緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
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映画「県庁の星」を批判する~青年は正義を目指す
a0022864_339178.jpg映画「県庁の星」を見た。出世欲丸出しの官僚と三流スーパーの店員に柴咲コウの物語。融通の利かない公務員を演じている。

もうここまで書いたら、ストーリーはほぼ予想できる。どうしようもない公務員が民間の苦労と情熱に触れ改心していく。そして、それを県政にも反映させようとする--。

いや、困ったことにその通りのストーリーなのだ。公務員バカの話である。

いま、ぼくは「バカ」と書いた。これはホメ言葉ではない。念のため。本物のバカの話である。

そのような凡庸な物語に対してどうして感想を書きたくなったかというと、主人公が「正義」を目指すとき、なぜにぼくらは共感を覚えてしまうのかという点が気になったからだ。

そりゃ不正よりも公正なほうがいい。悪意よりも正義がいい。だけど、なんでそんなもんをいい大人が目指さなければいけないのだろうか。脱法さえしなければもうちょっと自分よがりのことだけをしてもいいじゃないか。でも、なんでそんな「正義」なんてものを考える必要があるのか?

この映画の主人公の場合は、県庁の蕩尽が「悪」として描かれる。ムダな公共事業に群がる奴ら。県民の声を聞こうともしない県職員たち。主人公は外部(スーパーでの研修を経て)に立って、始めてそのことに気づく。こいつらが--「正義に反する奴ら」というわけだ。

その不正を暴く姿は確かに勇ましい。でも、ちょっと考えりゃその姿はもろくてむなしさがつきまとう。結局、その「正義」は主人公の正義にすぎないのだから。

ここまでをふまえて、大きな指摘を二つしておこう。

(1)官が腐っているというとき、民がもっと腐っているということに気づく人はいない。
(2)外部に立った瞬間に、以前居た内部を批判するのは偽善である

特に、(2)については、多くの言論がある。ライブドアが訴訟された瞬間に「元監査人の告白」とかいって「私はその当時必死に粉飾決算を止めさせようとした」と正義ぶる人が出てくる。

ぼうや、むかちのことはわすれちゃったのかにゃ?

以前そこにいて同罪だったことをあたかも忘れたかのように振る舞い、元内部を批判する試み。これこそ偽善と呼ばずになんと呼ぶのだろうか?

が、大衆はその密告者に対して「正義を求める者」と賛美を浴びせるのだ。おそらくそこに「県庁の星」でぼくがひっかかっている点があるのだと思う。

いや、それにしても「県庁の星」は面白かった。だって、正義を求める姿。ぼくにそっくりじゃないか。
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by fastska | 2006-07-30 03:35 | 映画エイガえいが
欽ちゃん球団に見る大人の恥かしさ
 萩本欽一氏が極楽とんぼの山本圭一問題で球団を解散すると宣言した。

 そのたった数日後--、「やめると言ったのは悪い夢だったのかもしれない。これだけたくさんの人から応援されたら、大好きな野球をやめちゃったらいけない。わかった。やるよ」とインタビューで述べた。

 恥かしい。

 私などはそう思う。正直、球団を解散することはなかったと思うが、それはそれで決断である。

 自分が何かを発したときに、どういうリアクションがあるかを予想する力があれば、いや予想しようとさえすれば、たいていのことは決断を後悔せずにすむ。

 周りから「やめるな」と言われたから、やっぱりやめません、というのは非常に大人気ない下品な行為のように感じられる。

 それは、どこか自分の存在意義を世間にテストしたかのような俗っぽさが感じられるからだろう。

 転職のとき、現在の職場に引き留められ、「ああ、課長ってこんなに俺のこと評価してくれていたんだ」と思い直すことは、どこか自分というものを他者にのみ依存しているように思われる。

 やる、と言ったことをやらないのは恥かしい。でも、やらないといったことをやり続けることも同様にむなしさがつきまとうものだ。いや、前者以上に後者の方が倫理的な問題は多いだろう。

 誰か欽ちゃん「球団」を「糾弾」する奴はいないのかっ。

 なんちゃて。
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by fastska | 2006-07-22 20:54 | 青春記・旅・思想
「分かってくれるさ」主義を批判する ~ ときに叫べ!
 以前、彼女とどこか行ったら、「も~やめてよ~」と言われることがある。

 それは、ぼくがサービスに対して文句を言っているときだ。「は?おっしゃっている意味が全く分かりません」とか「これはこうすべきだ」と毅然としてどこでも言うので、彼女としては「も~そのくらい黙っていたらいいじゃない」というわけだ。

 激情的な文章ばかり書いていると誤解されることがある。でも、彼女も認めるとおり普段のぼくは「礼儀正しすぎるところ」があり「逆にワザとらしいくらい」の人間である。

 年上を敬い、死んでしまった個人を尊び、消え行く事象を哀しく感じる。できるかぎり、楽しく日常を感じたい人間だ。

 しかし、自分のスジに通らないものに関しては、徹底的に口を出す。彼女は「あなたが言いたくなる瞬間が分かってきちゃった。いやだなぁ」と呆れて言っていたが、それくらい基準は明確である。

 「口に出さないでも分かる」ことはたくさんある。でも「口に出さないと分からない」ことも同じくらいたくさんある。

 口に出した瞬間に、周囲の自分に対する評価もわかり、これまであえて表面に出さなかった問題が明らかになる。それを望まない?なぜ?

 「口に出さないでも分かる」ことはたくさんある。でも「口に出さないと分からない」ことも同じくらいたくさんある。なんて書いてみれば当たり前の話だ。じゃなけりゃコトバが発達するはずもない。

 明確な基準を持って、皆よ誰かに叫べ。

 精神が縛られるよりも、愚劣な思想だって公にしたほうがいい。どんなに人が傷ついてしまう思想でも、それが一定の基準から発せられれば、新たな思考のはじまりになる。

 「聞かないほうがいいこともある」。なるほど、それは正だ。だけど、今より少し話して、思いを伝えよう。それは他者の改善と自分の改善に寄与するものだから。
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by fastska | 2006-07-22 19:16 | 青春記・旅・思想
「下の人が育たない」という病~経験主義を批判する
これまで何人のビジネスマンから「下が育たないんだよね」というボヤきを聞いただろうか。

そして、ボヤいているにも関わらず、あの満足感に包まれた顔はなんだろうか?

そのボヤきの本質はもちろん「下の人に任せないから」という原因につきる。でも、問題は簡単じゃない。なぜなら人は「代替性のなさ」が生きがいの本質だからである。

「あの人ではなく自分にしかできないこと」。これだけを求めてさまよっているようなものだから、簡単に「自分にしかできないこと」を捨てることはできない。

それは、「他の人では実行できないスピード」や「他の人では実現できない奥の深さ」でも同様である。

だから人は「下が育たない」と言いながらも、満足しながらその「自分にしかできない仕事」をやり続けるのである。

ある人は「会社に行くのは、仕事をするからじゃない。自分がいなくっても会社が回っていることを知りたくないためだ」と言った。けだし名言である。

では、「下の人が育たない」という人を上司に持った部下はどうしたらよいのだろうか?これも簡単である。上司ではなくて、自分に指名で仕事が舞い込むようにすればよいのである。

それをどうやって?そう、「自分でやります」と言えばいいのである。職務が曖昧な日本においては、自発的な強引さが有効となりうるのである。

その後にどうやって、「自分でやったがゆえの成果」を出すか。これも簡単である。自分しか知らないことを仕事の一部とすればよいのである。

この世は、ある決まりがある。「現場にいる人しか知らない、貴重な情報がある。偉くなると現場に行けない。だから、偉い人は貴重な情報を知らない」。これはどこでも普遍的なルールである。

だから、上司が自分の仕事を奪おうとしたら、「貴重な情報」をそっとお客(言っておくが、社内向けの仕事だって『お客』はいる)に伝えればいいだけだ。

簡単でしょう?
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by fastska | 2006-07-17 22:40 | 青春記・旅・思想
SNSの真実 ~ 人間性至上主義を批判する
あるSNSでは
・年収
・身長
・学歴
・趣味
をMUSTで記載しなければいけない。

それを異性からの判断材料とするためだ。
何が面白いかというと、そのSNSが集計したときのことだ。

・男性の年収は日本平均の1.3倍だった
・身長は日本男性平均の+7cmだった
・学歴は大卒が9割を超えた
・趣味はアウトドアが多かった

さらに、女性においては・・・

いや、止めておこう。もちろん、そのような「優秀な」男性のみがそのSNSに加入している可能性は否定しない。だけど--、常識的に考えればそうじゃないはずだ。

バーチャルなところでは、どうしてもウソがつきまとっている。そのウソは「みっともない」と言いたいわけじゃない。逆に、人間の本音として自分をよりよく見せたいという傾向があるな、という納得だ。

「三高(高収入・高学歴・高身長)の時代が終わった」と誰もが言う。だけど、本当にそうか?少なくとも、まだこの幻想は生きている。

だって、その幻想なしに、いきなり人間性で判断しようとする異性がいたら恐いじゃないか。

加えて、表面の情報ではなくて、人間性だけで異性を判断することこそ危険だと加えておこう。
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by fastska | 2006-07-16 21:37 | 青春記・旅・思想
自分の夢と現実の臨界点 ~ 単なる楽観主義を批判する
 あるところに少年がいた。その少年は高校生になろうとしていた。

 「夢見る少年」だった。そのころから劇団員になろうとしていた。将来の夢は世界中の舞台を駆け回ることだった。

 親は止めようとした。そこで、その少年の将来をシミュレーションする機械にかけてみた。親の特性や本人の特性を細かく入力し、専門のカウンセラーが調整する。

 すると、10年後の姿として出てきたのは、フリーターに成り果てた姿だった。「まぁ」母親はわざとらしく驚いてみせた。「やっぱりか」父親は嘆いてみせた。

 では、20年後は?少年の成れの果ては惨めな乞食だった。ボロボロの服。そして食うものもない哀れな中年男性の姿が出てきた。

 「こんなの信じるものか!」少年は言った。「こんなシミュレーションに自分が縛られるもんか!」。その声は、惨めな将来を知ったがために逆説的に大きくなったようであった。

 その少年がその機械から飛び出し、親を説き伏せ強引に自らの道を選択した20年後--

 少年はやはり乞食になっていた。その乞食に声をかける人がいた。

 「あと5分です」。ゆっくり頷いたその乞食の前のカーテンが開いた。

 大拍手。その乞食はその日の演劇の主役だった。

 「ああ、人生なんてロクでもねぇ」。その乞食は、本物の乞食のように人生の全てをかけてセリフを一つ一つ紡ぎだし始めた。

 ・・・・

 いや、話はここまでだ。この話をきいて、「なんて面白い」と思ってしまった。

 もちろん、夢追い人賛歌はいくらでもあるじゃないか。夢を追いかけて失敗した人もいるじゃないか。そんな批判も十分に知っている。だけど、単純に面白いと思った。おそらくそれはぼくらの中の心理の一つだろう。

 将来への単純な楽観主義はもう要らない。だけど、単なる悲観主義こそはもっと要らない。楽観主義かつ、現状の自分に悲観しすぎることもなく、目の前のことを必死に一つ一つぶつかり前進していく。

 過程と結果とどちらが重要かと問う人がいる。でも、どちらかに決定的な落ち度があったままどちらかが充実していた、などという話はきいたことがない。

 夢見ることは重要じゃない。いや、もちろん重要なんだ。だけど、もっと重要なのは、目的と過程をそこまで分離することなしに、いやゴッチャにして、その中に自分を委ねること。そして、その中で自分が存在する感覚を得ることではないか、と思う。

 何かを追いかけるんじゃない。今の瞬間を重ねることで、自然と何かがやってくる。そして、その偶然を楽しむようになる。

 そうなりたい。
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by fastska | 2006-07-15 19:10 | 青春記・旅・思想
偉大なる戦後碑の消去~現代芸術を批判する
 詩人の宗左近(そうさこん)氏が死んだ。

 あまりにもぼく個人の中で大きなこの偉大なる詩人の死は、いまだにうまく整理できずにいる。


 「わたしは立っている
 
 炎えても炎えても

 炎えやまない
 
 ないこころ
 
 をいだいて」


 詩集「炎える母」を読んだ小学生のころの思いをぼくは未だに捨てきれない。

 炎える--今では「萌える」と表現してもよいだろう--ある心情のありようを持ちながら、そもそもその心を「ない」と表現してしまうその不思議さ。

 なぜ、炎えながら、その主体が「ない」などということがありうるのか。その不思議さに取り付かれてしまっていたのは、小学校の2階の小さな図書館の片隅であった。

 おそらく、この感動とは生まれつきの特性ゆえなのだろう。この驚き自体も、それを感じたことのない人にとっては、全く理解できない。

 何かに熱中したり、心ときめかすとき、「感動した」とか「心震えた」と言う。しかし、そう言っておきながら、どこかで「その絶対性がどうしても信じられない」ということがありうる。

 あること。例えば「この世界では愛こそがすべてだ」とか「すべての人間を平等に」とか「カネこそが全てだ」とか「真の自由を」と叫ぶとき--その叫びが大きく、熱中しやすい対象であるほど、そしてそれに一生をかけてよいと思えるほど--逆説的にその情熱をニヒリッシュに「たいしたことねぇよな」と思い返すことがある。

 もちろん、小学生のぼくがそこまで整理して考えていたわけではない。だけど、この世の中には炎える(萌える)対象があっても、その炎える主体(じぶん)は常にからっぽなのだ、という認識がどこかぼくにはあった。

 結局は世の中に生じることなんてたいしたことはない。自分の存在なんてもっとたいしたことはない。だからこそ、その自分の小さな存在ゆえに、大胆に生きる勇気がわき、行動に結びつくという逆説は分からない人には分からないだろう。

 もともと「ない」からこそ、炎えることができ、果敢に挑戦することもできる。この種の人間は、世界平和とか世界平等理念とか崇高な概念には一生心を寄せることはできないだろう。

 だけれど、なぜか自分がここにいる奇跡に感動し、なぜか自分が出会った偶然の出来事に何かを賭けてみる気になるだろう。それは自分の存在が偶然という一点のみで保証された瞬間であるからだ。そして、その偶然に涙することがあるだろう。

 存在するが「ない」という感覚。

 ぼくは宗左近氏の詩から、このとめどもない感覚を受け、いまだに離れることができずにいる。そして、これほどまでに根源に迫った詩を現代芸術からは感じることさえできない。
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by fastska | 2006-07-15 01:24 | 青春記・旅・思想
ここではないどこか、を批判する ~ あなたがここにいてほしい
信じてもらえないかもしれない。

でも書こうと思う。

ぼくは、なんだかヘンな虚無感に襲われていた。何か行動に移す前は、あんなにドキドキしていたことも、上手くいった後はドキドキしない。それは、その「何か」が妙に上手くいったからだ、ということもある。

上手くいかないときは、「どうやったら上手くいくだろう」と思い必死に試行錯誤をやった。お金も人脈もないときは、すごく情熱的に、批判もされながらやってきた。そして、ある会社に講演で呼ばれたり、今では毎日ぼくが売っているもので銀行に入金がある。

物事を成功させるために、(ぼくはその当時は否定したのだけれど)土日を犠牲にしていた。大切な人を犠牲にしていた。会う時間を削ったり、楽しいおしゃべりの時間を削ったり。でも、あるときふと気づけば、毎日お金が入ってきてもぼくの趣味は読書とオンガクくらいしかない。これなら月に数万円自由になる金があれば十分だ。クルマだって、コンパクトカー以上のものはいらない。

ふと思った。ぼくって何かを軌道に乗せた後に「何をしたかったんだっけ?」と。

そして、色々なことが重なり、ぼくはあるときから大きな虚無感を感じるようになった。それは、他の人からは決して気づかれないようなものだったけれど。

そういうときに、脳科学の本と出合った。日本語訳は出ていないけれど、「いかに脳のメカニズムが夢を創り出すか」という種類の話だ。そして「いかに理想の夢を見るか」と。

ぼくはこういうことには行動が早い。ある日本の機関でこの本の夢創造をビジネスとして提供しているというので行ってみた。

東京都内のあるビルに行くと、おそらくTVかマンガでしか見たことのないような機械に出会った。頭につけるようなやつだ。映画「時計仕掛けのオレンジ」で主人公がつけていた、といったら分かっていただけるだろうか?そのような種類のものだった。

「まずはこれを頭につけて、椅子にゆっくりと腰掛け下さい」。30代の男性スタッフは静かにそういうとぼくを中に誘った。

そこからは数多くの機械音とヒーリング音楽が流れてきた。そして、目の前では様々な景色が出てくる。そして、「最愛の人を思い浮かべなさい」というアナウンスが流れた。

「はっ」

そのときぼくは眠ろうとしていた。あわてて起きた。「起きてしまったらダメですよ」とスタッフは言った。「ここからが最高の夢の始まりなんです」と。ぼくはぼやっとしてしまっていた。

「ああ、すみません。でも、ああ、やっぱりいいです」とぼくは言い、お詫びをしてそのビルを後にした。

そこからたった数日後のことだった。

彼女の訃報が届いた。
ぼくは最愛の人を失った。交通事故だった。毎年1万人が交通事故で死ぬといっても、自分のまわりだけは絶対に大丈夫だろうと思っていた。そう信じていた。でも、事実は違った。

ぼくは絶妙なバランスの中に立っていることを知った。よく思えば、ぼくに対して唯一批判的なコメントをくれていたのは彼女だった。みながホメてくれても、彼女は「そんなんじゃダメ」と言ってくれた。みなが「やめときなよ」と言っても、彼女は「やってみれば」とアドバイスしてくれた。服も似合うものを選んでくれた。

そのときからぼくは何をするのも面倒になった。食事も、以前のようにパンとラーメンになった。服も今までのものを繰り返し着るだけ。酒の量だけは増えていき、自縛的な生活だけを繰り返した。

そのとき--「最愛の人を思い浮かべなさい」、そのコメントが浮かんできた。ああ、いまならば「最愛の人」との思い出こそがぼくには必要だ。どうしても必要だ。

ぼくは何かに追われるように、数日前と同じ東京都内のビルの一室にいた。

「続きですか?」そのスタッフは言った。「お金かかりますけれど、よろしいですよね」。ぼくは即答した。「もちろんです」

ぼくは再度、その頭につける機械を手に取ろうとした。

いや・・・

違った。「うわぁぁ!!」。違った。違った。違った。

ぼくはまさにそのときに夢から覚めたのだ。彼女が死んでしまったというあの事実こそが夢だったのだ。「お客さん」、彼はそういったとき、ぼくの顔はどうやら涙で濡れていたらしい。

ぼくがそのビルを出たとき、なぜだかぼくの目に飛び込んでくるもの全てが輝きを帯びているように思えた。

ぼくはすぐに彼女に電話した。「いや、お願いだから今日会おう」。

4時間後、ひさしぶりのところに降り立ったぼくは彼女を抱きしめていた。
「ありがとう」
ぼくらはいつも「将来」ばかりを気にして生きてきた。
でも、目の前のことを大事にせずに何が始まるというのか。
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by fastska | 2006-07-07 20:05 | 青春記・旅・思想
最高の恋人 ~ 全てバッチリを批判する
この前、自分の目の前のことが信じられなかった。

最近、よくビジネス関係の人たちと出会うことが多い。ITだったり、コンサルタントだったりだ。

それで、ちょっと前に出会った「最高の恋人探し」ビジネスを営む方の話だ。

ビシっとスーツを決めたその方は、なぜだかぼくを気に入ってくれてオフィスにまで呼んでくれた。「キミの文章面白いねぇ」と、彼はぼくのメルマガの読者だったのだ。

そのオフィスで繰り広げられていたのは、驚くべきものだった。

何十台?いや、何百台はあっただろうか?パソコンが異常な速度で処理をし続けているのだ。

何を?その企業に登録してきた何千、何万という男女のマッチングを「科学的」に検査しているのだ。

PC技術の進化とDNA、脳科学分野の発展が目覚しい。彼曰く「男女の詳しい情報を入手すれば、遺伝子上その二人が上手くいくかどうかは、98%の確率で当てることができる」というのだ。

もちろん、入会するには相当な情報を提供することが必要となる。詳しくは書けないが、IQとかそんな程度の情報じゃない。だけど、それだけ情報を提供することが、その後の精度の高さを保証するものなのだ。

そして結果がすごい。そのシステムが天文学的上のケースを、何万回もの計算をした結果はじき出した「最高の恋人」は、90%の割合で結婚しているのだ。しかも、そのあとの離婚が一件もない。感謝の手紙が彼の元には相次いでいた。

あとの10%は?ぼくも質問した。それは彼曰く「家柄が合わないなど、本人同士の責任ではないこと」が原因のようだ。彼は「あれほど最高の二人が結婚できないというのは不幸なことです」と言った。

「ところでね」彼は言った。「この前、非常に面白いことがあったんです」と。

「この前お越しになった女性がいましてね。一週間後に『最高の男性』が見つかりました。私どもは本当に『最高』のパートナーを紹介しますので、全員に紹介できるわけではありません。本当に合っている人しか紹介しないんです。その人の将来のためですからね」

「それで?」とぼくは訊いた。

「そう、運良く彼女に『最高の男性』がいらっしゃいました。本当に良い相性だったんです。絶対に幸せになる脳細胞の組み合わせでした。シミュレーションでも、間違いないはずでした」

しかし、彼女は言ったのだそうだ。

「彼女はすぐさま、携帯電話を取り出されました。『何をするのだろう』と思っていたところ、彼女は携帯に映るとある男性の写真を私どもにお見せになったのです。そして『ありがとうございます。でも、その男性を紹介いただく必要はありません。今、私にしてくれた話を、この男性にしてくださいませんか?私とこの男性が最高の相性で、それはDNA上でも科学上でも証明されているって話を、この男性にしてくれませんか?』と彼女は言ったんです」

聞けば、彼女が携帯電話に撮っていた男性とは、ずっとずっと好きだった男性だったとのこと。「お金は払いますので、どうぞよろしくお願いいたします」と彼女は言ったそうだ。

どんなに似合う男性よりも、自分の主観が『好きなアナタ』。

あまりに面白い、と思いませんか?みなさん。
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by fastska | 2006-07-03 01:04 | 性セイせい
映画「インサイドマン」~殺人強盗を批判する
a0022864_1494255.jpg映画「インサイドマン」を見た。銀行強盗グループと捜査官、そして女性弁護士らの心理戦を描いたサスペンスだ。

この映画は強盗が銀行に押し入りパニックになるところから始まる--。

カネが目的か?と思えば、強盗は「カネなどどうでもいい」と言う。単純に愉快犯か?と思えば、強盗はあまりに知的なところを見せる。

この映画は、実は襲われる銀行側が真の犯人ではないか、というところが明らかになる。そこが面白いのだが、あんまり書けない。

人質をただただ拘束するだけではなく、犯人グループと同じ服を着せることによって、警察の襲撃を防ぐ犯人たち。無機質な行動ばかりかと思いきや、子供に優しい犯人たち。シリアスかと思えばジョークを飛ばす犯人たち。殺人はせず、しかもカネも奪おうとしない犯人たち。

そして、ラストの驚き。

監督がスパイクリーだけあって、この映画はレトリックと「ひっかけ」に満ちている。それは誤解を導くものかもしれないけれど、面白い。賛否分かれる映画が見事に完成した。

騙される側が、実は騙しており、騙しているつもりが、いつか騙されている。複雑な人間を描いた傑作。

ところで、最近には珍しく観客席が埋まっていた。

ぼくの目の前にいたのは老年夫婦だった。おそらくウダツのあがらないあの亭主も、実はあんな風でいて奥さんを「飼っている」こともありうるかもしれないな、この映画みたいに。何が本当かわからないんだから!
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by fastska | 2006-07-02 14:17 | 映画エイガえいが