緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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ジジイだって恋したい!!
「ねぇ、あの娘さぁ、彼氏いるのかなぁ?」

とか

「○○さんってかわいくない?」

みたいな会話を男性8名からきいた。
この前、あるキャリア系セミナー終了後の飲み会のことだ。

嗚呼、どこまでいっても男と女。

そう思った。平均年齢28歳の会において、である。

常に意識しておいた方がいいのは次のことだ。

「自分が、『この人魅力的だわぁ』と思う女性に対しては、ほかの男もそう思っている。だから彼氏がいる可能性がたいへん高い。だから何かできるなんてこと思うのはやめとけ」

これは女性だけでなく男性であっても同じことだと思う。

そういうことを意識的にアタマに入れとかないと、ヘンな失望感やら喪失感を味わうことになる。
ワクワクドキドキは、未知のものとの遭遇で感じよう。それは、女性とのワクワクドキドキを否定するもんじゃない。だけど、第一じゃない。

そういえば、以前老人ホームで働いている人に聞いた話がある。おじいさんたちがおばあさんたちに呼ばれて一番いやなコトバが「おじいちゃん」なんだっていう。

つまり「○○さん」っていう風に固有名詞で呼ばれたい。俺は、このおばあちゃんの前で1人の男性なんだって感じていたいみたいなのね。そんで、「あのおばあちゃんって、若い頃はモテたらしいよ」ってな会話している。

嗚呼、どこまでいっても男と女。
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by fastska | 2005-08-28 21:26 | 性セイせい
なつかしい人
 「バカヤロー!静かにしろ」

 高校の文化祭で、バンドの練習をしていたとき、教師がアンプを持ち込んでいた体育館に怒鳴り込みにきたことがある。

 ぼくと友人は、「ああ、すみません」といって、教師が立ち去るのを待った。

 すると友人はニヤっとして、アンプの音量を少しさらに高くした。

 「さっ続きしようか」

 この悪びれないところ、憎めないところ、何よりも一緒にいて楽しいところ。ぼくはこの友人が大好きだったので、その後しばらく交流が続いていた。

 大学に入ってからもしばらくは連絡を取っていたけれど、そのうちどちらからともなく連絡をとらなくなった。ぼくがあるとき酔っ払って、その勢いで電話したときは、もう彼の携帯番号がかわっていた。

 ぼくは、彼をたまに思い出す。この過激な「なつかしい人」を思い出す。

 今までぼくは一体どれだけの「なつかしい人」を持ってきただろうか。

 高校のときたまたま送ったデモテープがCDになって、そのとき関わってくれた人。あれも多くの大学生の方々の力がなければ成し遂げられなかったことだ。そして、そのとき知った多くの高校生。

 大学の時だって多くのバンド関係者や、大学の友人、そういえば精神患者の交流会で触れ合った人たちもいた。バイト先の人々、映画の関係、思想書を語り合った人たち。社会人になって多くの取引先、同僚、勉強会で会った人たち、そして交流を始めたもののもう連絡をとれなくなった人たち・・・あの人たちは今ごろ何をやっているのだろうか。

 そして、ぼくは彼らの中での「なつかしい人」になっているだろうか。

 ぼくの前を通り過ぎていった人、彼らとはいつかしら出合って、以前のことをさも昔話のように語り合うのだろうか。昔のことが、さもぼくらの世の中の全てであったかのように笑いあい、握手をするときがくるのだろうか。

 おそらくそれはないだろう、と思う。もはやお互いが昔を振り返ることを、あえてやらない方がいい。そのほうがお互いのためだ、と思う。

 これからも多くの人がぼくを通過していくだろう。

 もう連絡は取れないかもしれないけれど、「今ごろなにやってるんだろうなぁ」と気になる人。そういう人を増やし、増やすが会わない、ことは逆説的に将来へ前進させるきっかけをくれる。

 昔は取り戻せない。それがゆえに、今と未来を深く楽しく生きていかないといけない。

 あなたは誰かの「なつかしい人」になっているだろうか。
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by fastska | 2005-08-28 10:28 | 青春記・旅・思想
ヲタクが暗いままではなぜいけないのだろうか~映画「電車男」考
a0022864_23364758.jpg 女性とキス。たったこれだけのありふれたワンシーンなのに、となりの外国女性は泣いていた。

 本日やっと、映画「電車男」を見てきた。

 この原作には様々な憶測が飛び交った。「これは作り話ではないか」。「これは誰かが仕掛けたフィクションではないか」。「ある程度は本当でも、相当箇所が創作ではないか」。

 ただ、ぼくはこのような憶測に興味はない。あれが実話であれ、実話ではなくとも、インターネットというメディアを通じて語られる話である以上、客観的な物語ということはありえない。

 マーシャル・マクルハーンのメディア論を出すまでもなく、メディアは「メッセージ」であるから、どこかに発信側のバイパスがかからずに受け手に届くということはありえない。

 ぼくが興味あるのはあくまで映画の完成度であり、そこに虚構であれリアリティを感じることができるか否か、だ。

 ぼくはこの映画を見る前は、「ヲタク映画のくせに、ヲタク臭くない作り方」をしているのだろうと思っていた。そしたらどっこい。十分に新しいアイディアが盛込まれている。

 文字と、アスキーアートを説明なしに使ってしまう大胆さ。そして、おそらく輸出不可能な日本語というものを前面に出しすぎたポスコロ思想を逆手にとった戦略。

 加えて、電車男がエルメスとキスをするシーンは、なるほど外国人女性を泣かせてしまうほど、感動的である。感動的すぎるほどである。

 しかし、感動的であるゆえに、逆説的にぼくにはリアリティを感じることができないのだ。

 ぼくが今まで会ったヲタク達は非常によく話した。喋るのを止めると死ぬのではないか、というくらい自己のアイデンティティを目の前の対象に傾けざるをえない、その個人の必然性を持っていた。また、ときに厚かましく、他人を気にすることを知らぬ傍若無人なふるまいこそが、ぼくの中で彼らを自由人と定義してしまう必然でもあった。

 さらに、ぼくはあのようなヲタク男性に興味を持つセレブ女性(象徴的な意味で使っていることに注意せよ)を1人として知らない。これを偏った体験といいたければ言え。ただ、人間の特性は必ず似たもの同士を引き寄せることしかない。これは、人間の真理でもある。

 例外を一つだけ持ち出して、「そんなことないよ。ヲタクと付き合っている美女いるよ」なんて反論はヤメテ欲しい。大きな一般論としてみた場合には、やはりセレブとヲタクが惹かれあうことはない。だからこそ、その逆説を夢見て、この「電車男」は人々に受け入れられたのだ。

 そして、最後に疑問が出てくる。

 ヲタクは性格を変えねばならないのだろうか。そして、ヲタクは一般的な意味での「ちゃんとした服装」に身をまとわねばならないのだろうか。

 それでもセレブを抱くことがヲタクの目的であってよいのだろうか。唯一カルチャーとして壮大なる欧米文化に深く切り込んだヲタク文化の願望であってよいのだろうか。

 そしてそれが来るべきヲタクの表現であってよいだろうか。
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by fastska | 2005-08-21 23:58 | 映画エイガえいが
電子診断で笑おう
 オタキングこと岡田斗司夫さんの恋愛相性占いを発見!

http://hanihoh.com/love2/index.cgi?ck=050821-56-49988466

 ほとんど、「占い」のつくものに興味のない(全くない)ぼくにとって、今までで唯一楽しめる占いだった。

 最初はぼくとの恋愛相性占いをやることになっている設定だけれど、その後は気になる女性(男性)や彼氏彼女に送付してみてください。

 おそらくこの占いが楽しいのは、エンターテナーとして完結しているからだろう。そして、占いの本質は統計学にあるのだろう。
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by fastska | 2005-08-21 19:33 | 性セイせい
人生は逆説にあふれてる
 文章を書くことが大嫌いだった。小学生のときも高校になっても大嫌いだった。だけれど、大学生になったとき、音楽関係の友人に頼まれたミニコミにちょっとプログレの雑文を書いたとき、突然色々な出会いがあった。そのときからぼくは多量の文章を生産している。

 音楽も完成されたものしか好きじゃなかった。ノイズとか大嫌いだった。バンド音楽も嫌いだった。しかし、ある日突然、UFO OR DIE のライブを見てしまい、ノイズ系の音楽にハマった。高校のときやったノイズバンドはCDのオムニバスに4つ参加し、なぜか大物バンドともライブをやらせてもらえた。

 いままで一番嫌いだったのは、クルマを運転することだった。だけれど、いまじゃあるきっかけから好きになった。クルマを必要悪として認め、その悪の部分をいかに軽減するかを考えている。

 あるときまでビジネス書が大嫌いだった。哲学とか社会思想とか、そういう価値のないものが高貴な気がしたからだ。だけどいまではほぼ有名なビジネス書は読破している。

 人生は逆説にあふれている。

 ぼくはあるときから、人を一方的に批判するだけで何も構築できない人を哀しく思い始めた。

 批判の中にも何かを生み出そうとする人か、何も生まない人か。

 右翼に最も近いのは左翼であり、お互いの陣営に多くの転向者がいる。人生はちょっとしたことで好みが変わる。そしてその好みの変容は皆に何かのきっかけをくれる。

 ふとしたきっかけが起点になって、何もかもが変わってしまう可能性がある。ぼくはだから嫌いなものにもある程度の心の余地を残そうと思う。急に好きになったものがどれだけ人生で有益にはたらいてきたか。

 ぼくはこの「自己の内なる転向」による世界の広がりをみんなと話したい。

 人生の逆説さを知るために。
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by fastska | 2005-08-20 07:09 | 青春記・旅・思想
ときには地方から政治を考える
 「フラレちゃったの」

 「ああ、そうよねぇ。長い間連れ添ったのに、捨てるときはあんなもんよ」

 ぼくが田舎に帰ったときは自民党の話題でもちきりだった。

 いや、もっと正確にいえば小泉政治のことでもちきりだった。

 あれは郵政改革の騒ぎではなかった。一つの舞台装置としての政治が、ブンブンとまわりながら、小泉純一郎という稀有なトリックスターに脚光を浴びさせていたのだ。

 なんでも、郵政反対の議員は自民党の公認を与えないのだ、という。

 小泉は脅しではなくそれをやった。

 そこで繰り広げられるのは、地方の自民党支部の驚きとから騒ぎだった。地方の多くの自民党支部は今までお世話になった先生諸氏を引き続き「公認候補」として擁立の意向を中央に連絡することになった。

 田舎でも、小泉騒ぎは存在していた。

 もしかすると、小泉政治の最大の功績は、既得権益にすがる連中をどこに頼みに行ってよいか不明にさせた、ことにあるのではないか。

 いや、むしろその点のみが小泉政治の唯一かつ最大の業績ではなかったか。

 社会のルールよりも、世間のしがらみが先んだつこの日本において、この既得権益連中の行き場をなくそうとしていることは確かに革新的ではある。

 小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」という、レトリックにちりばめられたこの公約だけは、着実に進行しつつある。壊すことだけが革命家ではない。

 しかし、小泉はこの最大願望の公約を、メディアと選挙を巧みに利用し、果しつつある。
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by fastska | 2005-08-17 22:34 | 青春記・旅・思想
私を古いファッションに連れて行って
 「ダサい!」

 そう思った。いや、正確には「古臭い!」なのだが、死語である「ダサ」い!と思ったのだ。

 実家に帰っては、以前のVTRを引っ張り出して観覧することを常としているぼくにとって、この「ダサい!」と叫ぶのはよくあることなのだった。

 そして今回、昔のバンドを見ていたときのこと。観客やら、そのクリップのつくりやらがとにかく古いのである。そして、ぼくは思ったのだ。

 「古いなぁ!こんなに!ダサい!」

 やっぱり90年代はこういう時代だったのだ!失われた10年とはよく言ったものだなぁ。

 こんなにダサいものを夢中になって見ていたなんて、さすが90年代!

 そして、VTRを見終わるころ。そのVTRは告げていた。
 
 「2000年9月26日」

 なんとたったの5年前だったのだ。わずかに数年前に経験したものだった。ぼくは、思わずはっとするとともに、この時代の流れのはやさをいまさらながらに感じたのだった。

 その後、ぼくは書庫に積み上げられたビジネス書を探しに行った。

 やはり予想は当たっていた。わずか5年前のものが古びて、臭く、汚物と化しているのだった。

 もしかするとファッションはイデオロギーと同じではないか。その時代は輝いて見えたものが、少し時間が経るだけでとてつもなく陳腐で恥ずかしきものに見えてしまう。

 思えば、IT革命を賛美的に語っていたのはどこの新聞だったか。不良債権の維持を中小企業保護から述べていたのはどこの新聞だったか。地方郵便局の地域との触れ合いをヒューマニズム観点で褒めたたえていたメディアはどこだったか。こういうことを考えると、逆説的ながら、現在流布している思想をこそ疑わなければならないのではないか。

 もしそうであれば、今さかんにいわれている「起業ブーム」でも疑ってみるか。おそらく、起業ブームの成れの果てが明らかになった瞬間に、反動が起きるのは必然である。
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by fastska | 2005-08-15 00:15 | 青春記・旅・思想
もう思い出すらそこにはない
a0022864_454347.jpg 狂う、ということはどういうことだろうか。

 また、一人だけが正常で、他の人たちが皆狂っている、などということはありえるだろうか。

 狂う、とは常に世の中の片隅に存在することだ。絶対多数の正義と常識を信じることができず、孤独な営みを続けることが狂うことだ。だから、世の中一般が狂っていて、自分のみが正常ということはありえない。

・・・・

 ぼくはいま実家に戻りしばし休養のときを過ごしている。

 ぼくには実家に戻ると必ずすることがある。

 図書館に歩いていく、ことだ。

 図書館には歩いていかねばならない。それは、図書館に行く道すがら、歩いてしか通れない小道を抜けたところに、「彼」の家があるからだ。

 「彼」はおそらくぼくの知っている友人の中では最も古く、20年前から知っている。小学生のころからだ。

 だけれど、最後に話した記憶があるのは中学生になった春で終わっている。

 「彼」はいまどきのコトバでいえば、ひきこもりだった。ぼくのコトバでいえば、狂い始めていた。自分の中にのみ世界を構築する、などというものではなかった。もし、それであれば、自分の世界に没頭することによって、なんとかこの息苦しい世界を生き延びていくこともできただろう。

 「彼」はひたすらゲームをしていた。ただ、そのゲームに熱中するという自分自身をどこか冷やかに見、自己の終焉のときをどこか切望している感すらあった。

 「彼」は小学6年生のころから学校を休みがちになり、中学になるとまったくこなくなった。ぼくは、彼と話す機会が減り、彼は学校の先生からの電話にすら出なくなった。先生が家に出向いても会うことすらなく、ときには家自体が死んでおり、親も居らず本人も居ず、周囲を騒がせることすらあった。

 ぼくは「彼」と話してみるべきだろう、と思った。

 思った?

 いや、話してみるべき、状況を作り出したのは、もしかするとぼく自身ではないか。

 「彼」は、現実と虚構の間で、なんとかぼくという友人を皮一枚のつながりとして、正気を保っていたのではなかったか。

 ぼくが急に疎遠になることで、「彼」は虚構の叫びの中に飲み込まれてしまったのではなかったか。

 そういうコトバで整理できたのは、ずっとあとになってからだ。いずれにせよ、ぼくには、ぼくが彼をあの状況にした一因があるのではないか、と思ったのである。

 だからぼくは実家に帰るたびに、意味もなく「彼」の家の前を通り過ぎるのだ。

 偶然「彼」と再開し、「なにやってんの?」「いやぁたまたまここ通り過ぎたんだけど」、なんて会話ができるのではないか。でも会話をしてお前は何をする気だ--という自問が始まる。そこには、相当な思いあがりがあるのだと思う。俺が「彼」を救えるかもしれない--などという最高に一方的な思いがあるのだと思う。

・・・・

 そんな感じで、ぼくは大学生時代の帰省から数えて8年間、この偶然の再会を信じて歩き続けたのであった。

 昨日、ぼくはまたしても「彼」の家の前を通り過ぎた。



 「彼」の家はなかった。



 新しい家が建っていた。

 その新しい家の表札には「荒木」とあった。「彼」の苗字とは違った。

 なんだか、安心した。

 不思議だった。本当は、心配してあげるべきだったんだと思う。「彼」はどうなってしまったのか。そして「彼」はどこにいるのか?

 だけれど、だけれど。

 ぼくは安心してしまった。

 何かが終わった気がした。この街がぼくに対して、教えてくれている気がした。

 「何をお前は昔のことを探し続けているのか。もうお前には何も探すものも、見つけることのできるものもない。思い出すらそこには残っていない。」

 さようなら!

 そう、ぼくらには思い出すら残っていない。

 さようなら!

 ぼくらは、「今」にしか生きることはできない。

 さようなら!

 ぼくらは、きっと10年後にまた今のことを思い出すだろう。

 そして、どこかおかしな感傷にひたっては、その感傷にひたること自体の楽しさを知るだろう。本当は、思い出すら残っていないのに。

 さようなら!
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by fastska | 2005-08-11 05:36 | 青春記・旅・思想
6回で全てとつながる!
 この前、アムウェイにはまった友人から突然電話があった。

 「これは絶対成功するビジネスモデルだよ」と友人はいうのであった。

 ネットワークビジネス、と友人はいうのであった。ぼくは「ネズミ講」とか「マルチ商法」といったほうが早い、と思うのだけれど、それはネットワークビジネスなのであった。

 「こうやって、こうやって売り込めば、必ずお金が舞い込んでくるんだ」とその友人はいうのであった。

 だけれど、だけれど、である。

 スモールワールド理論(ダンカンワッツ教授)によると、人間はわずか6人の友人のつながりで世界中の誰とでもつながるのである!たとえばあなたがナイジェリアの主婦とコンタクトをとりたいと思えば、6人を介せばその人とコンタクトできる!

 ということは、それだけ世界は狭いのだ。アムウェイのビジネスモデルが優れているのは認めるが、皆が儲けることはできない。なぜならば、日本の人口を考えても、数人のネットワークでほぼ日本全体の人口をカバーしてしまうからだ。そのみんなに新規の勧誘をすることなどできないのだ。

 じゃぁ、逆に考えたらどうだろうか。そう、彼らがビジネス目的でやろうとしていたネットワーク構築を純粋に人脈作りの手法として使用するのだ。

 6人を介せば世界中の誰とでも出会えるという理論は非常に興味深い。

 であるならば、人脈をつくることで、世界につながるような飛躍ができるのだ。

 ある調査によると、「今の仕事を見つけた理由は?」に対して、60%の人が「友人の紹介」と答えている。だが、その「友人と会う頻度は?」に対しては、「ほとんど会わない」と答えている。

 つまり、それだけ、単に知っている友人というのは大切なのだ!いままで人脈とは単に知っているだけではダメ、分かり合えなきゃ、といわれてきた。だけどそれは本当だろうか?単に知っているだけでいいのではないか?

 人脈は知っているだけでその目的を果たしている!というのは心強いコトバだ。

 そういう意味で、あと3人が定員となる下記をよろしくお願いします。
 <http://www.kyotenlabo.com/>
 (3名キャンセルになっちゃったのです)
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by fastska | 2005-08-10 21:22 | 青春記・旅・思想
モーニング娘。は古い? ~ ぼくらはいつでもアイドル ~
a0022864_921770.gif 「ブスな女の子だって夢見れるんだよ」

 この前、モーニング娘。について5人でスノッブなおしゃべり。

 「何でモーニング娘。って成功したのかな?」

 「そりゃ、アレよ。モーニング娘。の魅力でしょ」

 「モーニング娘。って素人参加番組みたいなもんでしょ」

 「モーニング娘。のプロデューサーの能力でしょ」

 「ほら、モーニング娘。って、一般の女の子が『私もなれるかも!』って期待しちゃうんだと思う」

 「だけど、大半のファンは女の子じゃなくて、男でしょ」

 「でも、やっぱり素人でしょ。身近にいそうな女の子がヒーローになってる」

 「距離感が近いってことね」

 「そうそう、スターぽくないっていうか。そこらへんがすごいの」

 「でも、おニャンコもそうじゃない?」

 「あれよりずっと年下だよ」

 ・・・・・侃侃諤諤。

 おそらく同じような議論が、日本中のいたるところで交わされているのではないか。モーニング娘。のヒット要因を探す試み。しかも、それは後付けの分析にしかならないと知りながら、ワイワイと要因を議論したいのだ。

 だけれど、上記のようなヒット要因は本当だろうか

 ぼくはこの前、1985年の雑誌「活人」を読み衝撃を受けた。この雑誌は元々、アイドルをインテリっぽく紹介する雑誌で、現代思想のヒーローと小泉今日子が混在しているようなヘンテコさが売りだった。

 その中の浅田彰氏の連載が目をひいた。

 簡単に要約すると、こういうことだった。

 「アイドルの低年齢化がどんどん進み、いまや中学生が慣れた素振りで画面に映るようになってきた。どんな女の子でも潜在的なアイドルだ。ティーンエイジのくせに老女で、輝きは一瞬で終わっていく。TVには小さな輝きが乱舞し、彼女たちはどこまでも希薄な物語を生きている」

 ぼくはびっくりした。

 ちょうど20年前に書かれた文章を変えるだけで、現在にも通じるじゃないか。むしろ、文章のレトリックからして、現在にはない批評形式によって、今流布している言説よりも的確な気もする。

 誰が、この文章が20年前のアイドル批評だと気づくだろうか。

 モーニング娘。は古いのだ。いや、彼女たちが古いのではない。もうぼくらは古いと気づかないほどに時代時代の流れに翻弄されていたのだ。繰り返しのムーブメントは終着点をまだ知らない。手法は繰り返され、皮相的に流動していく。

 音楽に興味のない、とある年配の方がいっていた

 「アイドルなんて、服装と曲調が少し変わるくらいで、時代なんて関係ないわよ」

 というコメントが思い出されてきた。どうやら今のところは、このコメントの方にぼくは賛同する。
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by fastska | 2005-08-09 09:43 | 音楽オンガクおんがく