緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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著者説明:(けっこう)有名な企業で仕事やっているけれど、片手間でライターもやっている。ファッションと旅行以外ならだいたい書ける。お仕事、感想、批判、誹謗中傷やらなんやらがあれば、ここまで。

earthcream2000@
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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2007年の本当の危機~若者批判に答える
最近、教育低下や犯罪の低年齢化を指して「この子たちの創る社会はどうなってしまうのでしょうか」と嘆く評論家たちがいる。

しかし、ぼくにとっては現在の中高年が「どんな定年後を迎えるか」のほうが興味深い。2007年問題とは、多くのとき「企業に技術が残らず、空洞化してしまう」という意味で使われる。

でも、本当は膨大な「ヒマな時間が誕生する」ということが問題なのではないか。極端に言ってしまえば、20%の本当に多忙な人以外は、たいていが「余計な仕事を増やすためだけに存在する」中高年だから、会社という迷宮すら相手にしてくれなくなったときにどのような行動を起こすか、だ。

たいていの人が「俺はその20%だ」と思ってしまうからややこしいが、多くの中高年は資料作りしかしていない。しかも、その人に届く年賀状の数よりも見る人が少ないことがほとんどだ。ほとんどの場合は、利益のための仕事、ではなく仕事のための仕事になっている。

冷静に見れば、あれほど無意味な資料を量産できるのは、一つの才能ではないか、と思ってしまうほどだ。

それには会社にも責任があるだろう。ただ、それに無自覚なのはマズい。それに比べると女性のしたたかさは素晴らしい。夫など居なくても、地域の友人たちと一生の関係を構築しているから、時間つぶしには事欠かない(皮肉ではない。いい意味でも「生きる」ということはひまつぶしだからだ)。

断言するが、趣味などというものを思いっきりできる、といっても3ヶ月で飽きる。そののちに残るのは虚無感と、死ぬまでに膨大に残された時間だけだ。

会社というゲームに弄ばれた人々(多くは男性)が、そこから地域社会とのふれあいといっても、そこにはどこか自発性のなさがどうしても感じられてしまう。おそらく人が定年後を見据えて獲得すべきは趣味ではなく、仕事ではないか。

最高のゲームとしての「子育て」が終わったあとの主婦が離婚を切り出すことも、夫の定年後に増えていると聞く。もちろん年金の改正もあるのだが、莫大な空白に投げ込まれる自分をどれほどイメージできているか。その答えは、働き始めてから40年後にやっと答えが出る。

もちろん、夫婦同士がお互いのためだけに時間を使いたいというのであれば、「おめでとう」である。が、多くはそれだけではダメだろう。ぼくが少子化などより、ずっと起業率の低さこそが問題だ、と思っているのはこういう理由がある。

妻からでも夫からでも、膨大な時間を埋める手段としても新しい「仕事」を創造してはどうか。もちろん、儲からずトントンになってしまうかもしれない。だけど、ぼくはちょっと老いた夫婦が互いの力を分け合って事業をする、ということにエキサイトを感じる。それがお互いが社会とつながりあえる方法と思うからだ。

間違いなく、10年後には「会社10年寿命時代」がくる。そのときに向けた処方箋が、年輩者だけではなく若者層にも求められていることはいうまでもないのだけれど。
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by fastska | 2006-10-20 22:59 | 青春記・旅・思想
人が行動する瞬間
この前、友人たちと「人が動く瞬間」について話した。
結論は下記の通り。


・人が転職を踏み切る瞬間は「前職+150万円/年」
・人が行動するのは「やらさせられるとき、楽しいとき、恐い」とき
・人が絶望するのは「後輩に明らかに抜かれた」とき
・人が異性を気に入るのは「清潔だから。ほめてくれるから。意外性があるから。話していて飽きないから」。外見は長期的には関係しない。


一体これは正しいのか?どうなのか?ご意見求む。
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by fastska | 2006-10-18 22:45 | 青春記・旅・思想
人生をジェットコースター化する確実な方法 ~ 若者文化を批判する
「無気力な若者」

こういう言葉が大嫌いでした。

そもそも「若者」というカテゴリー付けには、どこか発言者の世代とは無関係を装う悪意に満ちています。「俺たちは違うけれど、最近の若者は無気力な奴ばっかりだ」とでも言いたげな態度には、「無気力な人間は年長者でも、年少者にも存在する」という当たり前のツッコミが通じる余裕すらないかのようです。

しかし、最近確かに同じことを思う機会も増えました。世界で暴れ、変化を起こそうとしても、「そんなパワーないです」とか「望んでバイヤーになったわけじゃないですから」と言われるのです。

なるほど、現在では社会改革などという言葉はどこか嘘臭く、青臭く、反動的な雰囲気すらあります。

かつて、「軽く、POPに、明るく」というモットーで「J-POP」や「J文学」などというコトバがもてはやされました。そういう文脈から言えば、「J-若者」というスタイルも時代に迎合したものかもしれません。「そんなに熱くなるなよ。数年で違う部署にでも移れるさ。どうせこの仕事もいつまでやっているか分からない」。そう考えれば「J-若者」という「適当に、熱くならず、真剣でもなく」という態度も処世術的にはありうるでしょう。

それでもなお、と思います。逆説的に、熱くない時代だからこそ、その熱さが求められるときがくるのではないか、と。考えるに、醒めた時代は、個々人が活躍できる機会にあふれています。周囲にはデタラメな仕事がたくさんあります。少しの行動でヒーローになれることは間違いありません。

「『J-若者』から『熱い若者』へ」。莫迦(ばか)にされても、私はその啓蒙を止めません。そして、そのJ-購買文化からの脱却は、自己の規律(self-denial)ではないか、と強く思います。

最後に私の再録ですが「人生・仕事の流儀」についてペーストしておきます。

01 大きな正義をときに疑いなさい。
02 落ち込むのは勝手ですが、その暗さで周囲の人まで暗くしてはいけません。
03 読書の時間を持ちなさい。
04 時間を無駄にすることは止めなさい。
多くの人と会うのはよいですが、無駄なメシを食ってはいけません。
05 あなたが感じたことだけで人を判断するのは止めなさい。
深く話せば、印象は変わってきます。
06 自分がやりたいことよりも、自分がやれることを考えなさい。
07 一年に一つは特技や趣味を増やしなさい。
それが加齢とともに人生を楽しむ方法です。
08 誰かに質問されたときは、真剣に答えなさい。
知識を出し惜しみしてはいけません。
それが相手から多くを得る逆説的な方法です。
09 大きなものを喪失したとき、なぜ喪失したかを深く考えなさい。
それを二度と繰り返さないために。
10 とりあえず一緒に居てくれる人、よりもお互いを尊敬できる人を探しなさい。
11 立派な人になろうとするのは止めなさい。
ただひたすら毎日を真剣に一生懸命生きなさい。
12 人生には何をやってもダメなときがあることを覚えておきなさい。
そして、幸せも突然訪れることも覚えておきなさい。
13 人と一緒にいるときは、相手を笑わせなさい。
14 両親を安心させるために、必ず定期的に近況報告をしなさい。
離れた場所に住むとき、これが最大の親孝行です。
15 死別以外の悲しみは、必ずあなたを成長させてくれると信じなさい。
16 たった1%のことでこれまでの関係を崩すのはやめなさい。
99%の素晴らしい事実を思い出しなさい。
17 誰かの悪口を、その人がいないときに言ってはいけません。
18 あなたが気に入った本を繰り返し読みなさい。
そして、その筆者のやり方が体に染み込むまで実践しなさい。
19 良い結果には、あなたの良い行動があり、
悪い結果には、あなたの悪い行動があると知りなさい。
20 自分が理解できない大きな力を信じなさい。
理屈で理解できることは多くないということを知りなさい。
21 何かの一歩を踏み出そうとしている人を妨げてはいけません。
もし、その人が失敗したら、抱きしめて一緒に泣きなさい。
22 仲の良い友人であっても誤った発言は指摘しなさい。
23 「ありがとうございます」と言うときは心から言いなさい。
24 定期的に一人旅に出なさい。
一人旅はあなた自身を見つめなおす機会を与えます。
25 変わり続けなさい。人間は変わらない、と言う人は変ることはできません。
26 「おかしい」と思ったことは止めなさい。
それが後悔せず生きるために必要です。
27 たとえ傷ついたとしても、意見の相違を話しなさい。
それが皮相的でなく、相手と深く交わる唯一の方法です。
28 貯金をしすぎるぐらいなら、自己をみがくためにお金をつかいなさい。
29 謝るときは、真剣に謝りなさい。
30 相手が話す内容の真の意図を考えなさい。
31 年下の人と話すときは、優しくしなさい。
年上の人と話すときは、敬意を常に持ちなさい。
32 社会を変えようとするよりも、会社を変えようとするよりも、
まず目の前の人を幸せにしなさい。
33 あなたが「正しい」と思ったことだけを話しなさい。
34 あなたの仕事に関わる全ての人が期待している以上のものを提供しなさい。
そして、それを喜んでやりなさい。
人を幸せにする喜びというものが確かに存在します。
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by fastska | 2006-10-17 22:22 | 青春記・旅・思想
ぼくらはテレビ狂~技術トレンドを批判する
CEATECに行ってきた。CEATECは日本最大(らしい)の家電メーカーを中心とした展示会。

会場に入って、驚いた。

テレビしかないからだ。展示されている新製品が。いや、もちろんロボットだとかオーディオシステムとか色々あったよ。だけど、フツーの人が見たら、これは「テレビの展示会」と思ったのではないか。

正直、ぼくはテレビに何の追加機能も求めておらず、日ごろほとんどテレビも見ない。これ以上キレイな画像も必要に感じない。もちろん、否定はしない。たまに見たいときに見ればいい。

最新の技術トレンドとして提示されたものがテレビだけだったとはなんと寂しいことだろうか。

ぼおっと見ていると吐きそうだった。

しかし、それにしても、テレビの魅力とはこの「ぼおっと」できることにあるのではないか。インターネットでは、こうはいかない。情報を能動的に取りに行かなければいけないから。

そう考えると、GYAOもテレビを移植しただけのように思う。しかし、GYAOでは、「ぼおっと」は長くても2時間程度しかできない。テレビのように24時間「ぼおっと」はできない。

人間は、本当にこの「ぼおっと」が好きだから、テレビの優位性(この意味は勝手に番組を垂れ流してくれる、という意味ね)はしばらく続くのではないか。

誰か、ネットで個人の嗜好性をアルゴリズム化して、「ぼおっと」勝手に画像を垂れ流すソフトを作らないか。ぼくは使わないけど、好評を博すこと間違いないはずだ。
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by fastska | 2006-10-16 05:55 | 青春記・旅・思想
政府の少子化対策を批判する
ぼくは日本の少子化が大問題なんて全く思っていない。少子化が暗い未来の原因だとするならば、移民を増やせばいいだけの話だからだ。

しかし、どうやら日本は日本人のみを増やしてゆきたいらしい。そして、何が悪いのかも分からないままとりあえず「少子化対策を!」「安心して産める社会を!」などという叫び声ばかりが目立つ。

少子化を考えるべきはずの団体も「夫婦が安心して子供を育てることのできる環境作りにむけた広い議論が期待される」だって。おい、その議論をするはずの場所があなたたちでしょうが、という当然の疑問を挟む余裕すらそこにはない。

カネをもらっているんだから、プロとして明日からでも使える具体的な案を出してみろよ、という声を聞く気はないらしい。

私見だが、少子化対策を日本人増という意味で実施したいのであれば、次の方法しかないだろう。

(1)女性の27歳以上の労働を禁止する
(2)年金を廃止する
(3)コンドームを廃止する

繰り返しだが、ぼくは少子化など問題とも思っていない。が、少子化対策は上記くらいしかないのではないか。もちろん、「テロリストを雇い、子供のいない家庭を脅す」とか「夫婦30歳以上の子供のいない家庭に年間200万円を課税する」とか突飛なものはいくらでもあるが。

かつて山田昌弘が正しく指摘したように、一人の女性が生涯のうちに産む子供の数は数十年間減っていない。平均は二人程度のままだ。問題なのは晩婚化なのである。

したがって、いかに晩婚化を早婚化するか、という点にのみ少子化対策はフォーカスされるべきである。

上記案で、(1)は、とはいえ実現は難しいか。(2)も、やや難しいか。(3)は自由な資本主義を一部修正すれば成り立ちうるのである。

ぼくは、いざとなれば責任を取れる女性としかセックスをしてはいけないと思っているので、(3)は構わない。が、それでも女性の自由意志を尊重したいと思っているので、できるだけ男性はコンドームを使うべきだ。女性を思うからこそ、コンドームを使用すべきだ。

矛盾するが、女性を心配するからこそ、(3)が最も実効力があるのだ、と信じたい。

話が飛躍しすぎるが、いつもコンドームを使用している男性が、コンドーム廃止になった瞬間でも何も臆さず通常の行為に及んだとき、女性は目の前の男性を見直し、真の愛が誕生する可能性だってある。

遊びだけの男性など消えてゆく。そういう愛の国家としての日本が、少子化問題を克服し蘇る、というロマンスであれば、いくら莫迦(ばか)げていても信じたい。

もういいや。莫迦(ばか)げてても。
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by fastska | 2006-10-15 21:35 | 青春記・旅・思想
死を批判する
「人生で一番大切なものって何か分かる?」彼が訊いた。「家族ですか?」「違うね」「じゃぁワクワクする仕事?」「もっと違うね」。ぼくは彼の答えを当てることはできなかった。「酒だよ」。彼は笑っていった。8年も前のことである。

そして、彼は死んだ。

先日ひさびさに再開した友人より聞かされた。絶対に死なない人と思っていた彼が死んだ。信じられなかった。

徹夜で遊びを繰り返し、夜中から釣に出かけ、そのまま朝から仕事を始めてゆく。40代半ばになろうかというその御大は、自らを超人と呼び、そのバイタリティと笑顔がぼくの脳裏に焼きついていた。

脳梗塞だったという。なんと早すぎる。
脳梗塞だったという。おそらく、本当は自殺ではないか、と。

かつて、評論家の宮崎哲弥が「全ての死は犬死である」と書いたとき、ぼくは強い反感を覚えたものだ。宮崎は「全ての死はむなしい。生きているだけで価値がある」という真意で、あえて死というものを無価値なもの「犬死」とまでいった。死を否定することによって、逆説的に、生そのものを、生きているというその一点のみで讃える。祈りにも近い慈愛に満ちた言説だった。

ぼくは、そういう真意は分かっていながら、高貴な死というものもあるのではないか、と感じていた。だから宮崎の言論には大きな反感を抱いていた。

だが、身近な人の死に直面するたびに--ぼくは同世代よりも多くの死と直面してきたけれど--、宮崎のいうことが分かってきた。

どんな間違いの多い人でも、いやそうであるからこそ、生きているという一点のみで、その人が生を受けた奇跡を体現してほしい。生きているだけで、ぼくには十分である。

ぼくは前述の彼がなぜ死んだのかは分からない。もちろん、その悲しみの前に詮索しようという気持ちも沸かない。「生きてさえいればいい」という、一見青臭い道徳にすら聞こえるこの主張を、単なる古言としてのみ使ってはいけない。

ただただ、生きてだけいてくれ。残ったぼくの周りの人々へ。
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by fastska | 2006-10-08 23:40 | 青春記・旅・思想
夢と思い込みを批判する
この前のことなのだが、とある企画書を持っていった。すると、予期しないことも含めて、多くの建設的批判をいただいた。的外れではないか、とぼくが思うものも多かったが、いずれにせよ批判だったので、その企画はボツになった。

その後、全く別の権威者と会うことになり、時間がなかったのでその企画をそのまま持っていった。すると、「ああ、これはすごくいいよ」ということでトントン拍子に進むことになった。

ぼくはこのエピソードから何を言いたいのだろうか?

「社会にはきっとあなたのことを分かってくれる人がいる」。違う、違う。

たいてい「社会が分かってくれない」「社会には理解されない」というとき、その多くは自分だけの思い込みか勘違いであるからだ。

では、「自分の想いを分かってくれる人を探すのは止めろ」?それも違う。多くのヒット作には、よく「当初企画自体をどこからも受け入れられなかった」という事例を持っているではないか。

おそらく軸を持てばいいと思う。

「肉親以外の6人の賛同を得ることができたら、その企画は実現するのではないか」--。こういう仮説の元に考えてみる。

あなたが俳優になりたいとき、あなたが本を出したいとき、あなたがこういう一歩を踏み出してみたいとき。6人の賛同者を集めることができるか。

もし6人が集まるのであれば、その企画は実現するだろう。その6人が集まらなければ、その企画自体が失敗だった可能性が高い。

ぼくは何かをやろうとするときに、こう思う。一人や二人だったら、理解されないこともあるかもしれない。だけど、多くの人に語って6人集めることができるかどうか、これが思い込みを廃し、チャンスを逃さない秘訣なのだ、と。

どうでしょうかね?
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by fastska | 2006-10-07 07:29 | 青春記・旅・思想
ぼくらのカミサマ批判
カソリックの人がいたら許して聞いてほしい。

最近なんだか言葉にできそうなことがある。それは「なぜ神は美しい存在であり続けなければいけないのか?」ということだ。

ほら、ぼくらの周りに転がっているじゃないか。とても神が慈善にあふれた存在であれば、絶対にこんなことしないであろうという惨いことが。あまりにも残酷な現実があるじゃないか。

確かにひたすらまっすぐに生きればそのうち神のお恵みもあるかもしれない。だけど、ただただ不運な人生だってある。殺される人生だってある。それに対して「次生まれ変わったら報われるだろう」なんてことを言う厚かましさは、ぼくにはない。

いや、世の中の人はこういうことに薄々気づいているかもしれない。だから、人々は道徳を無視し、祈ることも止め、傍若無人にふるまいだした。

こういう文脈でニーチェの「神は死んだ」という名言が引用される。ぼくが最近なんだか言葉にできそうなことはこれなのだ。

通常この「神は死んだ」という言葉は、「かつては道徳や倫理にあふれた存在であった神という絶対的存在を俗人化した人間どもが踏みにじった」という意味であるようなのだ。「もうかつてのような高貴な信仰はなくなったのだ」と。

でも、ぼくは全く違うのじゃないか、と思い始めている。

それはこういうことだ。つまり「神を殺したのはクリスト教信者だ」と。

普通は、「敬虔なクリスト教信者が神を殺すわけないだろう」と思うに違いない。だけど、ぼくは確信している。

どういうことか。かつては神の存在とは「むちゃくちゃなこともしでかす、しかしそのグロテスクなほど美しい矛盾だらけ」のものだった。もはや善悪を超えた超越的存在として君臨する、それでいても愛すべき存在だった。

しかし、クリスト教信者はそのグロテスクかつ美的な存在を、単なる「道徳的にも倫理的にも善き存在の神」としてのみ矮小してきたのではないか。つまり、善悪を超えた存在を、人間ごときが理解できる凡庸な存在に貶める冒涜をおかしてしまったのではないか。

だから、神は殺された。

そう考えればぼくの中では全てがつながった。これからは善悪や真偽など人を動かす力とはなりえない。ぼくらが動くのは、善悪や真偽超えた存在があることを認めた後に、その矛盾だらけの中から乗り越えようとする意思によってだけなのだ。
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by fastska | 2006-10-06 19:19 | 青春記・旅・思想
風味絶佳としての恋~映画「シュガー&スパイス」の恋愛風景を批判せざるを・・・
 現在の女性たちに「自由恋愛ってどう思う?」と訊いたらどうなるだろうか?

「当たり前でしょ!」と言われて終わりか。当たり前か。別にこれは女性に限ったことではない。この映画の主題が自由に駆け抜ける女性に振り回される男性陣、だったからそういう訊き方をしたまでだ。

しかし、昭和初期まで結婚とは生活のためにするのであり、許婚(いいなずけ)制度もお見合いも、親が強引に決定することも、それぞれ機能していたことを考えると時代の速さに驚愕せざるをえない。

さっき「昭和初期まで結婚とは生活のため」と書いたが、まさにそれの対極が「自由恋愛」だったわけだ。繰り返すが、昭和初期までは、である。昭和の歴史家の書物などを読むと、自由恋愛の果てに結婚した二人は「ならず者」であり、「放蕩」呼ばわりされていることが分かる。

それがわずかの時間で変化してゆく。もちろん、我々は現在に生きているから、現在のことだけを考えていればいい。過去のように、許婚を賛美したり、親の決定を待てといいたいわけじゃない。

しかも、最近は「結婚自体しなくてもよいかも」という考えすら出てきた。こう書くと、なんだかぼくがそういう考えを否定しているようだが、そうじゃない。単にそういう風潮もある、と言いたいだけだ。

そういう時代においては、そのときそのときの恋愛も今を輝かせるものとしてのみ機能する。つまりは、恋愛が都度消費される。

だから「今付き合っている人はいるけど、結婚するかわかんない」という発言がありうるのである。繰り返し、その良し悪しは論じない。

考えるに、選択肢の多い時代と、選択肢の少ない時代を比すれば、選択肢の多い時代が悩ましいのではないか。どっかの哲学者も書いているように。自由のパラドクス、というやつだ。

ああ、「女性はある年齢になったら絶対に結婚するものだ」という思い込みの強い時代に生きた女性たちの心情はどれほどラクだったことだろう。

これは女性だけの話ではない。男性も自由という桎梏を強く内在させているのだ。

ということを、この映画を観ながら考えていた。これも自由な時代の不自由さだな。
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by fastska | 2006-10-04 22:41 | 映画エイガえいが
セミナーにばかり行く奴を批判する
こういうことを書くと嫌われるだろう。

だが、確信を深めたことについて書く。

セミナーにばかり行っている奴がいる。いつ顔を出しても居る奴。そりゃ2ヶ月に一度くらいはいいかもしれない。本当に勉強になるものがあれば、それでいい。ぼくが言いたいのはそのレベルではなく、暇があれば毎週に近いくらいセミナーや集まりに出かけている人たちのことである。

最近、こういうことに気づいた。
・そういう集まりにはたいてい中心となる人物がいる
・そしてその中心人物が発する主張は異常に分かりやすいものである
・その主張はどちらかといえば現状の習慣を否定するものである
・そしてその主張を最も実践していないのは、その中心人物である
ということだ。

例えば、だ(本当に、例えば、だから応用して読むこと)。ある中心人物が「これからは右脳の時代だ」という。そうすると、その周りの人たちは「そうよねぇ、左脳の時代なんて古いよねぇ」と、左脳的な論理仕立ての本を読まなくなる。中心人物が「これからは知識ではなく、体験の時代だ」と叫べば「そうよねぇ、知識なんて誰でも得られるもんねぇ、これからは実践よねぇ」ととにかく体験を重視するようになる。

しかし、である。

周りは分かっていない。中心人物が最も左脳的だということを。
周りは分かっていない。中心人物が最も知識傾斜型だということを。

かつて浅田彰が「逃げろや逃げろ」というとき、その前提となる基礎学力がすっぽりと抜け落ちていた。浅田が逃げることができるのは、京大の天才、しかもポストモダンをいち早く日本で紹介したその博覧強記にあった。普通の人間が常識から「逃げ」たって逃げ切れるものか。

実は基礎体力のある中心人物が、その基礎体力を否定するような言説をすることで、群がる人たちとの差は確実に広がっていく。そして、果てには周囲はその中心人物の発言を神託のように聞いてしまうのだ。

この場合の基礎体力、とは年間200冊程度の読書を10年ほど続けるくらいのレベルだ、と思う。

繰り返すが、上記は例であって、別に右脳とか体験至上主義を批判したいわけじゃない。

ぼくがいいたいのは
・皮相的な分かりやすい表現の裏にはたいてい凡人には真似できぬほどの基礎体力が潜んでいること
・毎週集まりにばかり行くよりも、独りの、あるいは大切な人との時間がもっと大切だと思うぞ
そういうこと。

ああ、嫌われるだろうな。
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by fastska | 2006-10-02 23:31 | 青春記・旅・思想