緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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(山塚あて)
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偽善を批判する~キチガイとぼくと大学時代と
 ぼくは偽善的な活動は大嫌いだ。

 ボランティア、という言葉を使うとき、ぼくにはその中にどこか欺瞞的なイメージを持ってしまいしかたがない。

 とは言っているが、実はぼくも大学時代に精神障害者とのふれあいを持ったことがある。

 「これは救済じゃない。ぼくがあなたたちのようなキチガイと話していて楽しいからこういうことをやっているのだ」と恥かしげもなく語るぼくはマセたガキでありながら、それほどまでに言うヤツが少なかったのかキチガイの間では重宝がられていた。

 そんなときに書いた文章がこれだ。実は、この文章はある人の目に留まり、雑誌に載ったことがある。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆

 私はこの数年間、路上生活者や精神病院通院歴のある人々との交流を目的とする「こころのかいほう」という会に参加してきた。

 内容はいたってシンプルで、どこか長居できる場所に集り会話をするということに尽きる。内容は日常生活の相談から、政治・経済の話まで多岐にわたる。もちろん彼らの相談への直接的な解答は与えることはできないが、言葉を交わすだけでも彼らに大きな安堵感を与えることができる。

 普通の学生は彼らと話す機会などほとんどないため偏見も多い。そのような会に関係する私の身を心配してくれる人まで出るほどである。

 ただ一般人が知らなければいけないのは、精神病といっても多くの場合は健常人と同じであり、基本的に接し方はなんら変わらない、ということである。

 また、路上生活者に対しても多くの偏見がある。最も多いのが、自分から好きでなったのだろう、というものだろう。しかし、これも間違っている。多くの場合は不可避の経済的事情からで、社会制度の不備を問題とすべきなのである。

 さて、1998年3月「特定非営利活動促進法(NPO法)」が成立、同年12月に施行された。この法律によって多くの団体が国のお墨付きを得、法人扱いとなり社会的な地位を上げている。

 特に、寄付をうけやすくなったり、拠点づくりが安易になったことは今後NPOの増加・促進につながると考えられる。

 私達のような活動を行うNPOも増加してきている。法人格などない私達と比べて、彼らの活動分野は広く、かつ大規模なものとなってきている。

 例えば、路上生活者の社会復帰を資金面で援助したり、求職の斡旋などである。多くの人々がこの一連の働きかけによって仕事を得たり、衛生状態を改善したりと大きな成果をあげている。

 もちろんこのような活動は始まったばかりで未知数の点も多い。ただ、NPO法によって、NPOが寄付を容易に受けられるようになったこともあり、行政だけに頼らない市民の手による運動の拡大は望ましい兆候である。

 しかし、それと同時に法人格を得たNPOの活動に危惧を感じずにはいられない。あるNPOの人と話したのだが、彼らは政府や自治体からの補助金を団体の資金源として依存するあまりに、国側の指示に従わざるをえないのである。

 法人格NPOは国の決定に対して対抗することはできない。去勢され、飼われているのと同じなのだ。さらに、国の顔色を窺うことによって、ある行動をとる決定までの時間が長くなっている。

 NPOと国側の利益が相反する場合、NPOが国に対して遠慮し、自由な活動がとれないのならば、この法は理念と全くかけ離れている、と言わざるを得ないだろう。

 また、就職活動に有利になると考えて、面接のネタとしてそれらNPO活動に参加する学生、名刺に「NPO公認団体」と刷って自慢する人、NPOを資金集めのために利用しようとする天下り役人、これらも全く法の意図に反した人種としか言えない。

 NPOとはそもそも国家(行政)から離れたところで、時には行政に苦言を呈しながら自由に活動する団体のはずだ。

 それが、NPO法によってフレキシブルな連帯が崩れ、政府の操る組織となってしまっては全くお笑いというしかない。

 大掛かりな援助の必要性は言うまでもないが、自ら赴き会話するだけでも多くを与えることができる。また、それが活動の原点であるはずだ。

 もちろん、多くのNPOは法の成立によって活動しやすくなったのも事実なのであり、政府指導から民間へ、という動きの中でNPOの存在自体がさらに重要視されていくのも間違いない。

 ただ、そうであるがゆえに我々はNPOの抱える問題をさらに議論する必要がある。

 ◆◆◆◆◆◆◆◆

 ほぼ主張が今と変わっていないのは、進化がないことに呆れてしまうが、間違いと思ったこともない。

 それ以降、ぼくは社会人となり福祉やNPOに関わる人たちと多く出会ってきた。

 その中にはもちろん高貴な人もいた。

 しかし、それでもなお---

 どこか違うと思っていた。自分の行為を正当化するそのことに、どこか違和感を感じていた。

 人を助ける、ということはどこまでも自己中心的な行為であり、最終的には助ける側の自己満足にすぎないのではないか---。そういう恥かしさ、というか、「こんなこと実はたいしたことないよ」とついつい言ってしまう。

 もしかすると、今こそ多くの人の意見を素直に聞けるかもしれない。

 ぼくはそのときの思いを今まで引きずったままでいるのであるが。
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by fastska | 2006-02-28 00:27 | 青春記・旅・思想
君が代
オリンピックのメダルの数はぼくにとって問題ではないけれど、

それにしてもメダルは10個はとれる、といった評論家は自己総括することなしに「参加することに意義がある」とかいうのは欺瞞だと思うわけで、

挙句の果てには「楽しくプレーしてほしいですね」などとIQ30未満でも言えるようなことを言っていて、

そのすぐ後に、小泉道路改革を斬る、なんて企画をやっているのを見ると「きみたちがまず反省しなさい」と言いたくなるわけであって、

考えるにこの反省のなさと、なんでも偶然に結果を任せるという姿勢こそが日本人の弱点であることが分かっていればいいのだけれど、

そこで思い出すべきが生島淳著「駅伝がマラソンをダメにした」という本で、なぜ根性主義の男子マラソンがあれほどダメなのに、対照的に女子マラソンが科学的な手法を取り入れて躍進したさまが書かれているんだけれど、

それにしても、金メダルをとったときの君が代を指して、「君が代をこの冬初めて聞きましたー」などとなぜかこのときだけ日本人ぶる人たちの態度は気に入らないが、

それよりも気になったのは、海外メディアに君が代の歌詞の訳がどういう風に伝わっているか、ということであって、アレは訳す人がちゃんと訳さないと、

かなりやばいのでは、

ないでしょうか、

ねぇ
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by fastska | 2006-02-26 10:09 | 青春記・旅・思想
身の程を知るな!!
 これほどまでに「身の程」を知ることを強要されるときがあっただろうか?「ホリエモンは身の程を知って、一からビジネスを~」とか「若者は身の程をわきまえて~」とかいう言説があふれている。

 だけど、ソニーの盛田さんや、ホンダの本田さんが、もし身の程を知っていたら、あれほどまでに華麗な企業を創り上げることができただろうか。

 否---

 身の程をわきまえないからこそ、途方もない夢を堂々と語れる。身の程なんて知らないからこそ、新しいものを一から創り上げることを当然と考え、突進していく。

 もちろん、運も時代もあったことは否定しない。だけれど、多くの人々が身の程をわきまえ、「年収300万円時代の」斜陽を牧歌している現代においては、身の程をわきまえなかった偉大なる創業者たちが輝いて見える。

 いつからぼくらは身の程なんてものをわきまえずには居られなくなったのだろうか?

 いつからぼくらは、「完全に自由」なるフェイクの前に、結局は身の程なんてものに桎梏されて生きることを強要されてきたのだろうか。

 おそらく現代日本の最大の問題点は廃業率のほうが起業率を上回ることなのではないか、とぼくは真剣に考えている。

 起業には、プランが必要だ。そして情熱と、前に進む行動力が必要だ。

 そして、それらの前提条件として身の程をわきまえない潔い心が必要とされているのだ。
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by fastska | 2006-02-25 15:54 | 青春記・旅・思想
「萌えー」は「をかし」である
 「萌えー」という言葉が流行っている。

 ロリコン趣味や、オタク(ヲタク)の用語、という解説はこの際どうでもいい。

 問題は、その「萌えー」という表現が元々は「燃え」という表現と語呂的に似ているところからはじまって、なぜこれほどまでに人々の心を捉えてしまう表現であるか、という点だ。

 対象となるモノや女性への「萌え」。これはきっと日本人的なる心情を上手く捨象した表現であり、かつ手軽に嗜好を語れる用語であった。

 よく思えば、かつても人の感情を直接的にではないが、婉曲的でありつつ鮮明に語った言葉がなかったか。それは「をかし」である。

 「をかし」は、「いとをかし」などと、ほほえましい魅力的なさまや心をひきつける趣深いさまを言い表すために使われていた。

 まさにそれは文学理念・美的理念を象徴していた言葉でもあった。

 平安時代から幾星霜が立ち、「をかし」から「萌えー」が現代日本の文学と美的な心のありように影響を与えているとしたら、なんという循環だろうか。

 「萌えー」は「をかし」である。

 それは、偶然にも「をかし」とほぼ同じ語呂の「お菓子」から、「お菓子系雑誌」という単語が生まれ、それが「お菓子系アイドル」という言葉を生み(詳しくはここをみよ)、その対象に「萌え」ている多くの偉大なヲタクたちを見るにつけ、その「萌え」が偶然に流行となったとは思えない必然性をぼくは見るのである。

 萌えは日本人そのものである。
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by fastska | 2006-02-25 00:18 | 青春記・旅・思想
みんな英語で大きくなった
a0022864_23435874.jpg U2の「How to Dismantle an Atomic Bomb」を改めて聞く。

 ああ、なんといことだろう。透明感のありすぎるギターでありながら、存在感を示し続け、しかも音はあまりにも凝られている。アイディアは無数に出て、フレーズも洪水のようにあふれる。

 「Vertigo」からはじまるこのアルバムは、最後まで才能の違いを見せつけ、ドラマティックに昇華していく。おそらく、このドラマ性は若手の気鋭MUSEでも適わないレベルなのではないか。

 複雑なメロディーラインは、複雑というだけで終わりはせず、一つの華麗な旋律として聴くものを惹き付けてやまない。

 ふと思った。

 桑田佳祐も英語だったら、U2にでもなっていたのではないか。「英語」だったら、というのはもちろん皮相的なたとえであるが、その英語的なものがあったらU2ではないか。a0022864_23512263.jpg

 桑田佳祐はサザンにおいて「TARAKO」などで、米国市場に殴りこんだことはある--しかし、その英語的なものがあくまで「日本の」英語的なものだったので結果はおもわしくなかった。

 それはなぜだろうか。

 それは日本語は結局演歌にしかならないからだ。構造上、演歌以上でも以下でもないからだ。ぼくは日本語ロックを莫迦にしていないし、むしろ好んでいる。だけれど、日本語で歌うということ自体が演歌であり続ける宿命を持っているのだ。

 演歌とは地方性である。演歌とは「わかっちゃくれねぇ世間への哀歌」である。英語はその「地方」がたまたま世界中に広がっているだけであり、その「わかっちゃくれねぇ」はずの世間が広いだけにすぎない。

 そして、どうしても共通感覚は共通言語の中で起きる。

 ひどい日本語を当てはめた「DISCO-ZONE~恋のマイアヒ~」のヒットも、この文脈で解釈されなければならない。
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by fastska | 2006-02-24 23:59 | 音楽オンガクおんがく
個人と個人の非常識な関係
a0022864_2333999.jpg ここのサイトに特別に絵を描いてもらってUPすることにした。

 イラストレーターの方の労作だ。

 楽しそうで、みんなが集まっている雰囲気が予想以上に上手く伝えることができるのだと思う。

 このように、個人と個人がプロフェッショナルとしてつながっていく世の中をまさに「フリーエージェント社会の到来」というのではないだろうか。

 「バカの壁」という言葉が流行になったとき、誰もが自分は「バカ」だとは思いもつかなかった。

 皆が自分を有能だと思い、それを疑おうともしない。

 それならば、まず自分が市場に受け入れられるかをテストしてみるべきではないか?

 ある人は転職市場で自分の価値をはかろうとするだろう。ある人は自分のプログラミングセンスをIT企業に売ろうとするだろう。誰かは手作りのCDで街行く人たちに売ろうとするだろう。

 よく思えば、このこと自体個人がマーケットと限りなく近くなったということではないか?

 webを開けば多くの個人が創意工夫を凝らして、道の消費者に自分の商品をアピールしている。この文章だってそうだし、多くのブロガーも「自分がダイレクトに大衆に認められること」を望んでいる。

 IT革命の本髄は、そのように解釈されるべきではないか?
 
 つまり、経済学者のいうところのミクロ経済学の基礎となる情報の完全共有化ではなく、個人が個人として市場に訴えかけるテストと機会を大幅に増やしたという意味で---

 IT革命は理解されないといけないのではないか。
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by fastska | 2006-02-21 23:02 | 青春記・旅・思想
お前を愛するためにはウソがいる~映画「ミュンヘン」
a0022864_2345586.jpg 映画「ミュンヘン」を観た。

 ミュンヘン・オリンピックの最中、イスラエル選手団がテロリストに襲われる。イスラエル側はテロリストの犯行とみなし、復讐を計画する。暗殺チームのリーダーに任命されたアヴナーを主人公として、11人の標的を次々に消していくさまが描かれる。

 映画中で、主人公は次第に自分が襲われることを恐れていく。そして、その恐れを消すためかのように、次々に標的を消そうとする。

 もともと標的でなかった人間も、敵だと分かれば消していく。一人を消せば、誰か代役がでてくるから、必ず誰かを消し続けなければいけないという必然性を持ってくる。

 そして主人公は、自分の属する組織をも疑わざるを得なくなっていく。

 自分の遂行しようとしている業務と目的は、本当に聞かされたものなのだろうか。本当に自分の存在目的とは一体なんなのであろうか。標的を消すことに一体どれだけの意味があるのだろうか。

 山火事がどんどん広がっていく中で、バケツを持って目の前の火だけを少しずつ消そうとしているようなものではないのか。まことに些細な試みではないのか。そう思うのである。

 そのような秘密工作員が戻る場所といえば、家族しかなかったのだった。

 母親、そして、妻と子供。こういう存在がいてこそ主人公は自分の居場所を確認することができる。他のすべてが信じられなくなっても唯一信じられる存在。そういう存在として家族が描かれる。

 仕事を放棄しても、必ず戻って行かなければならない場所。それが家族なのだ。

 この意味では、この映画の主人公の人生観は伝統的なものであると言わざるを得ない。

 ユダヤの闇の部分を描き、異教徒たちの視点をふんだんに取り入れた映画にもかかわらず、最終的には、絶対的な存在として身近な愛すべき人を設定せざるを得なかったことにこの映画の、いや、この映画を作ってしまう組織の限界が感じられる。

 この映画の結末は後気味の悪いものである。しかし、主人公は結局は家族のもとに帰ったのである。

 家族から裏切られることもなかったという意味で、主人公はやはり幸せなのだという感情はぬぐいきれないのだ。今までの過程がどうであれ、その過程によって被ったトラウマはどうであれ、やはり現在は幸せなのだという結論に行きつかざるを得ない。

 主人公は、もし最後に家族に裏切られたのとしたら---例えば家族が情報局に秘密を売ったりして虐げられることがあったとしても---それでもなお主人公は最後のよりどころとして家族を信じきったであろうか。

 これは決して、意地悪な質問ではない。

 人生のある局面で完全に孤独になる、という状況に我々は慣れていない。そして完全に孤独になる、ということはあまりありえない。

 しかし、そのあまりありえないという偶然性こそが、人生の価値観を決めているのだ。

 その「たまたま性」がなかったときにもなお、最後のよりどころの存在を家族というものに求めることができるか。

 不完全に孤独な現代人にとってこれは、古いようで新しい問題である。
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by fastska | 2006-02-14 23:54 | 映画エイガえいが
非常識な経済復活計画
 このたび、イラストレーターのHoney Pieさんに個人的に絵を描いていただくことになった。webページに載せるためだ。

 だいたいの大きさと、雰囲気だけを伝え、あとは自由に描いてもらう。楽しそうなやわらかい絵になると思う。

 「絵」を注文する、ということをどれだけの人が経験するかは分からないが、もっと大きなことは個人と会社の関係だ。

 多くの人は、自分の属している会社を通じて、受発注を繰り返す。個人として、他のある個人に仕事を申し込むということは少ない。

 ぼくは、最近この絵以外にも、ある仕事をウデのいい個人に依頼し、それに相応した対価を支払った。

 考えてみれば、多くの人が「自分は他人よりデキる」と思っているにも関わらず、本当にその自分の実力を裸で試すことができるのは定年後からだ、ということはねじれたおかしな構図だ。

 例えば、少しずつでもいい。自分だけのために「何か」を提供いただける方に小額でも対価を払い続ける。オーダーメードの服などからでもいい。

 そして、自分もちょっとずつでもいいから、何かを世間に問う。自分の売ることができるもの-それは自己を試すということであるが-の価値を知る。組織として、ではなく自分としての価値を冷酷に知るチャンスを得ていく。

 おそらくこういう試みの果てにしか、個人など育たない、と思う。

 日本経済の脆弱さを嘆くよりも、まずは個人の技に金を払う経験をしてみてはどうか。

 マクロでばかりで、ミクロの行為が伴わない言論は常にむなしい、と思う。
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by fastska | 2006-02-11 06:23 | 青春記・旅・思想
会社を辞める!!
 その人はある有名投資銀行に勤めていた。

 その人は思う。「この大きな時代のうねりは何だ。そして何もできていない俺は何だ。このうねりのダイナミックさを感じれない周りの奴らは何だ。」

 その人は突然会社を辞めることになる。場所はアメリカ西海岸。彼は大きなトラックをレンタルし、妻に運転させながら東へと向かう。

 その道中、彼は昔の人脈をたどって友人たちに電話する。

 「なあ、ビジネスをやりたいと思っている。集まってくれないか」

 「何をするか?まだ決まっていない。だけどこの時代の急変の中で止まることだけはできない」

 彼はその後「amazon.com」を立ち上げることになる。

 このスピードと実行性。あまりにドラスティックな動きに羨望するしかない。もちろん成功の後ろに彼のような話は掃いて捨てるほどあるに違いない。

 だけど、聞くだけで、知るだけで、圧倒される話だ。

 つぎ、ぼくの話。

 この前受講したセミナーで発表者が他の受講者の質問を受けて。「いやっ、そこはちょっと時間がなくて考えておりません」。

 莫迦(ばか)たれ。

 そのとき問われているのは、過去の多忙さではない。そのセミナーの時間に考えることができたか、その瞬間にデータをまとめあげることができるか、アタマの「実行力」が問われているのだ。
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by fastska | 2006-02-10 23:46 | 青春記・旅・思想
人生に変化を起こすささやかな方法
 この前の土曜日にある方と会ってきました。食事もおご馳走になりました。友人とも一緒だったので、一通りのお礼をして帰りました。

 早速翌日にお礼の手紙を出しました。丁寧に書いて、すぐさま出すんです。

 これまで、ぼくは深く話す人には「人生を変えるには、数十万円のセミナーは必要ない。会いたい人に手紙を書けばいいだけだから」と言ってきました。

・どこかで働きたいなら、そこの社長に手紙を書いてみたらどうでしょうか?
・会いたい著者がいたら手紙を書いてみたらどうでしょうか?
・やりたいことがあるのならば、それに関係する人たちに手紙を書いてみたらどうでしょうか?
・アイディアや伝えたい想いがあるのであれば、その道の第一人者に手紙を書いてみたらどうでしょうか?

 100通出せば、数人は必ず会うことができます。また、同じ人に18通手紙を書いたらやっと尊敬する人に会うことができた経験がぼくにはあります。その出会いはまさに人生に変化をもたらすものでした。

 しかし、こういっても中々実行してくれる人はいません。みすみす自分のチャンスを逃すものだと思います。

 「忙しい」という人がいます。「手紙を書く時間がなかなかないし」と言い訳をする人がいます。こういう人は、これ以上言っても今後他人を心の底でうらやむ人ですから、適当に接するのがよいです。

 それにしても、なんでみんな実行しないのだろう。

 「このままじゃダメなの」って口ではいうくせに。
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by fastska | 2006-02-07 23:45 | 青春記・旅・思想