緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
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バカ学生を批判する~なぜ人を殺してはいけないのか
 あるときニュース番組で「なぜ人を殺してはいけないのか」という質問をした学生がいた。

 確かニュース23だったと思う。そのときそこにいた著名な文化人たちがそれに明確に答えることができなかったという事実が世の中に波紋を与えた。

 そのときぼくが考えた回答案は未だに変わることがない。

 おそらくその司会者は、すぐさま立ち上がりその学生を殴るべきだった。これがぼくの回答である。

 そして次にこう問いかけるべきだった。「なぜ、今わたしがあなたを殴ってはいけなかったか説明してくれ」と。

 ここまで聞いて、ぼくを「説明のできない道徳を信じる者」と誤解した人がいるだろう。しかし、そうではない。

 一般的に「なぜ司会者が突然人を殴ってはいけない」という認識はそれを見ている視聴者が決めるからだ。

 それを市場と呼ぼう。

 「人を殺してはいけない」という規定も、それは市場が決めるのである。どんなに間違っていると思うことも、最終的な決定者は市場であるからだ。

 そのくらい市場は完全なのである。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」というときに、死刑という制度を認めている国家では「国家は殺していい。なぜならそれは国民という市場が決めたからだ」と答えることができるだろう。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは、市場が「勝手にそれぞれが人を殺していい」と判断した場合にのみ有効となる。繰り返すが、市場は完全だからだ。

 ここで重要なのは、世の中一般が間違っていて、一人だけが正しい、などということはありえないということである。その一人は狂人と呼ばれる。なぜなら市場に受け入れられない全てのことは無効だからである。

 これは「感情」ではない市場の「勘定」をもとにした明確な指針なのである。なぜなら市場が出す答えは、どんなに哀れでどんなに残酷でも常に完璧だからである。

 「なぜ人を殺してはいけないのか」。もちろん、それは市場が決めたからだ。
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by fastska | 2006-03-31 07:02 | 青春記・旅・思想
倖田來未批判を批判する~新しい日本人バンザイ!!
00年から05年にかけて。日本人の変動が起こった。

日本がそれまでクローゼットの奥にずっと隠してきた陰部がついに噴出した。

幼女がレイプされる画像が映しだされ、少年はフェラチオさせられた。小学生がパンツを脱いだかと思えば、女子高生は男性の精液を飲みほし笑顔を見せた。

2001年はどこかの正義軍がアメリカのビルに突っ込み、同じ時期に日本ではいたいけな男子高校生が教師に性器を突っ込まれたことがニュースになった。

イラクでは戦争になり、自衛隊の派遣が国会の一大ニュースであるときに、みんなはラップとジャニーズに夢中だった。人々はいつしか日本総中流が幻想であることに気付き、街をニートが埋め尽くした。

ぼくが大学時代に住んでいたアパートの隣にはカラオケ徹夜で目が赤い奴らが失業保険の列に並んでいた。

そして女性たちはブラジャーとスカートを脱ぎ捨てた。自己表現のために。純粋な愛を歌う者は、美しいという理由だけで、リアルな歌詞に侵食されていった。

無垢な女性がいつしか王子様と出会う物語は駆逐され、若さの肉体美をこれほどかといわんばかりにアピールする「エロかっこいい」女性たちが席巻した。

2005年のレコード大賞が倖田來未の涙で終わったことは象徴的だった。それは勝利の涙だった。それ以外ではなかった。

ぼくらは甘い夢が甘いほど現実ではないと知らされた。

しかし、あの彼女が演じているのは、かつての夢であった日本人の個性的であることの表現の噴出ではなかったか。画一的であることを捨てて、自分だけのリアル(=肉体)をひたすらさらけ出すこと。彼女を「はしたない」と評する人間にこそ、倖田來未的なる真性が潜んでいるのだ。

そして倖田來未ブームの反動として、「肌をさらけ出す」から「厚着」への移行が来るだろう。

誰か、夏が来ようとする今のうちに汗だくの女性へのフェティズムを語れ。
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by fastska | 2006-03-27 23:30 | 音楽オンガクおんがく
有名コラムを批判する~天声人語の死亡
朝日新聞には「天声人語」という迷コラムがある。

新しい発見や新しい観点を一つも有しない文章を書く技術というのもきっと才能であろう、と思ってしまうこのコラムは高校生を集めて大会というものをやった。

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200602030316.html

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200601210265.html

ここには載っていないのだが、朝日新聞紙上には高校生の優秀作品群の文章が載っていた。

「つ、つまんね~」

こういう感想を持たない人は、きっと文章であるだけの文章というものを許すことができる許容度の高い人なのだろう。

以前、橋爪大三郎は「独自の発見がない論文は存在してはいけない」と言った。もしそうであれば、独自の発見がない文章なども存在してはいけないことになるのだろう。

しかし、ここまで言ったあとだが、本家の朝日新聞の天声人語よりも高校生のそれが勝っているところを述べておこう。

(1).主語が「私」になっている
(2).自己の経験を述べている

うすっぺらな自己を全く出そうとせず、世の中一般の意見や感じ方として全ての文章を書こうとする本家の天声人語よりも、この点では勝っていた。

それにしても、いまどき天声人語で国語の授業をしようとする高校教師などいるのだろうか。いたら見てみたい。

受験戦争を最も批判していた朝日新聞が「大学受験には朝日新聞から最も引用されました」と自慢げに書いたとき、そこには偽善が存在した。

行き過ぎたIT企業を批判する一方で、asahi.comにはちゃっかりとGoogleのアドセンス広告がリンクされており、金儲けも忘れない。

偽善と矛盾が合わさったとき、人々はそれを絶望と呼ぶのだろう。
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by fastska | 2006-03-25 06:08 | 青春記・旅・思想
お金と情報と地位を批判する
 最近よく思うのだけれど、人間は「お金よりも情報よりも地位よりも重要なもの」を欲しているのではないだろうか?

 それは居場所ではないだろうか?

 人は常に居場所を求めてさまよっている。それがなければ最もむなしい存在だ。


 ピンクフロイドだって「あなたがここにいてほしい」の中で「ぼくらは金魚蜂のまわりをさまよう哀れな魂」と、哀愁を込めてうたっている。

 居場所とはどこにあるのだろうか?そしてその本当の意味とはなんだろうか?

 もちろんそれを総括するほど年を重ねてはいない。だけれど、答えに近いことをいうと、それは「他人との関係」にあり、「記憶を共有する」ために存在する、ということだ。

 人は誰だって、「あんなことしたいよね」と過去の実績から将来に対してモノをいい、「あのときこうだったよね」と記憶を共有したい。

 人は記憶を共有するために、パートナーを求めるのではないか。

 それと同時に、引きこもりニートには巨大な記憶装置としてのwebが用意されている。

 記憶を共有する場としての家族が変容していくのは自明だろう。

 あなたには記憶を共有してくれる友人のいる居場所がありますか?
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by fastska | 2006-03-23 22:57 | 青春記・旅・思想
時代を批判する~オリエンタルラジオは現代の歌舞伎である
a0022864_6195868.jpg 「武勇伝」

 このフレーズが流行ったとき、現代は大きなパラダイムシフトの一端を明らかにした。

 時代は、「モノからコト」というシフトを過ぎた。モノ・・・「いつかはクラウン」という物質中心の時代から、コト・・・「情報主義」時代へとのシフトは過ぎ、次のステージに移行しようとしている。

 それは「モノからコト。コトからカタ」である。winnyに象徴される情報(ソフト)交換ツールが流布し、情報というものの所有が万人に平等という経済学者がミクロで想定したような状況になったとき、情報に人々はもはや価値を感じ得ない。

 人々は、その情報をいかに利用していくか--カタ--へと移行していく。

 オリエンタルラジオは、「言ってることはしょうもない。でも世の中を面白がる視点は笑える」という「枠組み」の提示で成功した稀有なコンビである。それは、ある人は様式と呼び、ある人は笑いの観点と呼んだ、一種のパラダイムである。

 それは、様式美と観点で人々を鼓舞するという、歌舞伎と酷似している。お決まりの掛け声と立ち振る舞い。そして、決まった内容ではあるが、その確固たる様式により人々は魅了されてきた。

 思えば、外国のコメディとは常に内容であり、突飛なアクションであった。それは外国のTV番組を見れば自明である。例えば、外国のコメディアン二人組みが毎回決まった踊りで、恒常的な笑いを生じさせるなど想像すらできないことなのである。これは、モンティパイソンであっても毎回異なる「過激」を求められていたことにも通じる。

 では---と考えてみる。日本のオリエンタルラジオの笑いが、この「モノからコト。コトからカタ」という時代のシフトとパラレルならば、まさに時代の先端ではないか。古いものが最も新しいと言う逆説。

 このことに日本が気付いたとき、次の国家戦略が決まる。情報立国から様式立国へ。

 その新たな国家が生まれる。
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by fastska | 2006-03-21 06:20 | 青春記・旅・思想
フランスの若者雇用策抗議デモを批判する
 フランスの若者雇用策抗議デモは間違っている。これが結論だ。

 フランス政府は「26歳未満の若者を雇えば最初の2年間は自由に解雇できる」という契約を導入しようとしていた。初期雇用契約(CPE)と呼ぶらしい。学生らは「雇用を不安定にする」との強い反発を招き、労働団体や学生による抗議デモが巨大化している。TVでも報じられたとおり、フランス各地で行われたデモ参加者は約50万人を超えるという。

 まず言っておかねばならないのは、全ての雇用保障対策の法は無効である。

 最低賃金が20万円と規定されれば、当然19万円で若者を雇うことができず、経営者は若者を雇うのをあきらめてしまうか、その分を設備投資にまわそうとするだろう。そして19万円でもよいと思う若者と経営者の平等な雇用契約を破壊してしまうだろう。

 もちろん「そういうときだって無理して20万円で雇おうとするだろう」という意見は分かる。しかし、マクロではやはり雇用が抑えられるだろう。そしてパートタイムか派遣かアルバイトに労働を求めるだろう。繰り返すが、19万円で雇おうとするとき、そこにはそれに応募してくる若者の合意があるのであり、市場社会では極端に安い賃金では他の企業に負けるため誰も雇うことはできない。そこで妥当な水準に賃金は決まってくるだろう。

 それは市場が決めるのだ。市場主義は完璧だからである。

 フランスは「26歳未満の若者を雇えば最初の2年間は自由に解雇できる」という契約によって、多くの若者が職に就くだろう。失業率もずっと下がるだろう。市場経済では、「自由に解雇」できるのだとしても、教育投資を考えてもそれに見合う代替の財が見つからなければ、簡単に解雇することはできない。少なくとも、初期段階として労働できる環境は提供されるのである。

 雇用契約について規制をかけることは、多くの歪みを生むだろう。多くの自由契約を阻止する社会は病理である。

 Nikeは「アジアの子供たちを不当に安い賃金で雇って働かせている」との指摘に「改善する」と答え、すぐさまその子供たちを全員解雇した。そして、路頭に迷った子供たちは売春や犯罪に手を染めていった。だれか、このことをもっと詳しく報道せよ。

 これはNikeの病理ではない。労働市場に規制をかけようとすることの病理である。Nikeはその「正論」に従ったまでだ。だれか、あの無垢な子供たちを救え。

 労働基準法の廃止を!!
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by fastska | 2006-03-20 09:24 | 青春記・旅・思想
黒人を批判する~映画「8 Mile」
 エミネムというどこまでも可憐なラッパーについて知らない人はどれほどだろうか。いまさらながら、映画「8 Mile」を見た。

 この映画の主題は、エミネムの自伝録ではない。きっと、多くの人はエミネムがスターダムにのし上がったメモリアルとして見るのだろうけれど、そうじゃないんでないか。

 ここで書かれたのは、倒錯した現実ではないか。それにはちょっと説明が必要だ。

 舞台は1995年のデトロイト。そこは中産階級の白人が多く住む郊外とは“8マイルロード”で分断されている。貧困層が多数を占める都市中心部での物語だ。

 白人はことあるごとに「お前らは8マイル先にいっちまえ」と黒人から罵られる。つまりそこは黒人の「ならず者(いやだなぁこの表現)」が住むところであり、部外者は消えてしまえというわけだ。

 エミネムは「ジミー」として、ここで最低の生活を送っている。無職の母と幼い妹の3人でトレイラー・ハウスに暮らしていた。しかも母親にはヒモの男までいる。ジミーは昼間プレス工場で働き、夜はヒップホップ・クラブ“シェルター”で毎週行われるラップ・バトルでの優勝を目指し、プロで成功することを夢見ていた。

 それ以降は、映画を見ていただくとする。

 ぼくは、この映画の主題は「倒錯した現実」と書いた。それはどういうことか。

 この映画を見ながら強く感じた。「ところでラップって何だっけ?」。

 いや、別に辞書的な定義を知りたいわけじゃない。ライムの歴史とヒップホップやら、そんな言葉を知りたいわけじゃない。ただ言えるのは、当初ラップというのは、黒人哀歌と同じものだ。貧困で、世の中の底辺で苦しんでいる黒人が、その悲哀を社会に訴えるための手段としてラップ(ライム)でPOPさも交えながら発してきた。

 だけど、現実はどうだ?女に囲まれて酒を飲む黒人ラッパーたち。車を乗り回し、ブランドを身に付けた黒人ラッパーたち。

 もちろん、黒人の一部層がまだ貧困にあえいでいることは知っている。だけど、今では一部の白人層が黒人同等以下の扱いを受けていることも事実なのだ。

 ぼくは思った。黒人が育ててきたライムを、その精神を、受け継ぐ者は白人しかいないのではないか。そこに大きな倒錯がある。黒人が皮肉を込めて打倒すべき存在として表現してきた白人たち。しかし今や、その打倒すべき存在こそが、大きな歴史を引き継ぐ偉大な後継者なのだ。

 だれか、日本の侍精神を引き継げる外国人を見つけてこい。
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by fastska | 2006-03-20 09:06 | 映画エイガえいが
常識を批判する~世の中は反作用にあふれている
ぼくは情報やスキルは皆さんに無償であっても提供し続けることが、遠回りに自分の幸せにつながると本気で信じていますので、「時間がない」とか「それは金がかかる」という表現が心底理解できないのです。

無料で提供し続ければ、いつか人は分かってくれる。

「世の中は反作用であふれている。人に何かを提供してほしければまずあなたが提供しなさい。それが一番の近道」という言葉を信じているのです。

人を変えたければ、まず自分を変えねばならない。

============

最近、いろいろな人から近況を聞くことが多くなった。

何かが着実に皆の中に起きている。

明るく、前向きに、何かを変えようと、皆が変わっている。
「それは無理だよね」という思い込みを捨てて、何かをやろうとする試み。将来を自分で創りだすという強いパッション。

そのうち、きっと障壁が出てくるだろう。「そんなのは、まだ無理だろう」とか「うまくいかないよ」と言う人が出てくるだろう。

そんなとき「あっ、また『奴』が出てきた」と思う。人間が何かを決断したとき、その決断が本気かどうかを試すために必ずその決断・決意を本気かどうか確かめようとするのだ。『奴』は必ず現れる。これは人生の法則である。

その障壁は3回来る、と非論理的ながらあえて言っておこう。

そして、皆がそれを乗り越えて大きな山に登れますように。数年後にバーで「あんなこともあったよね」と笑いながら成功者同士の会話ができますように。
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by fastska | 2006-03-18 20:38 | 青春記・旅・思想
統計を批判する~感覚だけで語る!論
 日本の中で1億円以上の金融資産を持っている人は100万人いるという。

 つまり100人に一人が1億円の金融資産を持っているわけだ。

 しかし--、と思ってしまう。

 これまで多くの人に会ってきた。しかし、1億円以上の資産を持っている人は二人しかいない。社外でも多くのコミュニティで会ってきた人の中で二人だ。

 本当に、1億円以上の金融資産を持っている人は100万人いるのか--と問うてみる。よく思えば、この手の調査、民間であれ政府系であれ全て数値が一致しない。毎回数字が異なる。

 さらによく考えてみる。相当な資産家になれば口座を無数に持っているに違いない。しかも、それはときに法人の口座としても存在する。

 このような口座の違いを一つずつ集計し、同一人物のもののみ差っ引くなどできるだろうか--?

 さらにさらに、よく思えばこれまで「200万枚売れた」というCDを持っている人にも会ったことがない。200万枚ならば50人に一人持っていてもよいはずなのに--だ。

 あるいはこう考えるべきなのか?

 そういう種類の人はぼくの知らないある一定箇所で固まっているのだ、と。種類の違う人間はそう簡単に触れ合うことはないのだ--と。

 ぼくの一般的に述べている事象も実は自分の実感のみを述べているにすぎないかもしれない。あるいは、社会不況を述べている評論家もこの未曾有の日本の金持ち化を前に一つの側面しか見ていないかもしれない。

 であれば、なおこういわざるを得ない。

 多くのBlogやHPや新聞記事だって、誰かの主観に少なからず影響を受けて書かれている。それであるならば、社会評論に「客観性」などあるだろうか。

 感覚から開始せざるを得ない社会時評やエッセイや、もっといえば「客観さ」を保っているつもりに見える多くの言説も、実は虚構の上に存在している。

 いやいや、こういうと「真実はない」といった現代思想のようでいやだ。違う違う。こういうことをいいたいんじゃない。

 ぼくが言いたいのは、実はその調査自体もなんらかの主観を伴わざるをえず、しかもそれは当然であるということだ。

 結局ぼくらが信じるのは自分の感覚か。あるいは主観の入った「客観的データ」か。

 むろん、どちらも主観であれば、「鉄壁の事実」であるはずの企業の決算報告書すら信じられない今、まずは自分の皮膚感覚を信じて向かうのが当然だ。
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by fastska | 2006-03-15 22:09 | 青春記・旅・思想
メールを批判する~ありえないことを引き起こす魔法の杖
「え!そんな人からメールもらったの?」

こう驚かれることがあった。ぼくがある社長や、本の著者からメールをもらったことを話したときだ。

そういう話は嘘ではなく、本当なのだが、その次の話をすると皆「ふーん」と納得してくれる。

それは手紙を書くということだ。

映画が好きであれば、憧れの映画監督に手紙を出せばいい。メールではなく手紙だ。どこに出せばよいか分からない?そんなことはない。その人の作った映画の配給会社でもよいし、プロダクションだっていい。本が好きならばその著者に手紙を出せばいい。起業家に憧れているならば、その人に手紙を出せばいい。100通か200通書けば、必ず2通は返事が来る。

そうやって自分の好きな分野に一歩一歩近づいていけばいい。その果てに、自分の夢の実現や、やりたいことの厳しさも、チャンスも見えてくる。

逆にこういう話をすると違った反応をする人もいる。

「そういう効果を狙うのって、なんだかイヤらしくない?」

こういう返信には「では、狙ってでもよいから100通の手紙を書けるか?」と問うしかない。効果を狙おうと、狙うことなきにせよ100通を書くことができればそれは立派な「好き」の証だ。

そういううちにぼくは今週も手紙を3通出した。このうち何通が将来につながってくれるだろう。ぼくはこの過程を通じて何名もの偉人とお会いし、勉強会に来ていただくこともできた。

こういう話をすると、少なからぬ人は感心してくれる。「やってみるよ」といってくれた人もいる。

だが、実際にやれる人は少ない。ほとんどいない。

だからこそ--と逆説的にいってみようと思う。「手紙を出すことは、ありえないことを引き起こす魔法の杖」だと。メール時代にだからこそ、違う手段で、時間の隔たりを利用して自分を印象付ける。しかも一通一通心をこめて書く。そんなに時間はかからない。やろうと思えば誰にでもできることだ。

ぼくを実際に知る人は、ぼくがそんな手紙など書く人間だとは思わない、という。しかし、書く。実際にぼくに会った後に手紙を受け取って、親交をより深めた人は多い。

繰り返すが、効果を狙おうが狙わまいが、手紙を心から書き続ければ、ありえないことを引き起こす。それを信じようが信じまいが勝手ではあるが。

そしてぼくは心を込めて今日も手紙を書き続ける。

将来のぼくに向けて。
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by fastska | 2006-03-13 01:07 | 青春記・旅・思想