緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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神様の優しさ ~ あるジャズバーにて ~
a0022864_9133689.jpg 「何かが違う」

 ある日ぼくは電車で東京に向かっていた。

 しばらく本を読んでたけれど、その本をやめて、ふと窓に目をやった。

 そこにはまだ溶けきれない雪が残っていた。雪解けの道があった。田んぼがあった。くたびれた軽自動車のある民家があった。電車の窓から見えるその景色を、ぼくは一つ一つかみしめながら見ていた。そして、ものすごいスピードで通り過ぎる電柱を一つ一つ数えていた。
 窓から見える景色はいつもと変わらず単調なものだったが、そのときの心情がその景色を何か特別なものに変えているかのようだった。何だろうか、この心情はと思った。何かはわからないが、東京に近づいていることがそれらの景色を少し変化させているのだろうか。色あせた彩調の景色が、どこか鮮やかな色調を帯びてくる。

 そして、電車が動けば動くほど、街には色がついている。

       ◆  ◆

 ぼくがかつて住んでいた街は灰色だった。いや、透明だったと言ったほうがいい。そこにぼくはいるが、同時にそこにぼくがいない感覚。それを透明と呼んで何か差し支えがあっただろうか。透明で、脱色した街を出て、ぼくという人間が、たくさんの色をつけた東京という街に向かう。街を出て、次なる街へ脱出すること。逃亡すること。この行為だけが自分自身なのではないか。この行為だけが、唯一のリアルなもので、あとは全部ウソなのではないか。ぼくはそうつぶやいた。

 しかし、しばらくすると、その東京という街も透明になっていく。そこにいるが、ぼくは同時にそこにいない。そしてだんだん街が透明になっていく。そんなことは分かっていた。今までもそうだった。色がだんだん薄くなり、しまいには透明になってしまう。そしてぼくは次の居場所を探さなければいけない。そんなことは分かっていた。

 だけど、ぼくはいつか透明ではない街を探すだろう。そして、電車に乗ることもなくなるだろう。街を脱出することはなくなるだろう。そしていつか煌びやかな色彩に塗りつくされた。ぼくだけの街を探すだろう。そう思った。

       ◆  ◆

 ぼくはその夜、新宿にいた。日中の用事が終わり、友人達と飲みに行き、解散したその時、ぼくは行き場所もなくさまよっていた。ハッとして、顔を上げるとそこには大きなスクリーンがあった。美しく光る彼女たちが笑っていた。そして隣のスピーカーからは、世界の終りなんか信じない脳天気な音楽が一斉に流れていた。何もかもが光っていた。

 ぼくに、もう少し力があったのならば。

 ぼくに、もう少し飛んでいける力があったなら。

       ◆  ◆

 そのときぼくの携帯電話に着信があった。東京である企業を営んでいるおじさまからの電話だった。

 「あなたね。今日東京来ているっていってたでしょ。今からどうですか。ご一緒しませんか」。

 以前から彼が教えてくれていたジャズバーへの誘いだった。ぼくは混乱している頭をよそに、断る理由もなかったので、「わかりました」とだけ答えた。

       ◆  ◆

 バーに入って演奏が始まると、ぼくはすっかり訳が分からなくなってしまった。

 酒の酔いもあったのだろう。自分は一体誰なのか。そして自分は今どこにいるのか、そして今は一体いつなのか。すっかり混乱してしまったのだ。優しい力で弾く、ささやくようなピアノ。肩の力を抜き、そのくせに、重く響いてくるドラムのビート。バスドラムとかぶらないように、裏の音を一つ一つじっくり選んでいるベース。インプロであるにもかかわらずどこまでも計算されているかのように思えた。

 そして、薄暗い部屋の中から魔法のように輝いてくるステージライト。バーの中の視線を一身に浴びて、飛びかう光の交錯の渦中でその光に逆行しながら、目をつぶり演奏する3人組がいた。

 それは通常の意味での演奏ではなかった。

       ◆  ◆

 呼吸するよりも速く、世の中の言説よりずっと真実にちかく、ぼくらの心を挑発し続けた。ピアノを撫でる手は決して止まることなく、生きていることを証明するということは、そのピアノを弾くことと同義ではないかと思わせるかのようだった。

 止まること。それはおそらく死を意味するのだろう。死んでいないということ。自分は生きているのだ、ということを証明したければ止まってはいけない。そして、止まっていないということを周囲に証明しなければいけない。それがまさに生きるということだ。そう語りかけているような気がした。だから、動かなくてはいけない、と。

       ◆  ◆

 しばらくすると演奏が終わった。ピアニストやベーシストやドラマーは近くにあったタオルをそっと取ると自分の顔を拭いた。

 そしてステージから降り、楽屋に、消えていった。ライトが薄らぎ、そのステージが終わった。

 これは死を意味するのだろうか。それとも生の弛緩を意味するのだろうか。ジャズには一瞬の輝きがある。計算せず、その一瞬一瞬を駆け抜けていく試みがある。

 同じ瞬間というのは二度と来ない。プレイヤーの演奏は偶然に左右されるものであり、その化学反応を全く同じ形で見ることはありえない。繰り返すことができないということ。これを生と呼んで何か間違いがあるだろうか。

 ぼくはそこにメッセージを感じずにあおられなかった。世界には終わるかもしれない。だけれど、まさにこの一瞬にその世界の終りなどどんな関係があるだろうか。この一瞬はそれぞれの人間が輝く必要がある。

       ◆  ◆

 そのおじさまにぼくは感想を言ってみた。今日の演奏のこと。そして今日誘ってくれてうれしかったということ。その演奏を聴いて、こう思ったということ。

 そのおじさまは哲学的なので、ある程度抽象的な表現も許してくれる。ぼくはこう言った。

 人間は長いスパンで生きている。だから、将来の不安やどうしようもない懸念、そういうものがあると人間はどうしても現在の自分の行動を見直してしまう。縮小してしまう。しかしその不安は見えるわけではない。実現するかもわからない。だとするならば、まさに今の一瞬とどんな関係があるのだろうか。「世界には終わるかもしれない。だけれど、まさにこの一瞬にその世界の終りなどどんな関係があるだろうか。この一瞬はそれぞれの人間が輝く必要がある」

       ◆  ◆


 そのおじさまはそっとつぶやいた。

 「世界が終わる。確かにそうだね。最近、この世の中を見てみてよ。

 今まで輝きを保っていたものが、一瞬で堕落してしまう。今までの常識が、全く通用しなくなる。

 何が常識なのか、何が正しいのか、自分では全く分からなくなってきている」。

 そのおじさまは「だけど」と続けていった。
 
 「だけどね、世界が終わる。そんなことはあり得ない。神様は、そんなに優しいはずがないから」。

 神様がそんなに優しくなんかない。

 ぼくは心の中でつぶやいてみた。


 神様がそんなに優しくなんかない。
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by fastska | 2006-01-28 09:13 | 青春記・旅・思想
アートと現実の狭間で、ぼくたちは

 とにかくこのポップ写真はすごいと思った。デビッド・ラシャペルの写真に出会ったのは3年前だ。

 考え抜かれた構成。まるでマンガのような構図と人をバカにしているかのような設定。

 とにかくなにもかもが新鮮な写真だった。写真とはこういう可能性があるのだ、とはじめて教えてくれた写真家であったし、そのユーモア精神は絶対に日本の写真家にはないものだった。

 とくにぼくが気に入っている写真はこれだ。
 http://davidlachapelle.com/edit/inflatables_01.shtml
 とにかくアイディアと遊び心がすごいのである。なんだろうか、と思ってしまうほど遊び心とひっかけに満ちている。

 ぼくは今何個かのプロジェクトで画像系の仕事をやっているが、実はこの人の発想とかスタンスをひそかに真似していたりする。

 デザインとかアートとかは年をとればとるほど疎くなってしまうものだ。だけれど、ぼくはこのアート感覚を忘れずにいようと思う。まさにこれこそが、自分の感覚を研ぎ澄ましてくれることだと知っているからだ。

 それにしてもこの写真家はすごいなぁ。
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by fastska | 2006-01-27 23:32 | ここ最近の出来事
自分の頭で考えるということ
 それにしてもやっぱりわからないのである。

 ライブドアの犯罪について、ぼくは以前から同じことを書いてきた。だから繰り返すのはやめよう。

 しかし、それにしてもホリエモンが一体どれくらいの重大な事件を起こしたかがどうしても解らないのである。

 風説の流布という疑惑は分かる。粉飾決算という言葉も分かる。それが犯罪であるということもわかる。

 しかしながら、どうしても家宅検索にまで入って、さらにマスコミからあそこまで叩かれるということがどうしても分からないのである。

 ものすごく大きな文字で「吉川ひなのとのデートが逮捕で中止に!」をホリエモンを叩いている新聞記者は、一体その犯罪がどれくらい大きいことかということは分かっているのだろうか。加えて、その他の経営者の犯罪に比べて、その犯罪が相対的にどれくらい大きいものかということは分かっているのだろうか。

 おそらく分かっていないだろう。

 ぼくがこのニュースを見始めてから、この犯罪がいったいどれくらいの大きさに当たるのか、あるいは昔の判例はどうだったのかということを解説してくれるニュースは一つもなかった。

 繰り返すが、これは客観報道だろうか。

 もともとマスコミは、視聴者が欲しいものを流す。だから、そこには社会的意義やマスメディアの使命などは無縁であってもいいのかもしれない。

 いや、そんな無縁なことなんて、だいぶ前からわかっていた事ではないか。そう皮肉なぼくは語り出す。

 確かにそうなのだ。マスコミが利権団体であることを忘れてはいけない。そんなことは最初からわかっているのだ。そういうことに怒りを感じても仕方がない。

 しかし、一方でやはり大人のコメントを出す人もいる。神田昌典さんは、ブログで「常識的な」深いことを書いている。http://www.kandamasanori.net/archives/2006/01/post_46.html

 このことが興味深くてよいのか。このような常識的な意見が非常識であって良いのだろうか。

 神田さんは、自分の頭で考えている。自分の頭で考えればおかしいことや、納得いかないこと、常識に合わないことがたくさん出てくるのだろう。

 多くの人は自分の頭で考えるということはできないから、どうしてもマスメディアや大きな権力の言いなりになってしまう。

 今まで書いたぼくの意見がくつがえるとすれば、こういうことだ。ホリエモンの裏に大きな闇の黒幕がいる。その闇の黒幕の力があまりにも飛躍しすぎて、その闇の権力を叩く必要が生まれる。そういう必要性があったというのならば、まだ今回の家宅検索は許すことができるかもしれない。

 しかし、それではなく、単に政治家の圧力や住宅強度問題をそらすためだけに、この家宅検索が行われたのだとしたら、それこそおめでたいことなのではないだろうか。

 そして、同時に、自分の頭で考えることができないでいる人が、これほどまでに日本人の中で多かったのかということを改めて明らかにした出来事ではなかったのだろうか。

 自分の頭で考える。このことが重要だということを数年後になってこの物語は語ってくれるはずだ
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by fastska | 2006-01-26 23:43 | 青春記・旅・思想
21世紀の金塊巻
 ゴールドラッシュという言葉がある。

 おそらく多くの人が知っているだろう。アメリカで突然金が見つかった。そこにアメリカ全土の人が集まった。そして、多くの人が金持ちになったのだ。

 そういう神話があるという。

 しかし、本当はどういう状況だったか知る人は余りにも少ない。

 実は、ゴールドラッシュで金持ちになった人はほとんどいないと言われる。たとえばゴールドラッシュの最初の時は、ある農夫の畑から金魂が見つかった。その農夫はどうなったか。実は、アメリカ全土から集まった強欲な人たちに、金品を略奪された。そして、彼の息子は成員殺された。彼は、強盗・侵略を行った人たちに対して裁判を起こすことで一生を遂げた。裁判に次ぐ裁判。勝ち取ったお金はほんのわずかだったという。

 では儲かった人は一体何をしていたのだろうか。

 実は、ゴールドラッシュの時、成功した人の中で金を取りに行った人ほとんどいなかったと言われる。

 最も成功した人はこういう人だった。ゴールドラッシュが始まったと聞いた瞬間に、その人はスコップを買い集めた。その他は軍手などを買い、ゴールドラッシュに来た人たちに売りさばいた。

 そのほかに成功した人にこういう人がいる。金を探すときに、とてもズボンが汚れた。その汚れたズボンの代替として、新しいズボンを売り始めたのだ。しゃがんでもシワにならず、汚れず、ポケットまでついている。この便利なズボンは大売れした。その後、これを人は「リーバイス」と呼んだ。

 この新型ズボンが新しいビジネスモデルであったことは間違いがない。

 これらの話は、何を我々に語ってだろうか。おそらくある種の教訓である。

 その教訓とは何か。

 おそらく、「人々がある方向に走るときに、同じ方向を走ったら成功することはできない」ということだ。「違う方向に走らなければいけない」ということだ。

 ゴールドラッシュ時に、金を掘りに行った人たちと同じ方向に進んだ人はたくさんいた。しかし、金を掘る人たちを横目に違う商売を考え、違う方向に走った人は成功した。これは示唆的な話ではないだろうか。

 今ぼくらは何に、走っているだろうか。

 ITだろうか。あるいは、マネーゲームとしての株式市場だろうか。もしそうであるならば、成功したければ、違う方向に進まざるをえないだろう。賭事で何であれ、人が走る方向に走ったら成功はおぼつかない。その賭事自体を新たに作り上げるか。全く違う観点から切り込む必要があるのだ。

 違う方向見つけたら走ることが必要だ。そして、それ以上にスピードが必要だ。

 何であってもスピードが1番と思っているぼくにとっては、「忙しい」と連発している人の気がしれない。スピードを持って、他人と違う方向走ること。そのことができれば、おそらく最初の第一認者として、お金を得ることもできるのだと思う。人を集めることができるのだとも思う。

 その他人と違う方向ということに関しては、何通りかの答えを今想起している。

 誰か一緒に走りますか?
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by fastska | 2006-01-25 20:46 | 青春記・旅・思想
なんとラディカルなライブドア~堀江社長逮捕(証券取引法違反)
 堀江社長が逮捕された。

 なんとラディカルなライブドアか!と思った出来事があったので箇条書きで書いておこう。

 ・22日に堀江氏事情聴取見込みを真っ先に伝えたのは、ライバルのYahoo!ではなくライブドアのニュース欄だった。

 ・堀江氏の批判記事を真っ先に載せたのは、どこのポータルサイトでもなくライブドアであり、自社が契約しているライターだった(!)

 ・堀江氏逮捕の速報を真っ先に流したのも、上場廃止説を載せたのもライブドアのサイトだった。

 これは、すごい。思想抜きでそう思った。自社の批判を真っ先に流すとは、社長が彼の容疑をむきになって否定していたこと自体も笑い飛ばすかのようだ。

 彼は、最後のジョークとして、最も支配したいはずのTVというメディアに格好の視聴率ネタを与え、逮捕というその過激な露出によって、逆説的にTV的以上のものを自ら演じてしまった。

 おそらくすぐに旧来メディアがドラマにするだろう。映画にするだろう。そして、そこに群がるニュース屋がメシのタネにするだろう。

 ぼくらは、このニュースに魅了されるだろう。そして、メディアによって何かが「崩れた」ということになるだろう。

 そしてぼくらはいつものようにこのことを友人と話すだろう。そして飽きるだろう。

 そしてぼくらは次の「ホリエモン」を探すだろう。
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by fastska | 2006-01-23 21:47 | 青春記・旅・思想
ちょっとだけ若い、社会に出たあなたに伝えたいこと
 ぼく自身若いにもかかわらず、会社に入ってくるぼくよりちょっとだけ若い人が多くなった。

 社外でも社内でも楽しそうにしているせいだろうか。「仕事をどうやったらいいんでしょうか?」と訊いてくれる人もいる。

 そういうときにぼくが必ず言うのは次のことです。

1.パソコンを誰よりも速く処理できるようになって下さい。
誰よりもドキュメントとメールの処理と作成を速くできるようになること。

2.勉強してください。
今、実践で学べばいいという思想が流行していますが、違います。基礎的な教養(これは基本的な書籍の500冊分を読むことに相当します)を知らなければ、目の前の出来事を他人に分かるように説明できません。

3.行動してください。
他人が迷っている間に、実行する。必ずメール受信箱は空にして一日を終える。外国人にも会いに行き、英語ができずとも話すチャレンジをし、TOEIC800点を獲得すること。

 こういうことをいうのですが、ちゃんとやってくれる人はほとんどいません(一人いた)。

 「早く、ぼくより若い人が『その程度じゃダメですよ』って驚かせてほしいなぁ」と言っています。誰か挑戦してください。
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by fastska | 2006-01-22 22:36 | 青春記・旅・思想
われわれは失敗者に何を学ぶべきか~ホリエモンへのオマージュ~
a0022864_13401385.jpg 青い鳥は最初から青い鳥だったわけではない。幸せだった、と気づいたときに初めて「昔から<青い鳥>」だったということになるのである。

 おそらくホリエモンも最初から犯罪者だったわけではない。そして今も犯罪者ではない。おそらくメディアが創り上げることによって、ホリエモンは、「昔から<犯罪者>」だったということに人々の頭の中に刻まれた。

 ライブドア事件に関して、神田昌典さんが冷静にブログで記事を書いている。
(http://www.kandamasanori.net/archives/2006/01/post_45.html)

どんなに高貴で潔白な経営者であっても、ひとつの穴も作らないのは難しい。犯罪者は最初から犯罪者なのではない。犯罪者に創り上げられるのだ。

 ぼくが言いたいのは、ホリエモンが脱法していないというわけではない。ただそれが今の時点では分からないということだけだ。

 そしてその行為が、その他の企業と比して、悪徳なものかが分からないということだけだ。

 考えてもみてほしい。ライブドアへの家宅捜索による株式市場への悪影響を。

 この事件に関して数人の友人と話した。しかし、ライブドアの犯罪について、正確に語ることができた人間は一人もいなかったのである。新聞記者でも、テレビのコメンテーターもこの問題については「詳しくわからないが」などと保留をつけるぐらいだ。

 これはかつて山本七平が語った「日本を支配する空気」となんら変わるところはない。あれほど戦時中に戦争の賛美を繰り返していた朝日新聞が、戦後になった瞬間に、戦争反対・反天皇制を唱えたのと全く同じメンタリティではないか。

 繰り返し言うが、ぼくはライブドアが違法行為をしていないとは言っていない。

 ここ数日の報道は客観性に欠いており、まだ全貌も明らかになっていない状況で、記者たちがライブドアの堀江社長に対して、「ご自身の進退問題は」と問いただす姿が異様に映るだけだ。

 こう書くと、ライブドア賛美の人間のように思われるから嫌だ。ホリエモンの拝金主義に関しては、ぼくは全く賛同しない。それに、人間が金だけで動くかといったらそうではないことも知っている。

 しかし逆を言えば、ホリエモンのお金第一主義の批判は、人間の欲望の裏返しではないか。大衆の願望の裏返しではないのか。

 人々はもっと冷静に、さらに言えば、あの家宅捜索の日にちが、政治家との癒着問題が囁かれるヒューザーの小嶋社長の証人喚問の日であったということを忘れてはならない。
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by fastska | 2006-01-22 13:40 | ここ最近の出来事
眞鍋かをりは現代の弘法大師である
a0022864_0302295.gif 眞鍋かをりは過激さを増している。あのサイゾーで知られるインフォバーンから数ヶ月前に発売された「眞鍋かをりのココだけの話」はブログの記事をまとめた大作だ。この作品は、ブログで無料で読めるにも関わらず、ベストセラーになった。

 これは眞鍋かをりが、80年代からのアイドル文化の歴史を総括するとともに、それを通じてすぐれて見世物的でもあったアイドルの歴史そのものを総括しようとする、野心的なアイドルだからにほかならない。

 単なるオタク文化から大衆のアマチュアリズムへの嗜好の傾倒、そしてアイドルが居なくなった--この時代の閉塞感を、彼女の「いやああああああああああ(T∇T)」という身も蓋もない表現と素直すぎる文章をもって、雲散霧消していくかに見えたわれわれの世紀は、「眞鍋かをりのココだけの話」においてついに最後の偉大なモニュメントを与えられたのである。

 この「眞鍋かをりのココだけの話」では、今までのアイドル像がワザと無理矢理にごちゃ混ぜにされ、すべてのTV番組で今までなら偶像崇拝の対象にしかされなかったアイドルの人格そのものが万華鏡のような総体を織り成してゆくのだ。

 昭和歌謡とインチキポップスが交錯し、廃墟と化した芸能界をさまよう、ある種の「アイドル」の固定的観念が、眞鍋かをりによってのみ壊されていくのだ。機械的に完全に計算されたアイドル像が彼女のブログに遮られながら断続し、その一方で革新的な眞鍋かをりの文章は逆にノイズのように響く。

 アイドル界において「トップ・絶対神」→「素人さん」という時代の変遷の最後の行き止まりが、その行き止まりすらも見つけられない絶望を持って、眞鍋かをりに象徴されている。1文、1文のテーマとジャンルは全く関連性をもたないのだが、おそるべき密度をもって「彼女の思想」が詰め込まれている。

 メインストリームのアイドルにおいては、これまでのアイドル史とは切れたところで、コンピュータ・ゲームのような感覚をもってトップアイドルが作られ捨てられるようになってきたし、これからますますそうなってゆくだろう。

 しかし、「眞鍋かをりのココだけの話」をもって、われわれの親しんできたあのアイドル文化という歴史がしめくくられたことは、否定しがたい事実なのである。眞鍋かをりという高学歴な女性が、芸能界で異端な存在になり続け、旧来のメディアから最も離れたところに燦燦と輝く。彼女の存在を別の形でのアイドル文化の継続と呼ぶか真のアイドルと呼ぶかは、さしあたって言葉の問題でしかない。

 重要なのは、そのような眞鍋かをの歩みが、いま、「眞鍋かをりのココだけの話」という比類ない作品――全てを総括し、そのことで来世紀への扉を開く巨大なモニュメントに結実したということである。

 まさに眞鍋かをりを現代の弘法大師と呼んでどんな問題があるというのだろう。

 「すべては終わった、終わることさえ終わった」
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by fastska | 2006-01-22 00:30 | 青春記・旅・思想
かくもPOPな「戦艦大和」
a0022864_07484.jpg 大学生の時にこういった友人がいる。

 「なんで今、学生運動ってのはないんだろうね。ああいうものがあったら、絶対熱くなれるはずなのに」

 確かに目的を見失った学生にとっては、そして暇を潰すだけの学生にとっては、学生運動というものがあったなら、それは、熱中できる対象ということになるのだろう。かつて、田原総一朗は「学生運動っていうのは、運動会みたいなもんだったんだ」といった。それは若者のパワーが、左翼にも右翼にも、どちらにもふれることがあった可能性を示している。つまり、学生のパワーをぶつけるところが必要だったのであり、そこの思想はどっちでもよかったわけだ。

 たとえば戦争がこのように、熱中すべき、魂を燃やすべき対象と考えられている時代であれば、学生運動と同じくパワーを出し燃え尽きる対象として考えることができたのだろう。

 「男たちの大和」を見た。ぼくは通常こういう戦争映画を見ない。それは思想的にではなく、単純にエンターテイメントとして面白い戦争映画を見たことがなかったからだ。映画は単純に娯楽のために見るものであり、道徳教育のために見るものではない。

 それはいいとして、この映画を見て気付いたことを書いておこう。

1.アップが多い。最初から最後まで、信じられないほどアップが多い映画だった。俳優のアップが多いのだ。女優アップが多いのだ。それをぼくは信じられずにいた。それとも新しい表現方法の始まりだろうか。それにしてもアップが多すぎる。しかし、アメリカ軍との対決のシーンが始まってから気がついた。

 これは、極度に人物をアップすることに、そして死にゆく兵士の姿をアップにすることによって、画像のリアリティを増しているのではないか。限りなくアップで見せることによって、人間の生というものを考えさせているのではないか。そう思った。

 しかし、本当はこういうことだろう。おそらく、監督は最初からアップのシーンを増やさざるを得なかった。それはなぜか。中途半端な引きのシーンができなかった。戦艦大和を再現するというのは費用的に不可能であり、中途半端な引きで、戦艦大和と兵士たちが写るシーンを撮るすることは不可能であった。だから、完全に引いて大和全体を写すこと(おそらくCG)と、完全に人物のアップのシーンしか撮ることができなかった。おそらく、こういうことだと思う。

2.ジョークがない。西部劇、あるいはアメリカの戦争映画で、極限状態に陥ったときにも兵士同士がジョークを飛ばし合うシーンを見たことある。

 それに対して、この映画の中にはジョークがなかった。全くなかった。おそらくこの映画は、結構当時の様子を正確に描き出しているのだと思う。確かに、考えてみるに、日本の戦争映画で、戦争の真っ最中に兵士同士がジョークを飛ばしているところは見たことがない。

 僕はそこで、アメリカと日本の余裕の差を見たいわけではない。ただ、事実がそうであるということだ。本田宗一郎も著書の中で、これほど日本人が余裕がなければ負けて当然だろうと書いている。僕はそこまで断言する自信はない。しかし事実がそういうことだ。

 以上が気付いたことだ。

 ただ、こういうことばかり書いていると不謹慎に思われる。だから、戦争について、そしてこの映画を見た感想についてちょっと書いておこう。

 まずぼくはあの戦争を賛美する気にも、批判する気にもなれない。これに参加した日本人が全員バカだとも、利口だとも思わない。

 そういう時代が確かにあったのであり、その聖なる戦いになぜだか惹かれる人々が今でもいる。それは事実なのだ。ぼくは戦争に対して饒舌な人を信じることはできない。戦争経験して真摯に生きてきた人はたいてい寡黙なものだ。そのことをぼくは知り合いの老年者や両方の祖父から知っている。

 また、戦後の左翼のように戦争を全面的に批判するつもりにはなれない。そこには確かに、人々の生活があったのであり、人々が国家のためだけに戦ったわけではなかった。あくまでも身近な人々とか、母親だとか、恋人だとか、子供のために戦ったのだ。

 この映画の最後シーンで、前の列の高校生の携帯電話が鳴った。最後のところで、壮絶なシーンのところだ。その高校生は迷わず携帯をとって、議場から出た。

 少し前の左翼なら、批判するにも全身全霊をかけた恐ろしさがあった。右翼も、自分が正しいと思ったことを主張し、それにこれまでの蓄積的人生をかけるだけの凄みがあった。

 それから数十年、戦争を批判することも賛美することも、そもそも考えることはなくなった。

 このような映画を見にきている若者であってもそうなのだ。

 なんと「幸せ」な戦後を大和は作り出したことだろうか。
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by fastska | 2006-01-22 00:07 | 映画エイガえいが
ホリエモンより哀れな自称「客観報道」
ホリエモンの家宅捜索の件で1番明らかになったのマスコミの脆弱さです。

自分たちが取材もできず、客観的な事実を把握していないにもかかわらず、ホリエモンを犯人扱いすること。どこが客観報道か。

まさにこの1件は感情に流されるマスコミ像を演出することで、逆説的にマスコミがやはり風の噂でしか流されることを露呈しました。そして同時に、多くの人たちがマスコミの言説によって動かされるということも改めて明らかになってしまいました。

考えてもみてください。もしこれが証券法違反だというのであれば、今までテレビ局が楽天やライブドアに対して放った発言は一体どうなるのか。あれは楽天やライブドア以外の違う他社とありえもしない事業を立ち上げるような発表をして株価誘導の一員なったことは間違いありません。

インターネットメディアというのは旧来メディアに宣伝広告費を出していない分、いや宣伝広告費を出していないがゆえ、目の敵にされてきたという歴史がありました。まさにこの構図は敢えて広くとらえるならば、旧メディア対新しいメディアの戦いということもできます。(正確にはライブドアはポータルサイト事業ではほとんど儲けておらず、新メディアもどきと言った方が良いのかもしれませんが、少なくともイメージ的にはそれでもさしつかえないはずです)

「~という」表現が多用されていました。これは一体どういうことでしょうか。「~という」とさえ使えば、どんなことでも確認もせずに流すことが許される。まぁお気楽な商売のもんです。

おそらくこの家宅捜索は見せしめ以外の何者でもありません。誤解なきよういっときますが、私はライブドアの株主ではありません。あんな危険な動きをする株なんて持っていられるか。

しかしながら、少なくとも言えるのは、今までの多くのCEOの株価操作を見る限り、これは全く悪質な部類には入らないだろうということです。

私はホリエモンの思想全く評価していませんし、賛同する気もありません。が、この程度のことで家宅捜索が入るのは極めて入りであり、さらにいえば、そのまま報道するしかなかったマスコミも極めて哀れだということです。

多かれ少なかれこの影響で、日本経済の株価は全面安となりました。ルールを破ろうとする者は、ルールに潰される。仕組みを破ろうとする者は、仕組みに潰される。

そういうことの悪しき前例にならなければよいのですが。
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by fastska | 2006-01-17 23:08 | 青春記・旅・思想