だ。しかも、貯めたお金で車を購入することもできる。もちろんサイバースペース上の、だが。それでもなお、実際の世界で購入できない車を乗り回すのは快適なことらしい。実際のお金とセカンドライフ上のお金をコンバートすることもできる。中には実際のお金を借金してまでセカンドライフ上で散財してしまう例も多いと聞く。

ぼくは正直このセカンドライフに新しい資本主義の拡大を見て取らざるを得なかった。つまり、アメリカという国は消費のはけ口をついに仮想世界上に見つけてしまったのだ。自動車産業に代表されるものづくりから、ITや金融に代表される虚業たち。そのあとは、ついにマネーの行く先がサイバースペース上の架空消費に行き着いてしまったというわけだ。

資本主義とは絶えず消費先を探し続けるダイナミズムである。情報産業が実際のぼくらの通信環境を変えてしまった後は、仮想上の世界に消費の先を求めているというのはあまりにすごいことではないだろうか。実際の世界ではもう欲しいものはない--、というのはある程度満たされた世界にいるわけだ。

しかし、サイバースペース上であればまだまだ欲しいものはたくさんある。実際の世界でカムリで満足している消費者であっても、サイバースペース上ではインフィニティの高級スポーツカーが購入できる。そして第二の自分の可憐さを見て満足してゆく。この人間の欲望を作り上げるのは、繰り返しだが資本主義のダイナミズムゆえである。

そして--、アメリカで起きたことは日本でも必ず起きる。としたら、日本の消費先が携帯電話代からサイバースペースでの買い物費用に移行してゆくことは夢物語でも妄想でもない。いつか、実際の世界での消費を自慢する時代からサイバースペース上での高額消費を自慢する時代がすぐそこまで来ている。

マルクスは資本主義の終焉を人間の疎外として予見した。とするならば、実際の人間を離れて、サイバースペース上の夢を皆が見始めた現実を前に、マルクスは何と言うだろう。これこそが究極の人間疎外ではないのか。ただ一つ違うことがあるとすれば、その人間疎外は、人間の自由意志によって、さらには喜んで行われていることだ。これこそ究極のユートピアか、あるいは悪夢の始まりか。

それを理解できるのにはあと5年はかかるだろう。
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by fastska | 2007-02-02 21:50 | サイバースペース
アメリカ・夢・空~目標異論・批判
遠いアメリカで深夜一人空を見た。

広い、世界はとめどなく広い。ふと、死ぬまでに自分はどれほどのことを成し遂げられるだろう、と自問すれば絶望的な感情を抱く。世界は広い。だから、その深さの真実に皆は目をそむける。

その世界の面白さと、悲しみの無限の広がりに似た到達できぬ深さを知りたいと、ずっと思っていた。

仕事で自分一人で交渉し、アメリカの各地を歩き回る。しょうもないトラブルに巻き込まれ、思い通りにゆかず苦悶し、また上手くいったときには誰かと抱き合って喜ぶ。いつの間に、ぼくはこういう状況に身を置いたのだろう。

と、ふと思う。大学時代にまわりの女性は皆、「外国で活躍したり、英語を使う仕事に携わりたい」と言っていた。しかし、残念ながらその夢を実現している女性は残念ながら一人もいない。銀行では英語を使った出張などあるはずもなく、生保ならばなおさらだ。「海外支店がある」と聞かされて就職していった多くは、国内の営業に身を置いている。ぼくはそのような英語を使う環境から程遠い製造業に身を置くことにした。

遠回りだと思っていたことが実は近道であることが人生ではたくさんある。それはほとんどの場合、そのままの顔をして現れることはない。だから、皆はそれを避けようとする。しかし、避けずにぶつかっていれば、そのうち本当の顔を見せてくれることがある。

そして、最も重要なことにそのやっかいな奴は、たいていの場合ものすごく面倒くさい。多くの場合は仕事として降ってくる。だからたいていの人は避けてしまう。

よく、「目標を持ち進んでゆけ」と言われる。ぼくもそのことに異存はない。しかし--、と振り返って考えてみる。ぼくのほとんどの人生を決定してきたものは、ほとんど偶然によってもたらされたものではなかったか。最初から面白かったわけではなく、遠回りをしているうちにだんだんとそれにとりつかれていった。

また、ぼくはアメリカの絶望的なほど広い空を見て考えている。

空の絶望的な広がりは好きだ。
人間がつくったものが何も浮いていない。
ちっぽけな作為など吹き飛ばしてくれる。

ぼくはどこに行くのだろうか。全く似合わないことを、地球の裏側で考えるのも悪くはない。
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by fastska | 2007-02-02 21:48 | 青春記・旅・思想