緊急事態!!色々なことを書き散らしているようで、そうではなかったり。不思議でワイセツで知的な刺激を。
by fastska
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earthcream2000@
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(山塚あて)
*すみません、昨年からずっと最近メールが1万通きていて、見切れていません。メール返信必要な場合はblogに書き込んでいただけると幸いです。

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カテゴリ:映画エイガえいが( 34 )
映画「プラダを着た悪魔」~甘え若者を批判する
映画「プラダを着た悪魔」は愉しい。今年の劇場映画の83本目だったが、ベスト5に推しても良いね。

厳しすぎるオバさんの女性編集長と、ただただ愚直に頑張る女性の若手。

どこにでもありそうなこの構図に光を当てているのは
①清々しいほどの努力する女性の姿
②若手が田舎っぽい女から奇麗な女性に昇華している
ことだと思う。

おそらく女性の仕事への不満の8.5割は、自己評価の高すぎと努力の怠りにあるのだが(言い過ぎかもしれない)、①に見られる清々しさは現代にあって非常に稀有に映る。

そしてもっと重要なことに、この主人公が美しく変貌したことにこの物語の重要性はある。これが野暮ったい女のままだったら絶対に成り立たないのだ。

という意味で、美貌の良くない女性にはどうしても退場願わなければいけない。とはいえ、女性の8割は自分のことを「まずまず」と思っているが。こう書けば殺されるだろう。

ぜひ、気になる男性を一緒に連れて観てみてほしい。
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by fastska | 2006-12-14 22:57 | 映画エイガえいが
演劇「奥様は魔女」~演劇衰退論を批判する
なんということだろう。演出家:南野真一郎の演劇「奥様は魔女」を見た後、ぼくはあらためて圧倒される思いだった。鮮烈な色彩に輝く俳優陣と凶暴な叫びに女優の声は無比のセリフ。過激さがとめどもなく増殖し、いたるところに氾濫する。

そう、それは、生涯にわたってインチキ演劇と戦い続け、その苦しい戦いを華麗な芸術に転化しおおせた一つの演出家の、輝かしい勝利の記念碑なのだ。

演劇「奥様は魔女」は、早くから精力的な演劇活動を展開し、とくに00年初頭あたりからは活躍し出す南野を中心として作成されるようになる。そこで重要なのは、彼らの個人史における演劇の必然性と、演劇史における欲求としての必然性が、ぴたりと一致したということだろう。

切り貼り演劇から本物志向への回帰--彼らがそれがたまたま、一様なストーリーで行き着くところまで行ってしまいその混沌から抜け出そうとしていた演劇史の動きと一致したのだ。

無意味な踊りと、不必要な下ネタの中にしっかりと存在する主流派を主張することでもって、自己と世界の消滅に向かう彼らの過激なパフォーマンスは、演劇界の枠を超えて派手な表現を展開しようとする演劇の先駆けとなって、注目されるようになったのである。

死に至る自己破壊を辞さぬ過激さを逆手にとって芸術へと転化し、それによって自己治癒を図る。しかし、その過程は一度かぎりの勝利をもって終わるはずもなく、演劇「奥様は魔女」はたえず振り出しに戻って苦しい戦いを繰り返さなければならなかった(観ていてそう思った。おそらく何度もストーリーを変更したのだろう)。

とくに、90年後半になり、アヴァンギャルド演劇(という名の単に素人)の高揚、演劇全体の観客数衰退の時期。その前後の時期は、彼らにとってにとって大きな危機だったのではないか。それだけに、その直後に起こる圧倒的な爆発は、聞く者を驚嘆させずにおかない。

絢爛豪華な生の饗宴を繰り広げる彼らの演劇--そう、ぎりぎりまで死に接近した演劇「奥様は魔女」は、この芸術によってはじめて生き延びることができたのだ。そして、彼らはなんと見事に生き延びてみせたことだろう! それはもはや芸術による自己治癒といったレヴェルをはるかに超えたものだ。病いを芸術に転化することで、死に打ち克つ。先に述べたとおり、それは一度かぎりの勝利をもって終わるような過程ではない。だが、演劇「奥様は魔女」は演出家の20年以上を超える人生のその戦いに見事に勝ち抜いてきた。もはや死すら恐れぬ境地に到達しつつあるかのようだ。

その意味において、繰り返そう、は演劇「奥様は魔女」という演劇家――病者ではない、紛れもない大芸術家の、輝かしい勝利の記念碑なのである。

http://tsuka.co.jp/kitaku/butai/0611majo/mm/index/index.html
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by fastska | 2006-11-04 19:03 | 映画エイガえいが
映画「ストロベリーショートケイクス」~生きづらい現代論を批判する
断言しよう、映画「ストロベリーショートケイクス」は今年の映画ベスト3に入るべきものだ。

2006年11月1日現在、ぼくは日記によると78本の映画を今年見ていることになる。その中で映画「ストロベリーショートケイクス」はベスト3に入ることがほぼ確実になった。

魚喃キリコの漫画原作を元にしたものであるが、珍しく漫画原作を超えた映画として賛美されていい。ろくでなしの売春婦、画家、刹那なOL。こういった主人公たちがセックスという軸で淡々と描かれてゆく。

漫画の原作には「どこにでもいる女の子たち」というような解説があるが、それは違う。売春婦や画家や、刹那なOLなどそうたやすくいるわけではない。しかし、それでもなお彼女たちのフィルターを通して描かれる現代は間違いなくぼくたちの目の前にある。

多くの男たちからの裏切り。そして結婚できないという現代問題。

ここにあるのは現代女性の疎外感ではない。疎外感など、どの時代にでもあるものなのだ。この作品が優れているのは、むしろどの時代にでもある疎外感を、現代のみにしか存在しないかのような唯一性をもって描いた点にのみこそある。

この映画では、「あなたとセックス、あなたはわたしのもの、あなたは王子様、この場限りでもいい」という女性の刹那な囁きが、とりとめもなく流れる。

しかし、ここではもはや女性の独白というもの以外が存在してはおらず、従ってそのような漫画の内容がいかなる悲劇性を帯びることもなく、それがこの映画の清々しさに通じている。悲劇を描きながら、清々しいという屈折がある。

このように、魚喃キリコに代表されるPOPな漫画作品は、「悲しいけど、あんまり深い問題じゃないかも」という徹底した弛緩を特徴としている。それはたしかにポストフェミニズムの表現というにふさわしいだろう。

だが、同じ少女漫画家で言えば萩尾望都の作品の悲劇を突き抜けた輝きにあらためて圧倒された者としては、つい疑問を抱かずにはいられない。

もうヘタに女性の悲しみなど描くのは止めて欲しい。30歳女性の大半が「カレシもいない」現実がある今。小説より映画より、もっともっと現実の方が中途半端な悲しみを超越しているではないか。そんな現実があるのに、小説や映画で改めて悲しみの虚構など描かれても、もはや意味がない。虚構の悲しみなど現実からすれば能天気なのである。

芸術がこんなに脳天気であっていいのだろうか。真の悲劇に到達することさえない弛緩が、本当に来るべき女性性の表現と言えるのだろうか。
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by fastska | 2006-11-01 23:49 | 映画エイガえいが
風味絶佳としての恋~映画「シュガー&スパイス」の恋愛風景を批判せざるを・・・
 現在の女性たちに「自由恋愛ってどう思う?」と訊いたらどうなるだろうか?

「当たり前でしょ!」と言われて終わりか。当たり前か。別にこれは女性に限ったことではない。この映画の主題が自由に駆け抜ける女性に振り回される男性陣、だったからそういう訊き方をしたまでだ。

しかし、昭和初期まで結婚とは生活のためにするのであり、許婚(いいなずけ)制度もお見合いも、親が強引に決定することも、それぞれ機能していたことを考えると時代の速さに驚愕せざるをえない。

さっき「昭和初期まで結婚とは生活のため」と書いたが、まさにそれの対極が「自由恋愛」だったわけだ。繰り返すが、昭和初期までは、である。昭和の歴史家の書物などを読むと、自由恋愛の果てに結婚した二人は「ならず者」であり、「放蕩」呼ばわりされていることが分かる。

それがわずかの時間で変化してゆく。もちろん、我々は現在に生きているから、現在のことだけを考えていればいい。過去のように、許婚を賛美したり、親の決定を待てといいたいわけじゃない。

しかも、最近は「結婚自体しなくてもよいかも」という考えすら出てきた。こう書くと、なんだかぼくがそういう考えを否定しているようだが、そうじゃない。単にそういう風潮もある、と言いたいだけだ。

そういう時代においては、そのときそのときの恋愛も今を輝かせるものとしてのみ機能する。つまりは、恋愛が都度消費される。

だから「今付き合っている人はいるけど、結婚するかわかんない」という発言がありうるのである。繰り返し、その良し悪しは論じない。

考えるに、選択肢の多い時代と、選択肢の少ない時代を比すれば、選択肢の多い時代が悩ましいのではないか。どっかの哲学者も書いているように。自由のパラドクス、というやつだ。

ああ、「女性はある年齢になったら絶対に結婚するものだ」という思い込みの強い時代に生きた女性たちの心情はどれほどラクだったことだろう。

これは女性だけの話ではない。男性も自由という桎梏を強く内在させているのだ。

ということを、この映画を観ながら考えていた。これも自由な時代の不自由さだな。
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by fastska | 2006-10-04 22:41 | 映画エイガえいが
人生の流儀
 この前、四名の方から「どうやってそんなに活動するパワーがあるのですか?」という質問をいただきました。

 答えは「自分で徹底的にやれることを考え、あとは流れに身を任せる」ということになります。が、それでは抽象的です。

 そこで、「仕事と人生の鉄則」を雑記集の代わりに挙げておきます。こういうものを私は考え、書き、手帳に貼っています。

 この文中の「あなた」とは自分自身に語っているものです。こういうことを考えていれば必ず行動に結びついてゆきます。繰り返し、自分自身に語った鉄則集なのですが。

01 大きな正義をときに疑いなさい。
02 落ち込むのは勝手ですが、その暗さで周囲の人まで暗くしてはいけません。
03 読書の時間を持ちなさい。
04 時間を無駄にすることは止めなさい。
多くの人と会うのはよいですが、無駄なメシを食ってはいけません。
05 あなたが感じたことだけで人を判断するのは止めなさい。
深く話せば、印象は変わってきます。
06 自分がやりたいことよりも、自分がやれることを考えなさい。
07 一年に一つは特技や趣味を増やしなさい。
それが加齢とともに人生を楽しむ方法です。
08 誰かに質問されたときは、真剣に答えなさい。
知識を出し惜しみしてはいけません。
それが相手から多くを得る逆説的な方法です。
09 大きなものを喪失したとき、なぜ喪失したかを深く考えなさい。
それを二度と繰り返さないために。
10 とりあえず一緒に居てくれる人、よりもお互いを尊敬できる人を探しなさい。
11 立派な人になろうとするのは止めなさい。
ただひたすら毎日を真剣に一生懸命生きなさい。
12 人生には何をやってもダメなときがあることを覚えておきなさい。
そして、幸せも突然訪れることも覚えておきなさい。
13 人と一緒にいるときは、相手を笑わせなさい。
14 両親を安心させるために、必ず定期的に近況報告をしなさい。
離れた場所に住むとき、これが最大の親孝行です。
15 死別以外の悲しみは、必ずあなたを成長させてくれると信じなさい。
16 たった1%のことでこれまでの関係を崩すのはやめなさい。
99%の素晴らしい事実を思い出しなさい。
17 誰かの悪口を、その人がいないときに言ってはいけません。
18 あなたが気に入った本を繰り返し読みなさい。
そして、その筆者のやり方が体に染み込むまで実践しなさい。
19 良い結果には、あなたの良い行動があり、
悪い結果には、あなたの悪い行動があると知りなさい。
20 自分が理解できない大きな力を信じなさい。
理屈で理解できることは多くないということを知りなさい。
21 何かの一歩を踏み出そうとしている人を妨げてはいけません。
もし、その人が失敗したら、抱きしめて一緒に泣きなさい。
22 仲の良い友人であっても誤った発言は指摘しなさい。
23 「ありがとうございます」と言うときは心から言いなさい。
24 定期的に一人旅に出なさい。
一人旅はあなた自身を見つめなおす機会を与えます。
25 変わり続けなさい。人間は変わらない、と言う人は変ることはできません。
26 「おかしい」と思ったことは止めなさい。
それが後悔せず生きるために必要です。
27 たとえ傷ついたとしても、意見の相違を話しなさい。
それが皮相的でなく、相手と深く交わる唯一の方法です。
28 貯金をしすぎるぐらいなら、自己をみがくためにお金をつかいなさい。
29 謝るときは、真剣に謝りなさい。
30 相手が話す内容の真の意図を考えなさい。
31 年下の人と話すときは、優しくしなさい。
年上の人と話すときは、敬意を常に持ちなさい。
32 社会を変えようとするよりも、会社を変えようとするよりも、
まず目の前の人を幸せにしなさい。
33 あなたが「正しい」と思ったことだけを話しなさい。
34 あなたの仕事に関わる全ての人が期待している以上のものを提供しなさい。
そして、それを喜んでやりなさい。
人を幸せにする喜びというものが確かに存在します。

 これを気に入った方がおられましたら、ご友人に転送してください。ご紹介下さい。

 そして、そのうちにみなさんだけの「鉄則」が出来上がり、それによってみなさまの人生がより輝きを増しますように。

 そのときは私にその「鉄則」を教えてください。
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by fastska | 2006-09-25 21:57 | 映画エイガえいが
映画「県庁の星」を批判する~青年は正義を目指す
a0022864_339178.jpg映画「県庁の星」を見た。出世欲丸出しの官僚と三流スーパーの店員に柴咲コウの物語。融通の利かない公務員を演じている。

もうここまで書いたら、ストーリーはほぼ予想できる。どうしようもない公務員が民間の苦労と情熱に触れ改心していく。そして、それを県政にも反映させようとする--。

いや、困ったことにその通りのストーリーなのだ。公務員バカの話である。

いま、ぼくは「バカ」と書いた。これはホメ言葉ではない。念のため。本物のバカの話である。

そのような凡庸な物語に対してどうして感想を書きたくなったかというと、主人公が「正義」を目指すとき、なぜにぼくらは共感を覚えてしまうのかという点が気になったからだ。

そりゃ不正よりも公正なほうがいい。悪意よりも正義がいい。だけど、なんでそんなもんをいい大人が目指さなければいけないのだろうか。脱法さえしなければもうちょっと自分よがりのことだけをしてもいいじゃないか。でも、なんでそんな「正義」なんてものを考える必要があるのか?

この映画の主人公の場合は、県庁の蕩尽が「悪」として描かれる。ムダな公共事業に群がる奴ら。県民の声を聞こうともしない県職員たち。主人公は外部(スーパーでの研修を経て)に立って、始めてそのことに気づく。こいつらが--「正義に反する奴ら」というわけだ。

その不正を暴く姿は確かに勇ましい。でも、ちょっと考えりゃその姿はもろくてむなしさがつきまとう。結局、その「正義」は主人公の正義にすぎないのだから。

ここまでをふまえて、大きな指摘を二つしておこう。

(1)官が腐っているというとき、民がもっと腐っているということに気づく人はいない。
(2)外部に立った瞬間に、以前居た内部を批判するのは偽善である

特に、(2)については、多くの言論がある。ライブドアが訴訟された瞬間に「元監査人の告白」とかいって「私はその当時必死に粉飾決算を止めさせようとした」と正義ぶる人が出てくる。

ぼうや、むかちのことはわすれちゃったのかにゃ?

以前そこにいて同罪だったことをあたかも忘れたかのように振る舞い、元内部を批判する試み。これこそ偽善と呼ばずになんと呼ぶのだろうか?

が、大衆はその密告者に対して「正義を求める者」と賛美を浴びせるのだ。おそらくそこに「県庁の星」でぼくがひっかかっている点があるのだと思う。

いや、それにしても「県庁の星」は面白かった。だって、正義を求める姿。ぼくにそっくりじゃないか。
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by fastska | 2006-07-30 03:35 | 映画エイガえいが
映画「インサイドマン」~殺人強盗を批判する
a0022864_1494255.jpg映画「インサイドマン」を見た。銀行強盗グループと捜査官、そして女性弁護士らの心理戦を描いたサスペンスだ。

この映画は強盗が銀行に押し入りパニックになるところから始まる--。

カネが目的か?と思えば、強盗は「カネなどどうでもいい」と言う。単純に愉快犯か?と思えば、強盗はあまりに知的なところを見せる。

この映画は、実は襲われる銀行側が真の犯人ではないか、というところが明らかになる。そこが面白いのだが、あんまり書けない。

人質をただただ拘束するだけではなく、犯人グループと同じ服を着せることによって、警察の襲撃を防ぐ犯人たち。無機質な行動ばかりかと思いきや、子供に優しい犯人たち。シリアスかと思えばジョークを飛ばす犯人たち。殺人はせず、しかもカネも奪おうとしない犯人たち。

そして、ラストの驚き。

監督がスパイクリーだけあって、この映画はレトリックと「ひっかけ」に満ちている。それは誤解を導くものかもしれないけれど、面白い。賛否分かれる映画が見事に完成した。

騙される側が、実は騙しており、騙しているつもりが、いつか騙されている。複雑な人間を描いた傑作。

ところで、最近には珍しく観客席が埋まっていた。

ぼくの目の前にいたのは老年夫婦だった。おそらくウダツのあがらないあの亭主も、実はあんな風でいて奥さんを「飼っている」こともありうるかもしれないな、この映画みたいに。何が本当かわからないんだから!
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by fastska | 2006-07-02 14:17 | 映画エイガえいが
無意味殺人を批判する~映画「カミュなんて知らない」
a0022864_1013480.jpg 映画「カミュなんて知らない」を観た。映画マニアによる、映画オタクへの映画である。

『さらば愛しき大地』の柳町光男監督が、大学の映画製作サークルを、実際の立教大学のキャンパスで描く青春物語だ。

映画を詳しく知っていればいるほど、細かなセリフや場面が一体何を引喩しているのか理解できる--という構造は他の映画にもあるのであるが、この映画は違った。一言でいえば、「面白い」のである。

テーマ自体は新しくなく、正直いって使い古された「不条理モノ」ではあるのであるが。通常とは違うのである。

なんだろうか、このカット割りは。なんだろうか、この狙いすぎたアクションは。なんだろうか、この恋愛感情を剥奪されすぎた恋愛は。いや、こういうものを徹底的に描いた映画であれば、他にもある。ゴダールの後期を引用するまでもなく、シューリズムの前衛映画を引用するまでもなく。

ここに描かれたのは、能天気なほどまでの自己勝手さだ。女は抱きたい、でも責任はとらない。映画は撮りたい、でも資金は用意したくない。有名になりたい、でも努力はしたくない。

このどうしようもないほどの願望と無気力につつまれた学生たち。身勝手といいながら、その姿にどこか共感できる自分たち。これは、「他者なんて知らない」と言いながら他者なくしては自己の承認すら得ることのできないリアリズムを描いているのだ。

おそらく、シューリズムやニヒリズムが描きたかったのは「結局のところ世の中には意味がない。だったら、自分勝手に遊ぼうよ」というものだった。

しかし、である。実際人間はそんなに強くない。「結局のところ世の中には意味がない」といいながら、意味がなくては生きていけず、「自分勝手に遊ぼうよ」といいながら他者の存在なしには遊ぶことすらできない。

弱者が強者のフリをするとき、それは弱者以下の存在に成り下がってしまうのではないか。

そういうことを考えても考えなくても、この映画は愉しい。

おそらく、このどっちつかずの優柔不断さが最も現代人に合っているのではないか、といわんばかりの優しさを教えてくれる。
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by fastska | 2006-06-04 10:31 | 映画エイガえいが
日本映画を批判する~生まれいずる悩み
a0022864_0203666.jpg韓国映画「タイフーン TYPHOON」を観た。

朝鮮半島でテロを企てる海賊役のチャン・ドンゴンと、その暴挙を阻止しようとする海軍将校役のイ・ジョンジェが、熱い男たちの戦いを繰り広げる物語だ。

不覚にもちょっと泣いてしまった。

人は悲しいとき、下を振り向くどころか、なぜか空を望郷の想いを胸に見てしまうことがある。まるで幸せの何かが降ってくることを期待するかのように。ぼくも最近、そんなことがあった。

人はその空を見るときに--、同時に何を見るだろうか?恋人の顔が浮かぶことがあるかもしれない。亡き両親に思いを馳せることがあるかもしれない。今は心通わぬ友かもしれない。

この映画「タイフーン」は、南北を分離されてしまった朝鮮半島へのどこまでも哀しき運命(さだめ)が描かれている。

主人公の二人(盗賊、工作員)はともに、朝鮮半島への愛しか語らない。それは憎しみであったりもするのだけれど、それは愛の裏返しでしかない。

なぜか別離してしまった家族、そして再会。なぜ人は離れる運命なのだろうか?そして、なぜ再開する運命なのだろうか?

米ロの対立だ、と言ってしまえば簡単かもしれない。しかし、そこに巻き込まれる個人にとっては事情はさほど簡単ではない。国際国家の対立軸が明確であった80年代であっても、そこにまさに生きる個の人生は複雑で、ドラマと涙があった。

家族の分離がなぜ国際政治の一ページに押し込まれなければならないのか?そこに生きる個人を描くのは政治ではなく文学が担ってきた。文学のあとは米国映画が、個々のドラマを描き出してきた。そして、それはもはや朝鮮半島の分離という、未だに解決されない悲劇へと韓国映画が果敢にも挑戦する機会を与えようとしている。

ここに描かれたのは朝鮮半島の悲しみだけではない。ここにあるのは、なぜ心通う者同士が離れ、再び出会うことになるかという人生のドラマである。

ストーリーはあえて書かない。なぜならストーリーだけを書けば、それは陳腐な物語としてのみ記憶されるだろうからだ。

韓国には未だ北朝鮮という芸術の対象が存在する。日本にはそれがない。ここが近年映画界に生じた日韓逆転の根本原因であるはずだ。

突き抜けた悲しみのあとでなければ、どうやって芸術など成立するだろうか?

(追伸)・・・近い将来、北朝鮮の人々が解放され、この時代にこれほどの映画が作られていることを知ったら、ある種の感動に包まれるのではなかろうか?そして、それは次の文学へ昇華するのではあるまいか。
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by fastska | 2006-04-29 00:36 | 映画エイガえいが
黒人を批判する~映画「8 Mile」
 エミネムというどこまでも可憐なラッパーについて知らない人はどれほどだろうか。いまさらながら、映画「8 Mile」を見た。

 この映画の主題は、エミネムの自伝録ではない。きっと、多くの人はエミネムがスターダムにのし上がったメモリアルとして見るのだろうけれど、そうじゃないんでないか。

 ここで書かれたのは、倒錯した現実ではないか。それにはちょっと説明が必要だ。

 舞台は1995年のデトロイト。そこは中産階級の白人が多く住む郊外とは“8マイルロード”で分断されている。貧困層が多数を占める都市中心部での物語だ。

 白人はことあるごとに「お前らは8マイル先にいっちまえ」と黒人から罵られる。つまりそこは黒人の「ならず者(いやだなぁこの表現)」が住むところであり、部外者は消えてしまえというわけだ。

 エミネムは「ジミー」として、ここで最低の生活を送っている。無職の母と幼い妹の3人でトレイラー・ハウスに暮らしていた。しかも母親にはヒモの男までいる。ジミーは昼間プレス工場で働き、夜はヒップホップ・クラブ“シェルター”で毎週行われるラップ・バトルでの優勝を目指し、プロで成功することを夢見ていた。

 それ以降は、映画を見ていただくとする。

 ぼくは、この映画の主題は「倒錯した現実」と書いた。それはどういうことか。

 この映画を見ながら強く感じた。「ところでラップって何だっけ?」。

 いや、別に辞書的な定義を知りたいわけじゃない。ライムの歴史とヒップホップやら、そんな言葉を知りたいわけじゃない。ただ言えるのは、当初ラップというのは、黒人哀歌と同じものだ。貧困で、世の中の底辺で苦しんでいる黒人が、その悲哀を社会に訴えるための手段としてラップ(ライム)でPOPさも交えながら発してきた。

 だけど、現実はどうだ?女に囲まれて酒を飲む黒人ラッパーたち。車を乗り回し、ブランドを身に付けた黒人ラッパーたち。

 もちろん、黒人の一部層がまだ貧困にあえいでいることは知っている。だけど、今では一部の白人層が黒人同等以下の扱いを受けていることも事実なのだ。

 ぼくは思った。黒人が育ててきたライムを、その精神を、受け継ぐ者は白人しかいないのではないか。そこに大きな倒錯がある。黒人が皮肉を込めて打倒すべき存在として表現してきた白人たち。しかし今や、その打倒すべき存在こそが、大きな歴史を引き継ぐ偉大な後継者なのだ。

 だれか、日本の侍精神を引き継げる外国人を見つけてこい。
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by fastska | 2006-03-20 09:06 | 映画エイガえいが